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(更新: ORICON NEWS

【インタビュー前編】『魔女の宅急便』作者明かす本音、ジブリ映画観て驚き 原作と異なる展開に「あれ?と思いました」

 1989年に公開され、スタジオジブリの初期作品として、いまも絶大な人気を誇る『魔女の宅急便』。原作者の角野栄子は、35歳で作家デビューし、同作を出版したのは50歳の時だった。アニメ化された映画を初めて観た時には、原作と大きく異なる内容に戸惑ったというが、その後、自身の作品が国民的・世界的作品に成長していく様をどう感じていたのか。物語の誕生秘話や同作が愛され続ける理由を聞いた。

着想も映画化もきっかけは「娘」 “宅急便”がヤマトの商標とは知らず、あわや大惨事?

――『魔女の宅急便』は、どのようにして着想されたのでしょうか?

角野栄子私は大学時代、アメリカ大使館の図書館に行って海外の雑誌をよく見ていました。その時、雑誌『LIFE』に載っていた『鳥の目から見たニューヨークの風景』という写真を見て、すごく物語性を感じたんです。それから何年も経って、娘が描いた魔女のイラストを見て「魔女の話を書いてみよう。それを書けば、空を飛べてあの風景が見られる」と思いつきました。娘の絵と、大学時代に見た写真が合致したんですね。その頃、娘が12歳だったので、同じ年くらいの女の子を書いてみようかな、空を飛べるならどこかに行った方がいいかなと。そのぐらいで始まるんです、私の作品は。書いていくうちにどんどん展開していくんですね。

――“宅急便”というアイデアはどのように?

角野栄子『魔女〜』は『母の友』で1年間連載されました。月1回の連載なので、前に読んでない人もいるし、読んだ人も忘れてるかもしれない。だから続きものというよりは、ある程度1話で決着が付けられる話がいいと、宅急便にしました。1つ運び終わると完結するので。
――当時、“宅急便”はヤマト運輸の登録商標だと知らなかったんだとか?

角野栄子そうそう。登録商標だと知らずに1年間連載しちゃったんですけど、私は1年間付き合った名前なので、変えるのは嫌だと思って。出版社で弁護士さんに相談したら、『魔女の』が付けば大丈夫ということになりました。それで映画化されたら、ヤマトさんがスポンサーになってたのね(笑)。ヤマトさんには今でも毎日、宅急便でお世話になっています。

――『魔女の宅急便』ができた時、良い作品だという手応えはありましたか?

角野栄子特になかったですが、反響は良かったです。「やっと日本に私たちの物語ができた」というお便りをいただきました。日本の児童文学って、私より前の世代は教育的なものが多かったんですよ。でも、私は自分が好きなものを書いているだけですからね。『魔女〜』の場合は、多くの人が持つ悩みや喜びなどと同じ感覚でキキが動くので、そこで「自分の等身大の話だ」と感じてくれた方が多かったんじゃないでしょうか。

ニシンパイの作り方知らない「宮崎さんは原作を変える人だと聞いてたので…」

――スタジオジブリからアニメ化のお声がけがあった時、どんなお気持ちでした?

角野栄子私、宮崎駿さんを知らなかったんです。でも、娘は『風の谷のナウシカ』などを観ていたので、「絶対やった方がいい。とってもいい映画にしてくれると思う」と言うんですね。それで承諾しました。でも、鈴木(敏夫)プロデューサーから「宮崎さんは原作を変える人だ」と聞いてたので、私はタイトルやキャラクターは変えないようにとお願いしました。

――映画をご覧になった時は、どんな印象でしたか?

角野栄子「あれ?」と思いました。私だったらこうしないなと思うところもあって。よく映画を観た方から「ニシンパイの作り方を教えて」と言われるんですけど、私は原作で書いていないんですよね(笑)。でも、あれは宮崎さんの作品だからと、すぐ切り替えました。それに、映画としてはよくできていると思いました。自分の原作だから言うわけじゃないけど、宮崎さんの作品の中で一番良いと思います。難しいことを考えずに、ファミリーで楽しんで観られますから。
――その後『魔女〜』が世界的な作品になっていく様を、どのように受け止められていましたか?

角野栄子それは宮崎さんのおかげです。多くの人たちに『魔女の宅急便』という名前とキキ、ジジというキャラクターが知れ渡ったのは、ありがたいと思いました。ドイツの田舎で出会った若い男の子たちも『魔女〜』を知っていましたけど、それは映画の力ですよね。当時、ドイツでは翻訳本も出てないわけだから。

テーマも締切も一切ナシ、受ける・受けないは考えない「出版社の要望も聞きません(笑)」

――1985年『魔女〜』出版後、数多くの児童書が生まれましたが、同作をはじめ、『いないいないばあ』『ぐりとぐら』『きんぎょがにげた』など、60〜80年代の作品が今も愛されているのは、なぜだと思われますか?

角野栄子児童文学というのは世代をつなぐんですよ。子どもの頃に本を読んだ人が、年をとって子どもや孫につないでいくという。しかも私の話は時代を切り取っていないし、強い主張を持ってるわけではないので、そういうところも長く読まれる要因だと思います。これが時代に合わせたような物語だったら、時代とともに言葉も変わりますし、長くは続かないだろうなと。

――長く読んでもらえるようにと本を書かれているのでしょうか?

角野栄子そんなことはないです(笑)。自分が面白い、楽しいということしか考えてないです。読者に受ける受けないということも考えない。それを考えると失敗しますから。
――出版社から、こういう風にしてくださいと言われたら?

角野栄子それも一切聞き入れません(笑)。締切も決めません。書けたら持って行きます、というスタンスです。私、怠け者じゃないから、今でもちゃんと毎日朝から夕方まで書くんです。締切がないと書かない人もいるかもしれないけど、私は自分が好きで書いているから。締切があると、自由じゃなくなるしね。「テーマは何ですか?」と聞かれても「ない」って言います(笑)。だって私が「こういうテーマです」と言ったら、読者はそういう風に読むじゃないですか。そうではなく、自由に読んでもらいたいんですよね。
角野栄子
東京・深川生まれ。大学卒業後、出版社勤務を経て24歳からブラジルに2年滞在。
その体験をもとに描いた『ルイジンニョ少年 ブラジルをたずねて』で、1970年作家デビュー。代表作『魔女の宅急便』(福音館書店)はアニメ作品として映画化され、その後舞台化、実写映画化された。紫綬褒章、旭日小綬章を受章。2018年に児童文学の 「小さなノーベル賞」といわれる国際アンデルセン賞作家賞を、日本人3人目として受賞。
映画『カラフルな魔女』(外部サイト)
1月26日(金)角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
語り:宮崎あおい(崎=たつさき)

88歳、「魔女の宅急便」の作者が贈る、毎日を輝かせる魔法。
映画『カラフルな魔女〜角野栄子の物語が生まれる暮らし〜』は、「魔女の宅急便」の作者として知られる、児童文学作家・角野栄子の日常に4年にわたって密着したドキュメンタリー。 鎌倉の自宅では自分で選んだ「いちご色」の壁や本棚に囲まれ、カラフルなファッションと個性的な眼鏡がトレードマーク。一方、5歳で母を亡くし戦争を経験。結婚後24歳でブラジルに渡り、35歳で作家デビューするなど、波乱万丈な人生を歩みながら、持ち前の冒険心と好奇心で幾多の苦難を乗り越えてきました。“想像力こそ、人間が持つ一番の魔法”と語る角野栄子とはどういう人物なのか?88歳のキュートな“魔女”が、老いや衰えさえも逆手にとって今もなお、夢いっぱいな物語を生み出す秘訣とは―。
(取材・文=水野幸則)

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