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「まさか性同一性障害じゃないよね?」追い詰められた友人の言葉、自分を偽り続けた20年

トランスジェンダーのYouTuber・木本奏太さん。Instagram(@kanata_1023)より

「元女子、現男子」として発信しているトランスジェンダーのYouTuberがいる。木本奏太さん、31歳。性別適合手術をして6年。戸籍上も男性として生活しながら、LGBTQへの誤解や偏見をなくすため、あえて “元女子”という言葉を使いながら発信している。奏太さんが性別の違和感に気が付いたのは幼少期。それから約20年間、自分を偽り生きてきた。「性同一性障害(※)」という言葉を知り絶望した思春期、手術を決意した大学時代、耳の聞こえない両親へのカミングアウト…。自分を認識する性別とは違う体で生まれた男性の半生とは。

周りの人と違うことはいけないことだと思い込んでしまっていた10代

――割り当てられた性別と心の性別が違うことに気づいたのはいつごろですか。

【奏太】 物心ついた時には性自認は男だったので、社会的な“男女”の区別みたいなもの、例えばジェンダーのステレオタイプカラーなどには、違和感を感じていました。スカートとかピンク色にものすごく抵抗があったんです。その後、モヤモヤした気持ちのまま成長して、高校生の頃、テレビドラマで「性同一性障害」というトピックを知って、「自分と一緒だ」「僕って性同一性障害だったんだ」と、それまで感じていた違和感を初めて言葉として認識しました。
  • 学生時代“果奈ちゃん”だった頃の奏太さん。(写真/本人提供)

    学生時代“果奈ちゃん”だった頃の奏太さん。(写真/本人提供)

――違和感の正体がわかったことで気持ちに変化はありましたか?

【奏太】 「性同一性障害」という名前がついたことで、逆に「僕はやっぱり変なのかな」「周りと違うのはおかしなことだ」という気持ちが強くなってしまって。ドラマの中での性同一性障害の描かれ方も悲観的だったので、僕には明るい未来なんて待ってないんだと。

 当時、僕は髪の毛が短くて、スカートなどははかないスタイルだったということもあり、友達から「まさか性同一性障害じゃないよね?」みたいなニュアンスを遠回しに言われたりしたこともあって「絶対に隠して生きていこう」と決めたんです。自分の性別は「男性」だとはっきりわかっているのに、周りには「女性」だと言って過ごさなきゃいけない。そして、自分自身にも「女性」として生きなきゃいけないと言い聞かせなければいけなかった。この時期が、一番辛かったです。

男性として社会にでたい」大学在学中に性別適合手術を決意

――周囲へのカミングアウトはいつ頃ですか。

【奏太】 大学1年生の時ですね。僕が通っていた大学の生徒たちは、いい意味で他人に興味がないといいますか、「何をしてようとその人の自由」というスタンスの方が多くって。

 当時は自分の中で「男性として生きていく」という選択肢がなく、大学も「女性」として通わなければならない状況だったので、スカートやヒールで通ってたんですが、最初の1週間で挫折しちゃったんです。大学って、自分が学びたいこと学ぶだけ場所なはずなのに、なぜこんな我慢してるんだろうって思ったら、急に吹っ切れちゃって。自分の好きな服で行くようになったある日、友達が「果奈(※戸籍変更前の名前)の恋愛対象って男性と女性、どっちなの?」って、唐突に聞いてきたんですよ。びっくりしたけど、これはチャンスかもと思って。「実は僕、心は男性なんだよね」って、人生で初めてカミングアウトしたら、友達も普通に「やっぱりそうなんだ」って。

――戸籍上の性別を変えようと決めたのは…

【奏太】 大学3、4年生の頃ですね。カミングアウトして自分のアイデンティティが確立されつつあったのに、就職して社会にでればまた「女性」として生きなきゃいけない。やっぱり、自分を押し込めずに社会に出たいっていう気持ちになったんですよね。でも、周りはどんどん就活をはじめるし、どうしよう、と。大学の就職課の方に相談したら、「まだ若いんだし、就職するのは自分らしく生きられると思ってからでも、全然遅くないんじゃないの」と。その言葉にも背中を押され、性別適合手術を受けて戸籍を変更してから社会に出る決意をしました。

 実は、この少し前に、性別適合手術をすることで戸籍上も男性として生きられるということを知りました。それはもう、自分の中で大きな希望になりました。それまでは一生隠していかなくちゃいけない、と思ったのに、「自分も男性として生きていいんだ、生きる方法があるんだ」と。手術については将来いずれ…と考えていたのが、一気に現実的になりました。

いつかのパリ旅行。Instagram(@kanata_1023)より

いつかのパリ旅行。Instagram(@kanata_1023)より

――就職課で「就職はあとでもいい」とアドバイスを?

【奏太】 そうです。変わってますよね(笑)。大学の方針だったのか、その方の個人的な意見だったのか、今でもよくわかりませんが、前に進む大きなきっかけになりました。それからホルモン注射をはじめました。僕の場合、最初に変化が現れたのは声でしたね。だんだん喉が風邪をひいたみたいな感じで、声が出しづらくなって。半年くらいかかって、今の低さになったんですが、声が変わったことで、自分に自信を持てるようになっただけでなく、自分のことを自分の口で前向きに話せるようになったのは、とても大きな一歩だったなと思います。

――それまで自分のことを話すのは苦手だったんですか。

【奏太】 僕の両親は耳が聞こえないので、幼い頃から僕がしっかりしなきゃって勝手に思ってた部分もあって、両親の通訳をするために周りの大人と喋ったり、わからないことを聞いたりするのは全然苦じゃなかったんですけど、自分のことを話すのは苦手でしたね。

 例えば、恋愛の話とか、好きな服の話とか、好きなキャラクターとか、好きな趣味とか、どれ1つとっても、「なんかそれって男っぽいね」というように好きなものまでも男/女の2つで分けられるのもすごく嫌で。そこでまた「人とは違う」と思われたらどうしようと思ってしまい、言動にはかなり気を付けていたこともあって寡黙になりがちでしたね。

ただ事実を伝えただけの僕と混乱していた母。些細な喧嘩をきっかけに歩み寄れた

――ご家族にはいつカミングアウトされたんですか?

【奏太】 大学卒業する手前ですね。「就職はどうするの?」みたいな会話も出だして、これはもう絶対言わなきゃいけないよねっていう状態に追い詰められて、ようやく母に話しました。

 母は耳が聞こえないので、普段は手話で会話してるんですけど、手話では自分の気持ちを全部伝えられないと思って「僕は性同一性障害で性自認は男性なので、男性になってから世の中に出たいと思います」ということを手紙に書いて母親に渡したんです。

――お母様の反応は?

【奏太】 最初は「悪い冗談はやめてよ」みたいな感じで、はぐらかされそうになったんです。割り当てられた性別と心の性別が違う人がいるのは知っているけど、自分の子どもがそうだとは思えないと言われてしまって。それでも「こんなこと冗談で言わないよ」と伝えると最後には「わかった」と言ってくれたんですが、そのときの母はおそらく理解も受け入れも、全くできてない状態だったなと思います。

 一大決心してカミングアウトしたのに、その後も母にとって僕は“娘”のままだった。次第に僕も「なんでわかってくんないの!」みたいな憤りを感じるようになって、少しずつ、すれ違いが生まれ始めたんです。

――どうやって解決を?

【奏太】 半年くらい経ってから、些細なことで喧嘩になったとき、母に初めて気持ちをぶつけられて。「あなたが男か女か、どうし接したらいいかわからない」ってはっきり言われたんですよ。その時にハッとしたんですね。「確かに僕は母にどうしてほしいのか、娘って呼んで欲しくないとか、お姉ちゃんって言われるとすごく嫌な気持ちになるとか、具体的なことは何ひとつ言ってなかったな」と思って。そこから少しずつ母と話すようになって。LGBTQの勉強会に二人で参加したりもしました。
――カミングアウトするまでご家族は奏太さんをLGBTQだとは思っていなかった?

【奏太】 一般的に「女の子が好む」と認識されやすいものには興味を示さなかったので、ちょっと変わった子だなとは思ってたみたいですが、「この子はこの子だから」と言って育ててくれました。でも“娘”が“息子”になるとは想像してなかったと思います。

――お父様の反応はいかがでしたか。

【奏太】 実は父にはまだ、自分の口から直接カミングアウトしてないんです。母から伝えてもらってはいるんですが、以前から父は僕のやることに対して常に見守るスタンスで。助けてほしいときには助けてくれる、優しく見守ってくれています。

――お母様とはまた違った愛情を感じます。

【奏太】 父にしてみれば複雑な心境だとは思うんですけど、そこは父なりに歩み寄ってくれているのかなと思います。26歳ぐらいの時、実家に帰った時に「奏太」って今の名前で呼んでくれたのが、すごく嬉しかったです。本当はどう思ってるのか、聞いてみたいと思うこともあるんですが、踏み出すきっかけがまだ見つからないままで。それこそ「動画を撮る」ことがきっかけにはなるのかなとも考えることもありますが、「カミングアウトすること」がすべてではないと思っています。なので、そのことについてはまだ決めかねてはいますが、両親への愛情や感謝を忘れたことは1日たりともありません。

※「性同一性障害」という言葉で表現をしている部分がありますが、現在は「性別違和/性別不合」と名称が変更されています。インタビューでは当時の言葉のまま使用している部分があります。

(取材・文/今井洋子)
木本奏太 INFORMATION
▼YouTube
「かなたいむ。」
▼twitter
@kanata_kimoto
▼Instagram
@kanata_1023

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