ORICON NEWS
来年閉業のお台場大観覧車、当初は5時間待ちも… “高所恐怖症”所長が語る22年の歴史とその想い
大観覧車オープン当日に上京し運命の出会い「これが東京か!」
この発表にSNSには多くの悲しみの声が上がっているが、その思いは大観覧車の所長を務めるサノヤス・ライドサービス株式会社の風間智さんも同じようだ。
「たくさんの声をいただいているのは承知していますが、SNSなどではあまり見ないようにしているんです。読んでしまうと私自身も寂しさが募ってしまうので、申し訳ないのですが──」(風間さん)
風間さんは2001年よりアルバイトとして大観覧車に携わり、その後、正社員に。2012年より所長を務めており、終了時にはちょうど10年目となる。
1999年3月19日のオープン以来、述べ4億人が訪れてきたパレットタウン。一番の呼び水となったのは、開業当時に世界最大(直径100メートル/高さ115メートル)としてギネス認定された大観覧車。東京タワーやレインボーブリッジ、スカイツリー、羽田空港まで見渡すことができる絶景は「観覧車から見る夜景No1」や「日本の展望スポットベスト20」に選ばれたこともある。
この大観覧車を製作・所有するサノヤス・ライド株式会社の取締役営業部長・竹内啓祐さんも、22年前はまだ若手社員だった。
「ここは埋立地で地盤が緩いため、通常の観覧車よりも多くの杭を打つ必要がありました。そうした安全にまつわる書類などの申請に奔走し、検査済証が出たのがオープンのギリギリ2日前。冷や汗をかいたのを覚えていますね」(竹内さん)
東日本大震災で揺らいだ“存在意義” それでも大観覧車は「心の拠り所」
「とは言え、広範囲に停電が発生したあの状況下でイルミネーションを照らして営業するのはどうかなのか。そうしたお叱りのメールも少なからずありました。『観覧車は生きていく上では必要ない』、そういうことを突き付けられてしまった感があって、観覧車の存在意義というものに疑問を持ってしまうこともありました」(竹内さん)
“不要不急”のものが有事に槍玉にあげられるのはいつの時代も変わらない。しかし状況が落ち着くにつれて、人々は心の拠り所を求めた。
「イルミネーションを自粛して2週間ほど経った頃から、『灯りが点っていないのは寂しい』といった励ましの声が増え始めました。いろんな意味で多くの方がこの観覧車に思い入れを持ってくださってるんだな、と実感した出来事でしたね」(風間さん)
初年度には200万人以上が来場し、最長で5時間以上待つ時もあった。1周16分、ゴンドラは64台で定員は6人(シースルーゴンドラは4人)だが、どんなに混み合っても“相乗り”はしないことにこだわってきた。
「観覧車とその他のライドとの最大の違いは、プライベートな時間と空間を大切な人と共有したり、一人で味わったりできること。その価値があるから、見える景色は変わらなくても何度も乗りに来られるお客さまがいるんだと思います。多くの方が思い出を語っていただけているように、記憶に残る仕事ができたことを誇りに思いますね」(竹内さん)
「あくまで主観ですが、この時期はお客さまの笑顔や賑わいとも相まってイルミネーションがより一層の輝きを放っているように感じます。営業終了はまだ先ですが、今年12月を一旦の集大成と位置づけ、スタッフ総力を上げて臨む所存です」(風間さん)
多くの来場者と同様に、風間さんにとっても“上京物語”に始まる多くの思い出が詰まった大観覧車。ところが自身はプライベートではほとんど乗ったことがないのだという。
「実は私は高所恐怖症でして(苦笑)。でも、お客さまが楽しんでいる様子を見上げるのは好きなんです。ですので、最後の日まですべてのお客さまの笑顔と思い出に寄り添っていければ本望です」(風間さん)
(取材・文/児玉澄子)