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狩野英孝、日本中から総攻撃を受ける覚悟で復帰した芸能界「“謹慎”が最大のターニングポイント」

 2003年に芸人デビューし、「ラーメン・つけ麺・僕イケメン」でブレイクした狩野英孝。その後も一発屋にとどまらず、50TAとしてのアーティスト活動や神職取得、最近では『クセスゴ』歌唱やゲーム実況が度々話題になるなど、活動の幅を広げている。これまで3度のスキャンダル報道を受け、六股報道(本人は八股だったと釈明)を認めながらも、狩野が幅広い世代からいじられ、愛される理由とは。謹慎中には芸能界引退も頭によぎったという彼に、改めてスキャンダルやいじられ役に対する思いを聞いた。

「なんでこんなひどいことをされるのか頭を抱えた」“いじられキャラ”への葛藤変えたのは出川からの一言

――狩野さんは早くから人気が出た印象があるのですが、デビュー当時を振り返っていかがですか。

狩野英孝いやいや、まず事務所のオーディションに落ちまくって。なんとか試行錯誤して舞台に立ってみても、全く笑いが取れませんでした。「続いては狩野英孝、どうぞ!」って登場する時の拍手がピークで、あとは無音。クーラーの音しか聞こえない。僕が出てくるとお客さんが下向いて携帯いじってたり、アンケートに「狩野もう出るな」とか書かれたり、もう辛かったです。生まれて初めて血尿が出て、自分もへこむし、お客さんも気分を害するし、お互いのためにもう全てボイコットして辞めようと思ったこともありました。もし、辞めるためのカッコイイ理由があったら辞めてたかもしれないです。でも理由もないし、売れないから辞めるっていうのはダサいと思って、辞められなかったですね。

――現在では“いじられキャラ”として幅広い世代に愛されている印象ですが、当初そのような立ち位置に対して葛藤はありましたか。

狩野英孝めちゃくちゃありましたね。僕は元々、ウッチャンナンチャンさんやとんねるずさん、ダウンタウンさんに憧れていて、MCで場を回して笑いをとれるような芸人になりたかったんです。例えば『ロンドンハーツ』でも、出川さんが落とし穴に落とされるのを見て笑ってたんですけど、僕はやっぱり淳さんになりたかった。でもいつの間にか自分も落とし穴に落とされるようになってしまって、あれ、思ってたのと違うなって(笑)。最初の頃はいじられることが美味しいっていうのが全く分かってなくて、“なんでこんなひどいことするんだろう”って頭抱えてましたね。
――今は、いじられることに対して意識は変わりましたか。

狩野英孝今では感謝に変わりました。ちょうど悩んでる時に、出川さんから「どんなにいじられて痛い思いをしても、付き合っている彼女と別れたとしても、スタッフさんにはありがとうございますって言いなさい」って言われて。当時は“なんでこんなひどいことをしてくる人たちに感謝しなきゃいけないんだろう”って思いましたけど、やっぱりそこからいろんなドッキリに引っ掛けられるようになって。その時は悔しい思いをしますけど、オンエア後にいろんな方に「面白かったよ」って言ってもらえると、「あ、面白かったんだ、そうか」って。そこからだんだん意識が変わっていきましたね。

――それでも、いじられる立場の方は行き過ぎると失礼な言葉もかけられやすい立場かと思います。共演者や視聴者からの心ない言葉に苦悩することはなかったですか。

狩野英孝今でもむちゃくちゃありますよ。やっぱりテレビでいじられたりすると、一般の方々も「俺もいじっていいんだ」っていう感覚になっちゃうのか分からないですけど、昔なんかは道歩いてて、急に飛び蹴り食らったこともあります。今だとSNSの誹謗中傷含め、現在進行でずっとありますね。でも、昔であれば受け止めて落ち込んでいましたけど、今であれば、誹謗中傷の言葉をピックアップして「朝起きて、おはようって言ったら一生寝てろって言われました。それにいいねが100付いてたんですよ」とか、笑いに変えられる力が付いたって言うのはありますね。

――しかし昨今はコンプライアンスによって、お笑いの幅も変化していますよね。

狩野英孝芸人さんって、コンプレックスを笑いに変えるところがカッコイイなって思ってたんですよ。例えば「ラーメン、つけ麺、僕イケメン」って言って、「どこがイケメンやねん」って突っ込まれて、笑いになると嬉しいんですよ。それを突っ込んじゃいけないっていう世界になったら、もう悲しくなってきますよね。

「狩野英孝を世間から忘れさせない作戦」芸人仲間とスタッフの愛に背中押された再スタート

――これまでたくさんの壁を乗り越えられてきたのですね。

【狩野英孝】壁はたくさんありましたが、スキャンダルが発覚した時には「もうこの世界とはさよならだな」って覚悟しました。でも謹慎中に、芸人仲間やスタッフさんが番組で僕の名前や映像を出してくれていたんです。サンドウィッチマンさんが番組の紹介で「狩野英孝も出るよ!」「いや、出ねぇわ!」って言ってくれたり、千原ジュニアさんも僕の名前を出してくれたり、スタッフさんも僕の昔の映像を差し込んでくれたりして。皆さんに「ありがとうございます」って連絡すると、「狩野英孝を世間から忘れさせない作戦だ」って返ってきて。そこまでしていただいたのに、こっちが腐っちゃダメだなって思って、ネタを作ったり、少しずつ復帰の準備を進めました。

――素敵なお話ですね。

【狩野英孝】自分が起こしたことについて反省しましたし、責任を痛感した期間でしたが、言ってしまえば、その後復帰して日本中から総攻撃食うぞっていう釜の中に入らなくてもいい訳ですよね。辞めてもいいんだよっていう自分もいたし、もう一回戦ってこいっていう自分もいて、どっち選んでも正解だろうし、再スタートという意味では、そこが大きなターニングポイントでしたね。
――いろんな思いが頭をよぎるも、芸人を辞めなかったのはなぜでしょうか。

狩野英孝ここで辞めたら逃げたことになるのかなっていう思いがブレーキになってましたね。僕はネタでナルシストキャラをやっていますが、根っからのナルシストキャラなんですよ。その時もナルシストセンサーが発動して、「逃げたらかっこ悪いぞ、狩野英孝」って自分に言い聞かせましたね。あとは、実家の神社が応援のメッセージが書かれた絵馬でいっぱいになっていたり、地元の高校生が寄せ書きをくれたり、皆さんにこれまでこんなにも支えてもらってたんだって改めて気づかされる機会にもなりました。

――様々なご経験を経て築かれた今の芸人の姿は、当初思い描いた姿に近いですか。

狩野英孝全然違いますけど、楽しいです。めちゃくちゃ楽しいです。デビュー当時は自分から発信できなくて、仕事のために趣味を作って全然続かずにもぞもぞしていたところもありましたけど、今は好きなことや趣味を仕事に繋げられていますから。例えば、『クセがすごいグランプリ』で歌をアレンジして歌っているんですけど、高校生の時から「翼をください」とか自分流で歌ってて。それがたまたま番組とマッチしたんです。ゲームも昔から好きでずっとやってきたのが実況してみたら応援してくれる方がいたり、番組をやらせていただけたり、すごく充実していますね。学生の頃から考えていた芸人像ではないけど、今は今で良いなって思っています。

――それでは最後に、今後目指したい芸人像を教えてください。

狩野英孝10代の頃から大好きだったウッチャンナンチャンさん、とんねるずさん、ダウンタウンさんには今でも憧れています。内村さんの一人舞台だったり、南原さんも狂言に目覚めて全国回ったりとか、木梨さんも個展開いたり、いくつになっても自分を追い込んで挑戦している姿がかっこよくて。どのポジションに行っても安心して怠けた瞬間に芸人として終わりなんだなっていうのは、その姿を見て学びました。だから僕も常に挑戦していく自分でいたいなって思います。
(取材・文=鈴木ゆかり)

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