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“イジられ芸”の価値が向上 先人の愚直な努力で信頼勝ち得る

  • 体を張って“イジられ芸”の市民権を勝ち取った出川哲朗 (C)ORICON NewS inc.

    体を張って“イジられ芸”の市民権を勝ち取った出川哲朗 (C)ORICON NewS inc.

 もはやNo.1リアクション芸人どころか、今や一番勢いがある芸人と言ってもいい出川哲朗。老若男女を問わず「出川さん」と呼ばれ、好感度も高いのだが、かつては「抱かれたくない芸能人」や「嫌いな芸能人」上位の常連であり、一般的な呼称も「出川!」だった。当時、リアクション芸やスベリ芸など、いわゆる“イジられ芸”は、ワンランク下の芸と見られ軽視されていたのだ。ところが今では、いかに上手にイジってもらえれるのか、芸人としての技量が求められることも浸透し、世間でも“イジられ芸”が、リスペクトの対象となっているイメージさえある。

“イジられ芸”の先駆者だった片岡鶴太郎、だが一般的な認識の低さからか役者へとシフトチェンジ

  • おでん芸を披露!(左から)川口春奈、上島竜兵 (C)ORICON NewS inc.

    おでん芸を披露!(左から)川口春奈、上島竜兵 (C)ORICON NewS inc.

 “イジられ芸”のルーツは1980年代前半、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)の片岡鶴太郎、稲川淳二あたりにあるとされる。実際は稲川の登場はわずかだったが、鶴太郎がビートたけしに熱々のおでんを無理やり口に入れられたり、わざと熱々のコンニャクを鼻や頬など口以外に押しつけられて苦悶するという、いわゆる“おでん芸”がここからスタートしたのだ。

 また、稲川淳二にしても『ひょうきん族』のみならず、他のバラエティ番組で「猛獣のいる檻に閉じ込められる役」的なポジションを獲得しており、両者ともイジられ芸人の先駆者だったのである。

 さらに当時は、イジられ芸人というのは“自分の芸がない芸人”と、一般人にもバカにされる傾向があった。鶴太郎が役者路線にシフトしたり、芸術家やボクシングに走ったのも、そうしたポジションの影響があったからなのかも知れない。

ダチョウ、出川哲朗、松村邦洋が“イジられ芸”を確立! 世間からの冷遇から精神的な疲弊も

  • 『進め!電波少年』で存在感を発揮した松村邦洋(C)ORICON NewS inc.

    『進め!電波少年』で存在感を発揮した松村邦洋(C)ORICON NewS inc.

 一方、1989年にはじまる『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)では、たけし軍団以外の出川哲朗、ダチョウ倶楽部などが“リアクション芸”で存在感を発揮していく。また、ダチョウ倶楽部は同事務所だった片岡鶴太郎の“おでん芸”を継承、もはや日本の“伝統芸能”化している。さらにダチョウ倶楽部のもう一つのお家芸、“熱湯風呂”も同時期の『スーパーJOCKY』(日本テレビ系)で確立された。こうして見ると、イジられ芸のメジャー化においては、ビートたけしの功績はかなり大きかったと言えるだろう。

 イジられ芸のメジャー化・拡大化は、1990年代初頭に『進め!電波少年』(日本テレビ系)ブームをもたらし、少なからず社会にも影響を与えるようになる。当初は松村邦洋をはじめ、ほぼ“イジられ芸”のみで構成されたような番組であり、松村は「渋谷のチーマーを更生する」などの企画で活躍し、チーマーに取り囲まれたり、追っかけられたりする場面をそのまま放送。また、松村の盟友とも言える立場だった出川もチーマーによる“出川狩り”に遭い、「渋谷(なんて)歩けなかった。“(出川を)見つけたらやってしまえ”って。本当にこわかった」と本人が明かしている。

 “イジられ芸”はワンランク下の芸とみられ、誰がイジってもOKだろうという安直な発想が、そのまま世間にもまかり通ったかのような時代となったのだ。こうした、世間の冷たい目にさらされ、精神的に疲弊しながらも、“イジられ芸”の立役者たちは芸人としてのポジションをしっかりと保ち、プライベートを犠牲にしながら愚直に努力を積み重ねていったのである。

“イジられ芸人”の立ち位置がようやく変化 お笑い番組の多様化・細分化が影響

 時代を経てイジられ芸が定着する一方、お笑い番組も多様化・細分化し、制作側も笑いの取り方を構造的に分析したり、視聴者のほうでも高度なお笑いを求めるなど、お笑いに対する知的理解が進む。『アメトーーク!』(テレビ朝日系)ではダチョウ倶楽部がおでん芸について解説するという回もあるくらいだ。お笑いの過程を構造的に解説することで、実は“イジられ芸”にも高度なスキルが必要なのだということが、一般にも認知されはじめたわけである。

 出川にしても、『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)への出演以来、その“取り扱い方”にも徐々に変化が見られる。司会の内村光良に“御意見番”とキャラ付けされたり、「出川イングリッシュ」などで、ガチで出川はおもしろいと認識されると、それまでの一般の呼称「出川!」も、子どもたちを中心に「出川さん」に変化していった。昨年4月には、自身初の冠レギュラー番組『出川哲朗の充電させてもらえませんか?』(テレビ東京系)がスタート、“可愛いおじさん”というポジションに落ち着き、“愛されキャラ”化まで果たすのである。

 そんな出川の実力はまさに“プロ”からも高く評価されており、『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)で新入りメンバーが「二流芸能人で適当に楽しく暮らせたらそれでいい」と発言、さんまが「二流芸能人は、たとえば誰?」と質問、すると「出川哲朗」とのこと。それを聞いた瞬間さんまは真顔になり、「出川は一流や!」と言い放ったのである。
 
 また、ダチョウ倶楽部の上島にしても、いわゆる「竜兵会」という太田プロダクション所属の芸人の飲み会では、上島と肥後のほか、有吉弘行や土田晃之、劇団ひとりなどが参加しており、例の「焼酎の瓶を水と入れ替えても上島は酔って泣いた」エピソードなど、爆笑のネタとなりながらも、後輩芸人たちの上島竜兵“愛”がうかがえるのである。

出川、上島に続く! 気鋭の“イジられ芸人”たちが台頭

 そして今、アンジャッシュ・児嶋一哉の「児嶋だよ!!」やハリセンボン・近藤春菜の「○○じゃねえから!」をはじめ、イジられ芸はいわば“お約束芸”にもなっており、狩野英孝や三四郎の小宮浩信、アンガールズの田中卓志、安田大サーカスのクロちゃんなど、“新・イジられ芸人世代”も育ってきているようだ。

 その汎用性の高さから今では一般層でも“イジられキャラ”という言葉で定着、イジられ芸を“自虐ネタ”としてサラっとこなす人間は、逆に一目置かれる風潮すらあるのだ。

 これまでバカにされてきた“イジられ芸人”が愛され、リスペクトされる対象となったのは、出川哲朗・上島竜兵といった“イジられ芸人”の最前線にいた先人たちの並々ならぬ苦闘と努力が、一般視聴者の信頼を勝ち得た結果と言えるだろう。世間の目が変わったとは言え、“イジられ芸人”はまだまだプライベートを犠牲にしている面も多分にあるようで、日々精神的な葛藤とも無縁ではないことも忘れてはならないだろう。今後の“イジられ芸人”たちの活躍に注目していきたい。

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