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THE ORAL CIGARETTES 山中拓也が紡ぐ“歌詞”の舞台裏 凛として時雨TK、尾崎世界観の凄み、セラピーとしての作詞を語る
⇒この記事をオリジナルページで読む(3月12日掲載)
撮影:石川咲希(Pash) 取材・文:東海林その子
歌詞を書くのは“自分のセラピー”をしている感覚
山中拓也覚えています。今思い出すと笑えてくるんですけど、確か「希望の光」っていうタイトルで(笑)。多分高校生のときに書いて、そんなに苦労はしなかった記憶がありますね。歌詞で悩んだことって、去年くらいまでなかったんじゃないかな。当時は世界観やメッセージ性というものをそこまで気にしていなくて、ただただ音にハマりのいい言葉を乗せていく感覚で詞を書いていました。
インディーズの頃は直接的な言葉で書くのがしっくりこなくて、世界観や架空のストーリーを作り上げて、伝えたいことを遠回しに伝えていました。今では直接的なメッセージを取り入れるようになったので、人生のいろんな分岐点、転機みたいなところで歌詞の書き方は変わっていると思います。
山中拓也そこまでない方ではあったんですけど、いまだにダイレクトなラブソングを書くのはすごく恥ずかしくなりますね。特に昔は、直接的なメッセージを伝えるのは恥ずかしかったですし、正直ダサいって思っていました。今はその強みをすごく感じるし、それを歌うことによって自分自身が奮い立つ瞬間があるので、意外といい方法だと分かってきました。
山中拓也映画は結構観ますね。洋画だと英語で(実際に)喋っていることと、日本語の字幕が全然違うみたいなことがあるじゃないですか。「こういう言い回しするんだ」とか、「こう解釈するんだ」っていうのが面白くて、観ている途中に止めて確認したりします。
ただ、歌詞を作ることに関しては自分のセラピーをしているような感覚。頭の中で回っているものをいかに自分に納得させながら文や詞に落とし込んでいくかという作業なんですよね。そのとき感じていることや自分の思い、あとはよく悩んで落ち込んだりもするので、その状況をそのまま歌詞にすることが多いんです。だからインスピレーションを受けて歌詞にするより、自分から出てくる等身大な言葉しか使っていない気がします。