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外国人が“英語落語”に挑戦したワケ ブロードウェイ公演を機に「今だからこそ“本当の古典落語”を世界に」
落語との出合いは日本の焼き鳥屋!? 好きなものが詰まった最高のショーに一目惚れ
【桂三輝】そうですね。20代からミュージカルを作っていて、古典ギリシャが専門だったんです。ある時、“日本の能楽と歌舞伎は喜劇に似ている”という論文を読んで、1度観てみようと思って軽い気持ちで日本に来たんです。それから日本が好きになって、住むことになりました。
――では、落語に出合ったのはその後?
【桂三輝】大好きでよく通っていた焼き鳥屋さんのマスターが落語会をやっていて、毎月お店でお座敷に寄席を作っていたんです。「こんなに焼き鳥が好きだったら、日本文化の落語も好きなはず」と言われて聞いてみたら、ものすごくおもしろかった! 日本も古典も、笑いも好きだし、ドラマもあって、自分の好きなものが全部入っていて。一目惚れでしたね。
――分かりづらくなかったですか?
【桂三輝】もちろん分からない部分もありましたよ(笑)。でも、十分伝わったし、自分もやってみたいと思いました。知れば知るほどおもしろくて、落語の世界に入りたいと強く思うようになりました。
【桂三輝】最初は、「落語家になりたいなら、まずは(桂)三枝会長(現・桂文枝)の落語を観たほうがいい」と勧められたんです。それで観に行ったら、もう大爆笑だったんですね。2度目の恋に落ちたような気持ちで最高でした。
――運命の恋ですね(笑)。
【桂三輝】本当に最高でした! 三枝師匠の落語をこのままアメリカやカナダでやったら大爆笑だろうなって、想像もできたんですよね。それで、その後師匠のストーカーのようになって、入れていただけることになったんです(笑)。
――三輝さんがおいくつの時でしょう?
【桂三輝】38歳でした。普通はそんなに年をとってる弟子は取らないんですよね。でも、師匠も「海外で落語を広めてくれたら」という私と同じ思いがあって。弟子にしていただいて、名前を頂いた日のことは今でも忘れられないです。
――“三輝”と書いて“サンシャイン”。
【桂三輝】世界中に通用する名前ですし、“お日様のように世界中の方々をあたたかく照らしてほしい”という愛情が込められていて、うれしかったですね。
――実際に落語の世界に入ってみて、何か感じたことはありますか?
【桂三輝】最初は大使館などで、日本文化のプレゼンテーションのような感じでやっていたのですが、どこにいってもウケるのでめちゃくちゃ可能性を感じました。もともとミュージカルの経験があったこともあって、落語をショービジネスとしてやりたいという思いが強くなっていきました。