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【マネージャーインタビュー】川田アナマネージャー明かす、関西から全国進出成功の理由と“セントフォース”の掟
事務所の人が“ミスコン”スカウトしているのは本当?その選出基準とは
杉本悠太社員が全部で14名なので、コミュニケーションも取りやすいですし、とてもアットホームな会社です。社員それぞれをすごく尊重してくれますし、聞きにくいことも全くないですね。このインタビューも社長から笑顔で「お前行ってこい」って言われて、何で僕なのとは思いましたけど(笑)。会社の雰囲気が良いのは、社長の人柄が大きいと思います。
杉本悠太こちらからアプローチする場合や向こうから連絡を頂くこともあります。応募でいうと、毎月100通以上は来ていますね。あとは、大学のミスコン出身の人もたくさんいて、直接名刺を渡したことも何度かあります。ただ“ミス”を受賞していればいいということではなくて、話し方が清楚で品があるかとか、人間的な魅力があるかなども見ています。
――川田さんの場合は事務所からのスカウト?
杉本悠太いえ、彼女の場合は読売テレビを辞めると決めてから、知り合いを通じて紹介された形です。川田の中で「アナウンサーを軸に」という想いがあって、うちの事務所が最初に浮かんだんだと思います。
川田裕美を人気アナに育てたのは錚々たる関西芸人たち「あとは人柄の素晴らしさ」
杉本悠太やっぱり、関西で鍛えられてきたのは大きかったと思います。1年目に仁鶴師匠や(間)寛平さん、若手時代にブラックマヨネーズさんとか、色んな芸人さんや師匠クラスの方々とも共演してきて、全国放送の『ミヤネ屋』も宮根(誠司)さんと4年間やってきた。そこで鍛えられた瞬時の対応力や、現場の空気を読む力を養えたんだと思います。あと身近にいて感じるのは、人柄の素晴らしさ。1度お仕事するとまた声をかけて頂くことも多くて、人を傷つけること以外は、お仕事は基本的に断らない。番組の特徴、特色に合わせて立ち位置もちゃんと考えていますし、あとは連絡の返信がめちゃくちゃ早いんですよ。アンケートもすぐ返してくるし、手書きでちゃんと書いてきます。細かい部分ですが、そういった1つ1つが丁寧なんですよね。
杉本悠太フリーになると決めた時は、ネガティブなシミュレーションをたくさんしていたみたいです。仕事がないかもしれないし、すぐに大阪に帰るかもしれない。マイナスな事をたくさん想像して、それでも「行きたい」と思った。だから、覚悟を持って東京に出てきたので、逆に上京当時はワクワクしていたみたいですね。
――関西と関東のテレビルールの違いに戸惑いはなかった?
杉本悠太最初は少しあったみたいです。大阪では台本が紙1枚で簡単な流れしか書いていないけど、東京では台本に流れが丁寧に書かれている。念のために書かれているだけなのにそれを全部言わなきゃいけないのかとか、戸惑っていましたね。あとは、局アナは基本的に話を聞く立場であることが多くて自分の話をすることに慣れていなかったので、バラエティでどこまで自分を出して良いのか、そのあたりも最初は探り探りだったと思います。