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ORICON NEWS
昼間は映像ディレクターのサンバダンサー、トレーニングで鍛えた美ボディを披露
普段は映像制作ディレクター、大変だけどやり甲斐がある
Hieiさん 友人の結婚式で余興として始めたのがきっかけです。新婦がひとりで南米旅行に行ってしまうようなアグレッシブなタイプだったので、彼女を喜ばせるには「サンバしかない!」というその場の軽いノリで、7人ぐらいで踊りました。
――それはいつ頃の話ですか?
Hieiさん 2011年ですね。
――Hieiさんは、普段どのようなお仕事をなさっているのですか?
Hieiさん 映像制作のディレクターをしています。企業のサービス、商品、イベントなどを紹介するビデオパッケージの制作やケーブルテレビでの番組制作など、映像に関することを多岐に亘ってやらせてもらっています。
――映像の仕事に携わろうと思ったきっかけを教えてください。
Hieiさん 幼いころからバラエティ番組が好きだったというのが大きいですね。25歳で映像制作会社に入り、地上波の番組制作の厳しさ、激しさ、醍醐味を肌で感じながら学んでいきました。大変なことも多い仕事ではありますが、自分が作った作品を多くの人が見てくださること、視聴者の皆さんに笑ってもらえることが何よりのやりがいであり、喜びです。
――仕事においてサンバダンサーとしての経験が活きていると感じることはありますか。
Hieiさん サンバダンサーは脚光を浴びる表の仕事。(映像制作の)ディレクターは表の人たちを支える裏方の仕事。表裏一体の関係なので実際に交わることありませんが、自分が表(出演者)を経験させていただいたことで、その人たちの気持ちを深く理解できるようになりました。自分で番組を制作する場合は、そこも意識しながら作っていると思います。
1回限りのパレードのために1年かけて準備…『浅草サンバカーニバル』は集大成
Hieiさん 週に2〜3回です。
――Hieiさんが初めて『浅草サンバカーニバル』に出演されたときのことを教えてください。
Hieiさん 「感無量」とはこういう気持ちを表すんだと思ったことをすごく覚えています。いまでも夢見心地でふわふわとした記憶しか残っていませんが、自分たちが作り上げたパレードを多くの観客の皆さんに見ていただけることがこんなに幸せなことなんだと初めて知りました。その気持ちは今でも変わっていません。
――『浅草サンバカーニバル』では、優勝チーム「バルバロス」のハイーニャ・ダ・バテリア(女性ダンサーの頂点)を2年務めていますが、初めてハイーニャ・ダ・バテリアに抜擢されたときは、どのような気持ちだったのですか?
Hieiさん ただただ恐縮で…1981年に開催された第1回『浅草サンバカーニバル』から出場しているチームなので、その歴史の重みを感じながら踊るだけで精一杯でした。
――『浅草サンバカーニバル』の魅力、醍醐味はどんなところですか?
Hieiさん 毎年8月に開催される“たった1日”のイベントのためにチーム一丸となって音楽や踊りを考え、衣装や山車まで手作りすること。たった1日、1回限りのパレードのために1年かけて準備を進めていくので、気持ちの上では1年の集大成という感じで踊っています。
――サンバダンサーとしてこれからやりたいこと、目指していることはありますか?
Hieiさん サンバの楽しさをより多くの人に伝えていきたいですね。リズムに合わせて体を動かすこと、音楽に合わせて感情を表現してくことの楽しさを多くの人たちに知ってもらえたらいいなと思います。
――サンバダンスを始めてから、自分自身で変化はありましたか?
Hieiさん ずっと裏方の仕事をしていて表に出ることなんて考えてなかったので、「まさか表に出るとは!」という感じです(笑)。先ほども言いましたが、表舞台に立つことで、表現者(テレビの出演者)の気持ちを理解できるようになったことはとても大きいと感じています。