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東京スカパラダイスオーケストラが30年“止まらない”理由「俺たちはもっとすごいことができると常に信じている」
ツアー直前にメンバーが急死 それでも前進した
「正直、現実的に難しいとは思っていましたが『ここで止まっちゃいけない。リズムボックスでもなんでも使って、ツアーを開催しよう』とメンバーには口をついて出てましたね。一回止まってしまったら、そこからまたこの大きな車輪を転がすのは、ものすごいパワーが必要になると思ったんです。それに東京で“スカブーム”を作ろうと立ち上がった僕らが歩みを止めてしまったら、それを実現する者がいなくなってしまう」(NARGO)
この発言に谷中は「NARGO、すごいこと言ったなあって思いました。だったら俺も“歩みを止めない”方向に付いて行かないとかっこ悪いなと」と語る。亡くなったメンバーが描いていた夢の続きを生きる覚悟を決めた瞬間だ。リズム隊でもある川上は、当時の危機的状況を救ってくれた“あるドラマー”にも感謝した。
「そのツアーでは、BLANKEY JET CITYとして活動していた中村達也さんが急遽サポートとして参加してくれたんです。曲を完璧に再現してくれるドラマーもいたとは思うんですけど、僕らの音楽スタイルに合う人を考えた時、達也さんしか浮かばなかった。スカパラと達也さんだからこそ、熱い音が作れたと思っています」
コラボでは「すべての手の内を明かす」
「谷中さんが歌詞を書くようになったのは、スカパラにとって本当に大きなことでした。特に田島貴男(ORIGINAL LOVE)さんと一緒に作った“歌モノ3部作”の第1弾『めくれたオレンジ』は僕らの歴史の中でも重要な作品。バンドにとってのターニングポイントとなった曲です」(NARGO)
当の本人は、34歳にしての“作詞家デビュー”をこう振り返る。
「素人の自分が書いたものを田島くんに歌ってもらうのは、相当なプレッシャーでしたね。個人的なポエムにならないよう、“スカパラの青春群像”みたいなイメージを頭で描きながら出来た曲でした」
これまで数多のコラボ曲を世にリリースしてきたスカパラだが、最低限の「礼儀」があるという。
「手の内をすべて見せる、ということですね。これまで培ってきたノウハウを全部出し切らないと一緒に演奏する意味はないと思っていて。それをよく表現しているのが、エレファントカシマシの宮本浩次くんからもらった言葉。『僕は最初腰にタオルを巻いて対面しようとしたんだけど、スカパラのみなさんは全裸でした。それで僕もタオルを取らないといけないと思った』と表現していました(笑)」(谷中)