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(更新: ORICON NEWS

頑張る人がフェアに報われる社会を作りたい、SHOWROOM代表・前田裕二氏

前田氏の軌跡とSHOWROOMへの想い

――子供時代や学生時代、音楽やテレビは前田さんにとってどういう存在でしたか?
 音楽は物心がついた時からすごく好きで、とても身近なものでした。一方で、テレビはあまり見られる環境にありませんでした。小さい時は貧しかったので、自分の部屋には当然、テレビがありませんでした。路上ライブでもらったお金で買ったラジオがあったくらいです。学校がはじまってからは、教室でみんながテレビの話をしますよね。その中でみんなの輪に入るために、みんなが話題にしていることをあとで調べて知る、という感じでした。テレビ番組などは、自分の好きな友達や家族から影響を受けて好きになるということが多かったです。

――当時、テレビの人気番組とかを常に見ていたというわけではなかったのですね。
 小学校の時は、そうでしたね。でも、中学生になったら、友達の家によく遊びに行かせてもらうようになったんです。そこで少しずつテレビを見るようになるのですが、やはりその中でもよく見ていたのは、好きな友達グループでよく話題に挙がっている番組や、ちょっとリアリティを感じる番組、例えば『ASAYAN』や『学校へ行こう』などの番組でした。昔から本質的に、コンテンツに対しても、どちらかというと虚構よりもリアルを追い求める癖がありました。また、こうしてコンテンツを消費することに加えて、自分が作る側に回ってみんなに楽しんでもらう、ということもよくしていました。例えば、星新一さんのような短いSFチックな小説をよく書いていました。一人で書くこともありましたが、当時思いついて流行らせたのは、みんなが発信側に回って小説家になれる、「リレー小説」という遊び。やり方はシンプルで、まず小さい手のひらサイズのメモ帳を用意して、片面1ページに、ストーリー(テキスト)と、そこから連想される絵を描く。自分のページが書き終わったら、次は友達に回して、チームで物語を紡いでいく。僕らの中ではこのリレー小説がどんな遊びよりも流行っていて、学校の中でも話題になっていました。よくないことなのですが、あまりにハマりすぎて、授業中もずっと、手紙回しならぬ、「小説回し」をしていました(笑)。

――その頃から前田さん自身、コンテンツを作るのが好きだったんですか?
 そうですね。小学校の時に始めた弾き語りで、誰かのために曲を作ったり弾いたりして、喜んでもらう、という、生みの幸せを体感しました。この、何かを生み出すことによって誰かの笑顔が見れる、という営みは、根源的に自分の性質にフィットしたのだと思います。曲を聴く時も、基本は純粋な聴き手としてじっとしていられない。「これを自分が歌ったらみんなが喜んでくれるかな」とか、「この曲進行は感動的で面白いな、コードはなんだろう」とか、常に”発信前提の受信”だったと思います。テレビに関しても、ぼーっとただスクリーンを見ているということは人生においてあまりなくて、逆に画面に集中しすぎて周囲が心配していることもありました。テレビを見ながら急にメモをとったり、このゲストをここで呼び込んでいるということは、多分、こういう意図があるんだろうな、ということを考えることが癖でした。その結果、テレビを見ている時は、話しかけられても上の空という感じで。周りからは変な子だなって思われていたかもしれないです。

――昔からクリエイター的な制作者目線があったのですね。
 制作者目線というと大げさかもしれないですが、みんなを楽しませるための何らかの種を、一粒でもいいからそこから得たい、吸収したいと強く思っていたと思います。

――学生時代から、将来こういう仕事をしたいとかは考えていましたか?
 中学生の時は、とにかくすぐにでも働いてお金を稼ぎたかったので、「将来」とかは全く考えてなくて、まず中卒でバイトしよう、働こうと思っていました。でも、10個年上の兄に「お前は高校には行った方が良い」と言われて。兄を心から敬愛していたので、割と素直に受け止めて、高校に進学することになりました。

――高校に行って、何か考えは変わりましたか?
 国連やNGOなど、国際協力の仕事がしたい、と漠然と思い始めていました。自分はたまたま日本に生まれたけど、世界というところはもっと広大で、色々な人がいるはずだと。僕自身、先天的にギャップがある人に寄り添いたいという想いがずっとあるのですが、そのギャップの幅というのは、日本よりも海外の方が絶対大きいと。そういう人たちの機会不均衡を埋めていくような仕事ができたらいいなと、当時思い始めていました。

――「ギャップ」に対するその想いは、UBS投資銀行で働かれていた時代の『想い』にも繋がるかと思うのですが、毎日毎朝4時半に出社されていたと。かなりのハードワーカーだったと思うのですが、それを続けられたモチベーションは何だったのですか?
 そうですね。それは単純に「勝ちたい」という想いだったと思います。何に勝ちたいかというと、当然その仕事の中で成果を出して勝ち上がっていって、昇進して、給料を上げていくというのも「勝ち」ですが、もう少し別のところに、「勝ち」のベクトルを置いていた。つまり、「目の前の仕事」ではなく、もう少し抽象的な、「運命」との戦いにおいて、絶対に勝ってやると、そう強く思っていたのだと思います。僕自身、親を早くに亡くしたとか、お金がなくてすごく苦しかったとか、振り返れば色々なハードシップがあったけど、その運命に屈したくない。それら不条理に対する憤りをエネルギー源に転換することで、他の人よりも高いモチベーションで戦って、その結果、果てなき高みにまで這い上がっていくんだと。つまり、先天的なギャップは、後天的な努力でいかようにも乗り越えられるんだと。そういうことを、自分の人生で、仕事に向き合う姿勢で、証明したかった。今は「マイナス100」の人生でも、強い気持ちでその符号をひっくり返せたら、今度は逆に「プラス100」じゃないですか。マイナス幅は大きいだけいいんです。僕の先天的なマイナス100のギャップを、プラス100に転換してみせる。それが今度は翻って、今この瞬間、逆境の渦の中に置かれて彷徨っている、戦っている誰かにとっての励ましになるはずだ。そう信じて、一種の使命感すら感じていました。

――UBS投資銀行で働かれたのは3年間ですが、入社したいと思った一番の理由は『人』だったんですよね。
 そうなんです。株が好きで仕方なかったとか、頑張った分だけ経済的に報われる会社に入りたかったというのはもちろんあるのですが、一つ選べ、と言われたら、やはり『人』でした。UBSには、自分が将来的に何か大きな事を成し遂げたいと思った時に、目先この人をまず超えなきゃいけないと感じる偉大な『人』がいました。UBSに入社して、その方から本当にたくさんの事を教わりました。特に印象的なのは、その人がまわりから「異常に好かれていた」こと。なんでそこまで人に好かれるんだろうと不思議になって観察していると、まず、彼自身が周りの人のことを好きなんですよね。人をよく見ているし、時間を使う。自分の部下や周囲の幸せを心の底から考えている、と感じたんです。人を好きになったように見せかけることは簡単だと思いますが、本当に心から好きになるというのは難しい。仕事において大事なのは、ハードスキルよりもヒューマンスキルだ。人を好いて、好かれて、その人たちと一緒に大きなことを成し遂げるんだ。自分がリーダーとして率先して「与えること」から始めるんだ。そして必ずしもリーダーとしてだけではなく、時にはチームの一番の応援者として、本気で組織やメンバーの成長や成功を考え、願い、動くんだ。こういった、仕事をする上で「これ以上ない」と思えるくらいに大事な哲学を、沢山受け取りました。

――それは今も、前田さん自身が意識されていることですか?
 もちろん。例えば、タクシー。だいたい20-30分くらい乗っていますよね。そこで、一つゲームをしてみるんです。見ず知らずのタクシー運転手のことを、タクシーを降りるまでの数十分間で心から好きになれるかどうか。ただそれだけのゲームです。一見かなり無理がありそうな試みですが、ポイントは、タクシーにさえ乗れば、誰にでもできる、ということ。敷居がすごく低いです。そうして繰り返すうち、人の良いところを見つけたり、人を好きになる能力が劇的に向上した自分にすぐに気づくはずです。例えば、まずタクシーに乗ったら、運転手の方の名前を見ます。苗字ではなくて、下の名前です。「二郎」と書いていたら、次男なのかな? という想像をします。その人が生まれた日に例えば、4歳とか、5歳とか年上のお兄ちゃんがいて、お父さんと二人で心細く、病院でいつ生まれるかというのを待っていて、「お母さん大丈夫かな」と5歳の子が言ってるわけです。そういったことを経て産まれた二郎さんが今、タクシーを運転して、家族がいて、そのタクシーに乗った僕がタクシーの料金を払う。そしてこのお金で家族が生きているんだな、ということをさらに想像する。たった20分ですが、そういった事を想像して話しかけると、その人の人生に想いを馳せることができて、「自分から好きになる」ことがスムーズにできます。

前田裕二氏(C)MusicVoice

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