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(更新: ORICON NEWS

「笑っていいとも!」は僕にとっての学校でした、フジテレビ・木月洋介氏

――学生時代に見ていたエンタメコンテンツは何でしたか?
 小学生の時は『とんねるず』『ウッチャンナンチャン』『ダウンタウン』が大好きで、番組で言うと『みなさんのおかげです』『やるならやらねば!』『ごっつええ感じ』はずっと見ていました。作りモノのコントバラエティが大好きで、クイズ番組も好きでした。当時だと『マジカル頭脳パワー!!』や『笑っていいとも!』の「世紀末クイズ」。中学生、高校生になってもずっと見ていましたね。『ごっつええ感じ』が終わった時は本当にショックでした。

――高校時代は「文化祭」の運営に力を入れていたんですよね?
 そうですね、かなり夢中になっていました。「企画」の楽しさに目覚めたのも高校時代の「文化祭」がきっかけです。周囲と比べて全く異色の店を作りたくて、当時日本にまだ無かったスタバのような「低価格で本格コーヒーが飲める大人向けのお店」を企画し、変なPR映像なども制作していたんですよ。3日間で3000人ものお客さんが来てくれました。2年生でやめればいいのに3年生の時も夢中でやってしまい、それが原因で「受験勉強」に間に合わず、浪人してしまいました(笑)

――大学は「東京大学」に進学された?
 そうですね。でも、元々「東京大学」を志望していたわけではないんですよ。僕の高校が進学校だったので、そこの卒業生は予備校の「東大コース」を無料で受講できた。無料だったので「東大コース」に入ってみようかなと。最初は軽い気持ちだったんです。そのコースに入ると新たに勉強する科目も増えて大変だったけど、当時の講師の先生がすごく面白かった。今で言う『林修』先生みたいな人で、授業も勉強も本当に楽しめたんですよね。『林修』先生がこんな風に有名になる少し前に『笑っていいとも!』に毎週お呼びしていたんですが、それは当時の原体験が大きかった。予備校の先生は魅力的な人が多くて「テレビで人気が出る」というのは昔から感じていました。

――将来「テレビ業界」で働きたいというのはあったんですか?
 全くなかったですね。そもそも、どうやったら「テレビ業界」で働けるのかが分からなかった。正直、テレビ番組を作るのは選ばれた「天才」しかできないと思っていたくらいです。たまたま僕が入った演劇サークルの先輩に「フジテレビ」で働いている方がいて「テレビ局に就職すればテレビ番組が作れるよ」とその時に初めて知ったんです。それからは、明確に「テレビ局」で働きたいというのはありました。高校時代の「文化祭」での経験と、演劇サークルでの「出演者側」「演出側」両方の経験も大きかったですね。

――「フジテレビ」に入社して、「やりたいこと」はあったんですか?
 明確に「コントを作りたい」と思っていました。ドラマや映画にはない「生の熱量」というものが好きで、「演劇」にはそれがあります。僕の中で「バラエティ」は何でもできる世界。「コント」や「生放送」は特に、演者さんやスタッフの「熱量」を感じられるんですよね。

――入社して、希望通り「バラエティ制作」への配属に?
 そうですね。2004年、「めちゃイケ」がメインだった『FNS27時間テレビ』を最初に経験し、『笑っていいとも!』『ココリコミラクルタイプ』のADをやりました。特に、最初の『27時間テレビ』は印象に残っていますね。番組内の「期末テスト」の企画で、生放送中にポッと出てきた話題を、番組の後半で笑いに変換する為の「小道具」を至急用意しろと言われて。正直「急にそんなの無理だろう」と思いましたよ。でもその時の先輩ADに「お前がやるかやらないかで、1時間後の笑いが生まれるか消えるかなんだよ」って言われて。その出来事はすごく覚えてるんですよね。やっぱり『27時間テレビ』ってすごいんですよ。生放送の中で、数時間前に起きたことを短い時間の中で「笑い」に変えていく。「フリ」をどんどん回収していくんです。どういう「フリ」を作るのか。どう回収していくのか。その1つ1つがいかに大事かを、当時教えてもらいましたね。

――その後、ディレクターを経験して、34歳で『いいともグランドフィナーレ』の総合演出に?
 そうですね。「最終回」が発表されてから半年間、「どう締めくくるのが良いのか」をずっと考えていました。バラエティ番組の終わり方って「視聴率」もそうですが、「ボロボロ」になって終わることが多いんですよね。でもやっぱり『笑っていいとも!』は特別な番組ですし、最後は「面白く、華々しく終わりたいな」と、ずっと考えていました。

――プレッシャーはありましたか?
 もちろんありましたよ。本番までの半年間も、もちろん最終回の生放送も。当日は時間を計算しながら、企画進行からCMタイミングまで全ての演出指示をしていました。生放送ですから予期せぬ出来事も当然ある中で、最後の『タモリさんのスピーチ』の時間をしっかり確保しなければいけない。大きなプレッシャーはありましたけど、こういった生放送の経験は『笑っていいとも!』で毎日鍛えられていた。それは大きかったと思います。あともう一つ。僕が「総合演出」として何がやりたかったかというと「普段から生放送である番組の最終回が総集編のVTRだけだとつまらない」。これはずっと思っていました。『笑っていいとも!』は「予定不調和」が一番面白い。その真骨頂が『最終回』で出来たかもしれないです。「出演者」の方々が僕らの予想を遥かに上回ってくる。本当にすごかった。あのグランドフィナーレは『笑っていいとも!』の「32年間の厚み」を出すことができたと思います。

フジテレビ・木月洋介氏(C)MusicVoice

フジテレビ・木月洋介氏(C)MusicVoice

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