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柳沢慎吾、仕事途切れず40年 “笑味期限”知らずのワケとは?
三枚目俳優のキャラそのままに、20代半ばで現在に通じる特異なポジションを確立
その後、1979年にドラマ『3年B組金八先生』(第一期/同)にチョイ役出演したことを皮切りに、ドラマ版の『翔んだカップル』(フジテレビ系/1980年)に出演、『翔んだライバル』(同/1981年)では主演と、俳優として順調にステップアップしていく。そして1983年、柳沢の代表作とも言える『ふぞろいの林檎たち』(TBS系)で一躍、世間的にも知名度を上げた。
同作では仲手川良雄役の中井貴一、岩田健一役の時任三郎とともに三流大学の学生役を演じ、完全に三枚目の役者としてのポジションを確立した。そのキャラの影響もあってか、バラエティ番組では“うるさい”“落ち着きのない”キャラクターを披露。そして1989年、とんねるずの正月特番『仁義なき花の芸能界全部乗っ取らせていただきますスペシャル』(日本テレビ系)で放送された「ねるとんね紅鮭(べにじゃけ)団」(芸能人によるねるとん)で、元おニャン子クラブ・内海和子にフラれた際に言い放った「あばよ!」の決めゼリフでブレイク。20代半ばにして、現在にまで通じる「俳優兼バラエティタレント」としての地位を築いたのである。
(【写真】大人な美脚…柳沢慎吾をフッた元おニャン子・内海和子)
俳優ながら芸人顔負けの“バラエティ力” ジャンル不問の汎用性
そんな柳沢が“笑味期限”知らずなのは、その“汎用性”の高さに起因しているといえるだろう。俳優ながらも芸人顔負けの“バラエティ力”があるため、ときには芸人以上にハマることさえあり、テレビなどでの露出も途切れず、結果的にお茶の間でも欠かせない存在として認知されていく。また、ネタにしても「ひとり甲子園」や「ひとり警視庁24時」のように、一過性のものではなく、ある意味普遍的なネタであり、決して腐ることもない。いつの時代でも“生きた芸”なのである。
柳沢の得意技のひとつ、「あばよ!」に代表される一発フレーズも、今なお“現役”。そのほか、「いい夢みろよ」、「おい、かまいたち」、「お前中三のとき、俺高三っ!」などのフレーズにしても、よく考えれば大したことは言ってないのだが、逆にシンプルすぎるインパクトから、やはり“普遍性”“汎用性”を獲得していくのだ。
底抜けの明るさと愛嬌で派閥知らず 天性の愛され男“慎吾ちゃん”
たとえば、ウッチャンナンチャンとは『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ系)以来の仲だし、「あばよ!」は、とんねるず・石橋貴明の助言から生まれたものという。タモリの『笑っていいとも!』にもコーナーレギュラーとして半年間出演しているし、京本政樹(『火曜サプライズ 京さま・慎ちゃん 都バスで飛ばすぜぃ!』で共演)とは親友と呼び合う仲だ。人柄の良さについては、ズケズケものを言うことで知られる遠野なぎこでさえ、女性誌で「あれほどまでに、裏表のない芸能人を私は見たことがありません」と語っている。
そのハイテンションな喋りから、一発屋っぽさも感じさせるが、実は芸歴40年の大ベテラン。柳沢慎吾が“笑味期限”切れにならないワケは、ひょうきんな言動の裏に隠された「ネタの汎用性を見抜く鋭い目」と、芸能界の派閥争いとも無縁の「人柄」にあるといえよう。十分なキャリアと実績がありながら、“ただの芸達者タレント”に見せているのは、“役者”という基盤があるだけに、柳沢流の高度な“演技”なのかもしれない。