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直木賞作家・辻村深月が映像脚本執筆「新しい時代に自分ができることを考える作家でいたい」

映像として表現する流儀を学ぶことができた

――映像作品の脚本執筆において意識していたことは?
辻村深月正直、なにもありませんでした。私は「ドラえもん」のファンなので、いままではただただ冒険には連れていってもらうだけで、自分から「こういう場所に行きたい」とか「こんなひみつ道具があったらいいな」という視点で作品を観たことがなかったんです。なので、最初の心構えとしては、八鍬監督の世界観を築き上げるアシスタントという気持ちで、プロのライターに徹しようと思っていました。そうしたら、八鍬監督も「辻村さんの頭のなかにあるものを最大限おもしろく映像化することに徹します」と話されていて……。最初はお互い譲り合ってなかなか進みませんでした(笑)。

――そんななか、本作は月への冒険の物語になりました。
辻村深月『映画ドラえもん』は、これまであらゆる場所へ冒険に行っていますが、月だけは手つかずの場所だったんです。月って遠くて近く、近くて遠い天体。現実に行くことは難しいのですが、だいぶ調査が進んでいて、嘘がつけない場所でもあります。藤子先生は、現実の物理や自然界、地理や歴史にとても詳しくて、現実を土台にしたうえでの不思議を描いてきた方。月の裏側に行ってみたら文明がありました……はダメなんです。そこが大きなハードルでした。でも「じゃあ、どうやったら冒険の舞台になるのか」という視点から考えたとき、八鍬監督が「異説クラブメンバーズバッジはどうですか?」と提案してくださって、一気に話が滑り出していきました。

――小説と脚本は違うものでしたか?
辻村深月初めて書いてみて、脚本は「ドラえもん」のひみつ道具みたいだなと思いました。「ミステリアスな月」と書くだけで、ミステリアスな月が映像で出来上がってくるし、「荒涼とした月の大地」と書いたら、その世界ができてくる。すごくいいなとはしゃいでいたのですが、脚本を書いたあと、ノベライズのお話をお受けしたので、その作業が全部自分に跳ね返ってきました(笑)。脚本と小説はまったく違うと話には聞いていたのですが、それを身をもって実感しました。生半可な気持ちでは飛び込めないという気持ちは最初からありましたね。

――そこから得たことはありましたか?
辻村深月作家生活15年になりますが、これまでに自分の小説が映像化や舞台化する機会を何回かいただいたんです。そのつどプロの脚本家の本を読ませていただいてきた経験が、今回の執筆にあたって、私をだいぶ助けてくれました。たとえば、原作から大きく説明が削られた箇所などは、脚本の段階では、作者から見るともう少し説明が必要だと思うこともあったのですが、完成した映像を見ると、その少ない情報量でしっかりと伝わることが多かったり、むしろ短いセリフだからこそぐっとくる場面も多かった。そのたびに、脚本家も演出家も脚本の段階でこの画が見えていたんだなぁと感動していたのですが、今回自分で脚本を書いてみて、いかに限られた言葉で、映像として表現するかという新しい流儀を学ぶことができたのは、今後小説を書いていく上でも大きな収穫になったと思います。

提供元: コンフィデンス

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