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攻めるNHKの本気度が映る、斬新かつ原点回帰のゾンビドラマ『ゾンみつ』

「ゾンビ」に侵されていく感覚を「パイナップル」で表現する脱力感と斬新さ

 ところで、「ゾンビモノ」ということで、この作品に恐怖を期待して観ると、肩透かしを食らってしまうだろう。なぜならアラサー女子のダベリから始まり、日常にゾンビがヌルっと入ってくる様は、すっとぼけた味わいで、ゾンビそのものもB級感たっぷり。わかりやすい怖さではないからだ。

 例えば、三又又三が「酔っぱらってる女の人」を心配して声をかけたら、噛まれるところから「増殖」は始まっている。だが、それも「噛まれた!」=即ゾンビではない。なにしろ日常生活のなかには「ゾンビ」という発想自体がないのだから当然だが、会社に到着し、顔色がどんどん黒ずんでクマが出ているが「体調悪い」と呟くくらいで、何も気づかず、いつものように部下にセクハラギャグをかましたり、「パイナップルのニオイがするなあ。誰か食べてるだろ?」などと言ったりするトボけぶりだ。むしろ「パイナップルのニオイ」から腐敗臭を想像させるところに、遠回しな怖さがある。

 外を自転車で走りつつ、ローテンションで「ああ寒い。死にたい」という脈絡のないつぶやきをサクッとするみずほ。そして、「死にたいわけじゃないけど、ホントにいつ死んでも良いと思ってて、だったらなんで生きてるんだろって思うけど、『なんで』がないと生きてちゃいけないの?とも思う」とつぶやく。

 このつぶやきにハッとさせられる視聴者も少なくないのではないだろうか。しかし、これまで何の執着心もなく、損得勘定のみで淡々と生きてきたみずほが、ゾンビに襲われそうになり、本当に「大の字で寝て、気絶したいと思いながら」状況を受け入れようとするとき、「いつ死んでもいい」と思っていたはずなのに、身体のなかでじわじわと炭酸がはじけるような感覚を覚える。

 そこで初めて「生」を意識し、初めて「きゃ〜」と絶叫するところで1話は終わる。表題にあるように、第2話からが本筋のスタートだろう。そこでは、現代社会のブラックさとともに人間の滑稽さやたくましさがシニカルに描かれていきそうだ。

ヒューマニズムやブラックな笑いはロメロ作品風?

 ゾンビものとしては淡々としていて、チープなおかしさもある本作。ゾンビの怖さより、むしろ襲われる側の心理描写のほうに重きを置いている作りは、ジョージ・A・ロメロ監督の『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)とゾンビ第2弾『ゾンビ』(1978年)を連想させる。ロメロ監督といえば、古くからあるゾンビ像に、吸血鬼システムの「ゾンビに殺された者もゾンビ化する」という要素を追加し、現行のゾンビフォーマットを作り上げた人物である。

 後にこのフォーマットが延々とこすられ、絶叫系ホラー、スプラッタが量産されていくことになるが、逆に量産型の絶叫系、スプラッタ系を見慣れている人が原点のロメロ作品を観ると、あまりに淡々としていて怖さがなく、またB級感もあって、衝撃を受けることも多いようだ。

 本作は、後の量産型ゾンビ作品群とは異なり、昔のヒューマニズムが主題になっているロメロ風味を感じさせる。脚本を担当しているのは、NHKの埼玉発地域ドラマ『越谷サイコー』で脚本を務めた、演劇ユニット「MCR」を主宰する脚本家・演出家の櫻井智也氏。本作で連ドラ初挑戦となり、並々ならぬ意気込みで取り組んでいる。

 懐かしいゾンビの原点のニオイを漂わせつつも、新鮮な印象を与える『ゾンビが来たから人生考えなおした件』。NHKが本気で制作するゾンビドラマは、今クールのダークホースになるかもしれない。
(文/田幸和歌子)

提供元: コンフィデンス

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