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X-GUN、芸人諦めかけた過去も…ボキャ天バブルから20年、廃業の危機を救ったくりぃむ・有田の言葉

X-GUN

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 若手芸人が“言葉遊び”のネタ見せを行い、ランキング形式で競い合ったテレビ番組『ボキャブラ天国』(フジテレビ系)。90年代に一世を風靡し、爆笑問題、ネプチューン、くりぃむしちゅーなどを輩出し、若い女性を中心に絶大なる人気を誇っていたが、番組の終了とともに芸人たちの明暗は分かれてしまった。同番組内にレギュラー出演し、高い人気を誇っていたX-GUNに、当時の状況、放送終了後の20年を振り返ってもらった。

ボキャ天時代はバブルの狂乱…「アイドルになったみたいな状況を楽しんでいた」

――90年代の“ボキャブラブーム”はすごかったですよね。バブルの狂乱のようにも見えていましたが、渦中にいたX-GUNさんはどのように感じていましたか?

西尾 番組に出演していた芸人は“ボキャブラ世代”と呼ばれていて、今でいうところの“第7世代”くらい、アイドル的な人気がありました。追っかけの人数もすごくて、都内の劇場はもちろん地方のイベントでも、毎回、何千人単位のファンが集まってくれていました。

さがね まさかあんなに人気が出るなんて思いもしなかったですよ。何組かのボキャブラ芸人で地方に行ったとき、ファンの人たちが押しかけないよう、駅の構内にロープが張られていて。職員用の出入り口に案内してもらって、そこから会場に向かう…なんてこともありました。

――そのような状況で平常心は保っていられましたか?

さがね 僕たちがブレイクしたわけではなく、あくまでも『ボキャブラ天国』という番組がすごかっただけなので、そこは冷静に捉えていました。実際のところ、同時期に放送していた『ボキャ天』以外の番組には、数えるくらいしか呼ばれていないんですよ。

西尾 でも僕は小さいころから田原俊彦さんとか近藤真彦さんとか、アイドルが大好きだったんで、キャーキャー言われることが「トシちゃんになったみたい!」って楽しんでましたね。

さがね アイドルといえば、「原宿のタレントショップで僕たちの生写真が売られている」という話を聞いて、有田(くりぃむしちゅー・有田哲平)、ザキヤマ(アンタッチャブル・山崎弘也)といっしょに見に行ったりもしましたよ。

西尾 ジャニーズのアイドルとかと一緒に生写真が並んでたんだよね。懐かしいなぁ!

トータル1000本以上のネタ作りも…「“ボキャ天用のネタ”が良い雰囲気を作っていた」

――番組内ではネタに順位がつけられていましたが、出演者の間に競争意識はあったのでしょうか?

西尾 あんまりなかったよね? 順位が良くないと出られなくなっちゃうから、本気でやってはいたけど。楽屋でもずっとしゃべっていたし、収録で誰かがスベっても、全員でいじったり、団体戦でした。本当に楽しかった記憶しかないです。

さがね ギスギスした雰囲気は本当になかったよね。でも、披露するのが『ボキャ天』用に考えたネタだったのがよかったのかも。ウケないとそれなりにさみしかったけど、「本ネタじゃないしな」ってすぐに切り替えられた。負けても「今回はあいつらの方がうまかったな」といった感じで、客観的に楽しみながらやれていた気がします。

――番組は終わると聞いた時はどんな気持ちでしたか?

さがね その前から、時間帯が変わったり、人気メンバーが抜けたりなど兆しはあったので、「この時が来たか」っていう感じでしたね。

西尾 虚無感もありましたが、まず最初に思ったのは、「これでボキャ天用のネタ考えなくていい!」だったかもしれません(笑)。

――ネタ作りはやはり大変だったんですか?

さがね 月に2〜3回収録があるんですけど、毎回40本くらいのネタを考えていました。事前に、制作会社さんにチェックしてもらって、それから数本を収録するんですけど、映像で見てみたらおもしろくなかった…ということもあって、容赦なく「来週撮り直すから、また新ネタを考えてきて」となるので、とにかく毎日、ネタ作りに追われる日々でした。

西尾 つねにノートを持ち歩いて、周りから聞こえてくる声に耳を傾けては、“ボキャブラ風に変えられる言葉”だけを抜き取って書き起こしていましたね。そうしてオチに使えそうなフレーズが見つかったら、今度はそこに行きつくまでのストーリーを考えて…という作業のくり返しでした。数えてはいないけど、ボキャブラ用にコントの形にまで作ったネタは1000本以上あったと思いますよ。

さがね 「これは絶対にウケる!」と思ったネタを通すために、あえて駄作も混ぜて審査に出すんですけど、逆にそっちが選ばれることもあったりして。しかもそれがめちゃくちゃウケたりするので、あのころは毎日、頭を抱えていましたね。

西尾 あったね〜(笑)。自分で作っておきながら「あんまりよくないんじゃないですか?」って言ったりもしたけど、形になってみたらウケたりしてね。なにがウケるかわからないのも、ボキャブラの魅力だったな。

芸人をやめようかと考えたときにもらった有田の言葉「この道を続けていくしかない」

――それからしばらくの間、苦しい時期が続いたと思うのですが、その当時の心境を聞かせていただけますか?

さがね そうですね。やはり収入は少なくなるし、家族も養っていかないといけないので。この辺りが潮時かな…という気持ちが日増しに大きくなっていった時期もありました。

――そこで気持ちが折れずに、芸人として踏みとどまることができたのには、何か理由などあるのでしょうか?

さがね くりぃむしちゅーの有田に「芸人を辞めて、普通の仕事に就こうか考えている」と相談したことがあるんです。でもそこで、「普通の仕事を舐めちゃダメです。この仕事がダメになったから他の仕事を…って、普通の仕事がどれだけたいへんだと思ってるんですか! この道を続けて行くしかないんですよ。それくらい自分を追い込んで、もっと頑張ってください」と言われて。目が覚めた感じがしましたね。

西尾 僕もさがねから、そのやり取りを聞いて、「これまで社会人を経験してこなかった自分が、いまさら他の仕事に就いても、そこで成功するなんて、芸人として売れ続けるのと同じくらい難しい。それなら自分の好きな世界で、どんなに苦しくても、これからも頑張り続けたい」と考えるようになりました。

――お2人にとって有田さんの存在は大きいですね。

さがね ボキャブラ芸人のなかでも特に仲が良くて。今はこういったご時勢なので、なかなか会えていないけど、以前はしょっちゅう、いっしょに飯を食ったり、遊びに行ったりしていました。

西尾 昔から楽屋でも、有田が進行役になって仲間に無茶振りをする…ということをよくやっていたんですけど、こういった形の遊びが大好きで、それをそのまま『全力!脱力タイムズ』という番組にしてしまった手腕は本当にすごいですね。『有田P おもてなす』や『有田ジェネレーション』にも“有田らしい遊び”が詰まっていて、ついつい見入ってしまいます。

さがね もっとX-GUNも呼んでほしいよね。あぁ見えてすごく謙虚で「呼んでよ」って言っても「俺なんかが言ったところで聞いてくれないよ」とか言うんですよ(笑)。

西尾 そうそう! ほんと謙虚だよね。絶対そんなことないでしょって思うけどね(笑)。

“天才”古坂大魔王が売れなかったのが心の拠り所だった?「ピコ太郎のヒットは悔しかった」

――今や当時の仲間たちがバラエティの中心にいますが、悔しいという想いはなかったですか?

さがね やっぱり当時からすごい人たちだったんで不思議と悔しい想いはなかったですね。

西尾 でもずっと芸人たちに「天才だ」って言われてた古坂大魔王が売れなかったのが砦になっていて、「おもしろいから売れるわけじゃないんだ」っていうのを心のよりどころにしてきたのに、ピコ太郎が大ヒットしちゃって。そのときは結構悔しくて「“ボキャブラ世代”なんて言葉がなかったらこんな思いしなくて済んだのに」と思いました(笑)。

――昔は仲があまりよくない芸人コンビも多かったかと思いますが、X-GUNのお2人は仲がよさそうですね。

西尾 専門学校時代からの付き合いで、今でも一緒にいて楽しい間柄です。仕事と仕事の間に時間が空いたら2人でお茶するくらい仲良しです(笑)。僕は気が短いほうで、ちょっとしたことでもイライラしてしまうんですけど、もめそうになったらいつもさがねから折れてくれるんですよ。僕もそれを理解しているので、修復できないほど険悪になったことは一度もないですね。

さがね 西尾はちょっと真面目すぎるんですよ。放っておけばいいのに…と思うようなことでも、目についたらもの申したくなる性格といいますか。逆に僕はちゃらんぽらんな性分なので、意見がぶつかることがほとんどない。それと、笑いのツボが似ているのも、長く一緒にいられる秘訣かもしれないです。

漫才師としての矜持は常に忘れない「まだまだ売れたいという気持ちは持っている」

――お2人は個々でも活動されていますが、現在はX-GUNとして漫才協会にも入会されているんですよね。コンビでの“漫才”に対するこだわりについて、お聞きしたいです。

さがね 「ネタをやれる場所がほしい」というのが、入会したいちばんの理由です。“舞台に立ってネタをする”ことは続けておかないと、お披露目できるレベルの芸を維持できないので。あれだけ引っ張りだこでも、いまだに新ネタを作り続けている爆笑問題を間近で見てきた…ということもありますし、僕たちも漫才師である以上、そこはこだわりたくて。

西尾 僕たちが呼吸を合わせるだけでなく、お客さんの反応によってはアドリブを入れるなど、そうした感覚を磨けるのも、舞台に立ってネタをさせていただくことの醍醐味ですね。

――テレビでは若い世代の芸人も台頭していますね。“第七世代”ブームなどもありますが、ボキャブラ世代として感じることはありますか?

さがね 僕たちのときもそうでしたが、一時期は盛り上がっても、ブームというものはいつか必ず鎮火するので。そのときに備えて、“第7世代であること”以外のウリもしっかり考えて、それを打ち出すことができた芸人だけが数年後も残っているのかな〜と思いますね。

西尾 彼らは賢いですよね。自ら“第7世代”と名乗ることで、世の中に名前を浸透させることができたし、制作側からしても番組の構成を考えやすくなったと思う。僕たちのときは番組が作ったブームに乗っかっただけでしたもん。それこそ今はYouTubeやSNSもあるし、戦略を考えられる頭のいい子たちが、自分たちの好きなことをやって結果を残していく。そんな時代になってきたことをひしひしと感じています。

――ボキャブラのブームを知らない世代も成人している時代になってきました。今後、X-GUNはどうなっていきたいですか?

さがね なんとかして、第7世代に入れてほしいですね。そこで若手から、ガンガンいじってほしい(笑)。

西尾 待ってよ、「入れてほしい」ってなに?(笑)。そうやっていじってもらうこと前提でいる姿勢も良くない…と、よく有田や三村さん(さまぁ〜ず・三村ミサカズ)から怒られているじゃん(笑)。

さがね でも、いじってほしいじゃん! 怒られたいんだよ(笑)。

西尾 僕たちもまだまだ“売れたい”という気持ちはあるので、ひとつひとつの仕事を、その期待に応えられるよう、これからもいろんなことに挑戦していきたいですね。なのでどしどし、お仕事を振ってください(笑)。


写真・文/ソムタム田井

Information

寄席「漫才大行進」に出演中
浅草東洋館で毎月1日〜19日に開催
http://www.manzaikyokai.org/daikoshin


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西尾季隆
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