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デビューから50年を超えたブレッド&バター、スティービー・ワンダーとの意外な関係とは

僕たちはさざ波、夕方になって輝いている

ブレッド&バターのライブカット

ブレッド&バターのライブカット

――ところで昨年50周年を迎えましたが、兄弟でグループを結成するきっかけは?
二弓もともとアマチュアで別々にやってたんですね。兄貴は六文銭で、僕は僕で別のバンドでした。で、僕はバンドで東芝のオーディションを受けたりしてたんですね。その頃、サイモン&ガーファンクルのような男性デュオを作ろうという話が持ち上がって、それじゃ兄弟2人でやろうかという話になったんです。後から聞いたら、東芝のオーディションも受かっていたらしく、そっちを先に知っていたら、ブレッド&バターはなかったかもしれないですね。

――グループ名の由来は?
幸矢ポール・バターフィールドとか、その辺のイメージがいいんじゃないの的な軽いノリで付けた名前ですね。でも、後からよくよく調べてみると、“素晴らしい”とか“ありきたり”とかいろいろな意味があるんです。これはいいんじゃないかってなりましたけどね。スティービーは初めてこの名前を聞いた時、笑ってましたね。
二弓僕たち兄弟は幸矢と二弓で弓矢で一体。バタ付きパンもそれで一体ですから、ちょうどよかったですね。
――デビュー曲が橋本淳作詞、筒美京平作曲の「傷だらけの軽井沢」でした。
二弓自分たちで曲が作れるミュージシャンでも先生方の曲でスタートするっていうのは当時のやり方でしたね。この曲は大きなヒットにはなりませんでしたけど、自分たちとしては、これで売れちゃっても違うのかなという思いはありましたから、良かったのかもしれませんね。

――その後も大ヒットには恵まれずに、でも「あの頃のまま」や「ピンク・シャドゥ」などの誰もが知る多数カバーされている名曲をいくつも抱えるアーティストとして独自の存在感を発揮し続けている訳ですが。
幸矢今になってみると、僕たちはさざ波で、大波になることもなくここまでやってきて、でも時間が経って夕方になるとさざ波ってきれいじゃないですか。そういう存在なのかなって思いますね。
二弓大ヒットがないから、登ってないから、落ちることもないし、楽にやってこられたんじゃないかなと、最近は思いますね。
――2人には湘南のイメージが切っても切れないと思いますが。そこはどう感じていますか。
幸矢これは父親が僕たちに与えてくれたものですね。彼が海が好きで、自然とともに過ごしたいということで湘南を選んで移り住んで、僕たちを自由奔放に育ててくれたことが、その後の僕たち人生に大きな影響を与えた訳ですから。
二弓やっぱり海ですよね。僕たちに大きな影響を与えてくれたのは。僕は今でも湘南に住んでるんですが生活のリズムが違うんですよね。それが音楽にも大きな影響を与えていると思いますね。どっか波に漂っているようなね。あんまり難しいことは考えないで生きてますから。お金がなくても平気ですから。占い師にも、お金なくても大丈夫な人生だって言われたことがあるんですよ。

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