南佳孝、69歳でブルーハーツをカバー&初の冠フェス開催「まだまだロックだぜ」

  “シティ・ポップ”の源流と言われ、ブームのなかでその評価を高めているのが、南佳孝のデビュー作『摩天楼のヒロイン』。今聴いてもスタイリッシュでおしゃれな楽曲が、なぜフォークソング全盛の時代に生まれたのか。また今、ブームが再燃していることについてどう思っているのか。10月30日にリリースするカバーアルバムでTHE BLUE HEARTSをカバー、12月には初の冠フェスを敢行するなど、69歳にして今も精力的に音楽活動を展開する南に、話を聞いた。

松本隆と出会い、「都会なにおいがする洗練されたものをやろう」という話に

  • インタビューに答える南佳孝

    インタビューに答える南佳孝

 南佳孝がデビュー作『摩天楼のヒロイン』をリリースしたのは、1973年9月。その少し前、南は同作のプロデュースを手掛けることになる松本隆と出会った。
「デモテープ作ろうって新宿の御苑スタジオに入っていたら、仲間がどこで出会ったのか松本隆を連れてきたの。ちょうど『はっぴいえんど』が解散するタイミングで、細野(晴臣)さんたちはキャラメルママへ、松本は誰かのプロデュースか、作詞家になろうかってときだった。ある時、松本が『遊びに来いよ』と言って家でいろいろ話していて。そのなかで出てきたのが『今、流行っている音楽と全然違うこと、真逆なことをやろう』ということだったんです」

 当時の音楽シーンは、フォークソングが全盛期を迎えており、ヒットランキングはフォークソング、演歌、アイドルソングが人気を分け合っている状態。2人はそれらとは異なる音楽を生み出したいと考えていた。
「フォークソングや演歌とは違う、もっとモダンで自分たちの気持ちにピッタリなものを作ろう、と。歌詞も甘くて、もっと物語性があって。映画音楽のような、ストリングスが入ってきて、都会なにおいがするソフィスケート(垢抜けた/洗練)されたものをやろうって。結果的に今、それが“シティ・ポップ”って呼ばれているけど、単純に僕らがやりたかったのは、『いいもの、面白いもの、洗練された今までにないものを作りたい』ということだけ。
 俺もジャズやってたから、そういうの書くよって2週間で書きました。松本も、『はっぴいえんど』では歌えない、溜まっていた歌詞があったらしくて。『こんなんどう?』って実験的やっていたら、すぐできたもんね。僕のデビューアルバムはあるけど、これは共作だと思っています。ひとつの映画作るみたいに、監督が松本隆で、僕が主演して、脚本などをやったのが(編曲の)矢野(誠)さんだと思っているので」

ブーム再燃に「もういいですよ。昔の話は(笑)」

 松本隆と南佳孝という2つの才能が出会ったことで生まれた化学反応。その結果、日本の音楽シーンに新たな潮流が生まれたことは確かだろう。
「2人とも東京っ子(出身)だったっていうのはが大きいと思います。とにかくモダンなものが好き。そして『次に来るものは何だろう』って常に考えている。これは今も変わらないですね。特に同年代の音楽が好きな人たちに何が響くのかなって考えながら音楽活動をしています。
 今、“シティ・ポップ”がブームとか言われるけど、もういいんですよ、昔の話は(笑)。ただ、『摩天楼のヒロイン』は全然売れなかったですよ(笑)。松本が、(作曲家の)筒美京平さんと仕事するようになってから、聴いてもらったらしいんですけど、京平さんからは『いいねぇ、君たちは自由で』って言われたみたい。やっぱりヒット曲を生み出さないといけない人から見たら、全部わかったみたいです(笑)」

提供元: コンフィデンス

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