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ORICON NEWS
『ブランチ』10年で培った鈴木あきえの“匠リポーター術”「“昭和くさい”のが私の魅力」
人見知り発動でブランチ当初は毎回ダメ出し「ロケが嫌すぎて行きの電車で泣いてた」
鈴木あきえ仕事への考え方はずっとデビューしてから変わっていないんですけど、ブランチに19歳で入って20代全部お世話になって、公私ともにブランチ一色だったところから、結婚、出産を経て子育て中心の生活に変わって、お仕事ではブランチでの経験を糧に幅が広がった感覚ですね。私にとってブランチって、学習塾とか、人間塾みたいなところだったんです。
――人の懐に入るのがとても上手なイメージのあきえさんですが、もともとは人見知りだったそうですね。
鈴木あきえ昔から初対面の方と話すのは苦手で、ブランチではとにかくすごく厳しく育てられました。毎日、“反省会という名のダメ出し”。最初の3年ぐらいは「わっ」しか言ってないとか、立ち姿しか映っていないということもしょっちゅうで。ロケに行くのも嫌で、行きの電車の中で泣いてたくらい。ロケバスの中には大人たちがいっぱいで、何を話せばいいかわからない。ロケが始まったら初めて会うゲストさんと話す、そのすべてが苦痛でした。そこでまた叱られて、人見知りを直さざるを得ない環境にいるうちに、鍛えられたんですよね。
──泣くほど嫌でも10年半も続けられたのはすごいことですね。
鈴木あきえ今の鈴木あきえを形成できたのは家族のおかげや友達だけじゃなく、ブランチのおかげというのも大きくて。いまだにスタッフと一緒にご飯に行ったりするんですけど、芸能界にいる親戚みたいな、離れてても見ていてくれる安心感があるんですよね。
リポーターは“指名制”の厳しい世界、人間関係がギスギスした時のあきえ流対処法とは
鈴木あきえブランチって指名制なんです。名簿にはいるけど半年も番組に呼ばれていない子もいたり。その中で、私はビジュアル担当ではないなと早々に感じていて。“美人”は他の子に任せた、じゃあ私に何ができる?って考えた時に、やっぱり自分流の言葉選びで“人を輝かせられる存在”になりたいなと思って。
鈴木あきえ自分の個性を押し出すというよりは、ゲストの方に“自分色のスポットライト”を当てられるようになりたいと思ったんです。それははしのえみさんにも教わったことなんですが、初めの方に何もできない私を「昭和くさい!」とかいじってくれて、そこから個性を出しやすくなっていったんですよね。私もそうやって人を輝かすことができる人になりたいなと思いながら、ここまでやってきました。
――はしのえみイズムが受け継がれているんですね。
鈴木あきえあと、19歳の時に一緒にレギュラーをやっていたココリコさんも私を変えてくれた存在です。何もわからないまだ子供で無名の私に、お2人が「今日何食べたん?」とか仕事の話以外でもいつもたくさん話しかけてくれて。それがすごく嬉しくて、“ひょっとしてみんな、話しかけられ待ちなのでは?”と思ったんです。そこから、とにかく何でもいいから自分から話しかけようと思うようになったし、「人見知りです」って自分に保険をかけるのをやめようと思ったんです。自分で人見知りだと言うのって、自分からシャッター降ろしちゃうし、話さないことを許してもらってることになると思うんです。
鈴木あきえ私もありました。でも、以前ゲッターズ飯田さんに「出逢った人はみんな味方だと思ってください」と言ってもらったことがあって。確かに、みんな味方だと思って接すると自然と言葉数も増えるし、自分の接し方が変わるから相手の態度も変わるんですよね。もちろん、たまたま相手の機嫌が悪い日もある。そういう時は相手のテンションを観察して、いつもみたいにガツガツ行くのをやめたり、自分の出方を変えてみると会話がはずんだりします。
――そこで完全撤退するのではなくて、ちょっと引いて出方を変えてみるのですね。
鈴木あきえある種の“鈍感力”は大事ですよね。お仕事でも日常でも、どうしても人間関係でギスギスしてしまう瞬間ってあると思います。私もありました。でも、抵抗したり反論したりせず放っておいたら、自然と変な態度もとられなくなるんです。もし誰かにネガティブな感情を抱かれていると感じたら、無視するわけでもなく媚びるわけでもなく、なんとなく「私は好きですよー」という態度だけは出しておけばいいと思います。