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大河原邦男、モビルスーツの生みの親が語るザク誕生秘話「ガンダムへの反骨心」

  • モビルスーツの生みの親・大河原邦男 (C)oricon ME inc.

    モビルスーツの生みの親・大河原邦男 (C)oricon ME inc.

 日本が世界に誇るポップカルチャーを、アニメ創世記からけん引してきた4人のアーティストが豪華共演。アニメ制作会社「タツノコプロ」を原点に持つ秋本治氏、天野喜孝氏、大河原邦男氏、高田明美氏が、マンガのネーム、アニメの絵コンテなど、さまざまな“ラフ絵”にスポットをあて、作品が生まれる瞬間に迫る展覧会「ラフ∞絵(ラフむげんえ)」を4月2日から16日まで東京都千代田区の3331 Arts Chiyodaで開催する。

 そこで今回、今年40周年を迎える『機動戦士ガンダム』のガンダムやザクなど、“人気モビルスーツ”の生みの親である大河原氏をフィーチャー。クリエイターとしての“枠”を突破したタツノコプロ時代、そして、モビルスーツ誕生の舞台裏について話を聞いた。

『ガッチャマン』の名前の由来はトンボだった?

  • レジェンドが勢揃いした、ラフ∞絵 取材会のようす

    レジェンドが勢揃いした、ラフ∞絵 取材会のようす

  • 『ラフ∞絵』展覧会ビジュアル

    『ラフ∞絵』展覧会ビジュアル

――レジェンドクリエイター4人が同時期にタツノコプロにいたと聞き驚きました。

大河原邦男当時、私は鷹の台のスタジオの所属だったので、残念ながら秋本さんがいらしたのは知りませんでした。プロデューサーの布川(ゆうじ)さんに聞いたところ、ギャグものをやっていた5スタだったようですね。天野さんはタツノコの先輩です。ただ年齢的には、私が24歳で天野さんは19歳。すでにキャリアを積まれていて、あの頃から“天才”と言われていました。高田さんはずいぶん後に入ってきて、天野さんのキャラクター室に席を置いていました。印象深いのは、日本テレビのアニメ『海底大戦争愛の20000マイル』で彼女がキャラ、私がメカを担当したことです。

――大河原さんはタツノコに入社後、すぐにメカデザインを担当されたのでしょうか?

大河原邦男タツノコの美術課は武蔵野美術大学出身の人が多かった。ただ、背景とメカの両方を描ける人が少なかったので、入社してすぐに『科学忍者隊ガッチャマン』のメインスタッフに入れられちゃったんです(苦笑)。

――『科学忍者隊ガッチャマン』のお仕事で印象に残っているデザインは何でしょうか。

大河原邦男『ガッチャマン』は最初、シャドーナイツ、バードマンという仮の名前でしたが、読売広告社(※広告代理店)との会議の席で、むこうの専務が「ウチの田舎ではトンボが合体することを“ガッチャ”っていうんだよ」と言われて、それがきっかけで『ガッチャマン』という名前が決まったんです。その会議の直後に課長からロゴを担当するように言われました。

――あの疾走感のあるロゴですね。これがデザイナーとしての初仕事ですか?

大河原邦男そうです。「鳥が飛んでいるようなロゴ」というオーダーを受けてデザインしました。私は新入社員なのでプレッシャーも特に無く、気軽にデザインしたところ一発OKとなりました。

“定められた枠”に囚われなかったタツノコプロの職人たち

  • 大可原氏がクリィミーマミを描いたレアイラスト/大河原邦男チェンジ・アンド・チャレンジラフ (C) 2019 大河原邦男/ラフ∞絵実行委員会(C) ぴえろ

    大可原氏がクリィミーマミを描いたレアイラスト/大河原邦男チェンジ・アンド・チャレンジラフ (C) 2019 大河原邦男/ラフ∞絵実行委員会(C) ぴえろ

――その後の『ヤッターマン』ではヤッターワンから出てくるビックリドッキリメカ、ドロンボー一味のメカ、お仕置きマシーンなど、毎週大量のデザインを描き起こされています。

大河原邦男『ヤッターマン』のメインメカは中村(光毅)さんが担当し、その他はすべて私がデザインしました。『ガッチャマン』ではシリアスものを105本、『ヤッターマン』ではギャグものを担当し、異なるカラーの作品に携われたのはとても勉強になりました。

――それだけの量ですと、毎日が戦場だったのでは?

大河原邦男手塚治虫さんの『鉄腕アトム』からまだ9年、そもそもアニメ業界全体が若かった。タツノコも20代がほとんどで、19歳の天野さんより若い人もたくさんいた。どのセクションも新しいことに挑戦しようという“野心”に満ち溢れていましたね。

――なんでもやってやろうと。

大河原邦男『ヤッターマン』では、文芸部が作ったシナリオを絵コンテ作成時に無視するんです。さらに、アフレコでは声優たちがアドリブをする。アニメの中と同様に、あのドロンボー一味の“三悪人”がやりたいようにやっていました(笑)。でも、シナリオのままにアニメを作っていたら、あれほど面白いアニメにはならなかったと思います。タツノコの各セクションが、定められた枠のギリギリか、そこを少しハミ出すくらいの遊び心を持っていた。だから老若男女に支持される名作になったんだと思います。

『ガンダム』のムーブメントを支えたのは“女性ファン”

――その後、大河原さんは『ヤッターマン』のようなギャグ路線から、『ガンダム』のようなリアル路線の作品にも関わっていくようになります。

大河原邦男サンライズは『無敵超人ザンボット3』の後、私も携わった『無敵鋼人ダイタンーン3』と立て続けに成功を収め、スポンサーも気持ちが緩んでいたんですね。そこに富野(由悠季)さんが上手く入り込んだわけです(笑)。

――好きな企画を通せるチャンスだと。

大河原邦男まさに、富野さんが「好きなようにやりたい」と意気込んで取り組んだ作品が『機動戦士ガンダム』なんです。ただ、リアリティと言いますが、そもそも18mのロボットが歩けるわけがない(笑)。でもTVを見ている人に「絵空事じゃない」「将来こういう世界になるかもしれない」と錯覚してもらえればいいんです。

――富野監督が創造した世界観にリアリティと説得力があったからですね。

大河原邦男その世界観を、リアル系ロボットでエンターテインメントに昇華させた点が凄かったわけです。そして、当時それにまっさきに気がついて騒ぎ出したのは工業大学の学生たちでした。

――身につまされる作品コンセプトと硬派なSF設定に、“子ども以外”の人たちが気づき始めたわけですね。

大河原邦男当時のアニメファンは男性ばかりと思っている方も多いですが女性ファンも多かった。実は、その現象は『ガッチャマン』の時代からあって、神戸から国分寺まで女性ファンが訪ねてくるなんてこともあったんです。その流れは『宇宙戦艦ヤマト』で加速し、『ガンダム』の時点で大きなうねりとなりました。シャアやガルマなんて当時から女性人気が高かったんですよ。

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