(更新:)
ORICON NEWS
サンミュージック波乱の50年 引きずった岡田有希子の死「お父さんの一言に救われた」
“お笑い”を見出した慧眼「スターはここぞのタイミングを逃さない」
福田時雄最初はゲッツのダンディ坂野だけだったけどね。
――今もダンディさんはCMなどにもたくさん出演されていますね。
福田時雄あれで10年以上続けているから凄いね(笑)。今の社長の相澤正久は、アメリカに留学していて、1970年代にはすでにコメディアンが芸能界の中心にいるのを見ていた。だから、日本でもお笑いタレントを育てようということになったんです。その後カンニング竹山、小島よしお、スギちゃん他多くの人気者が出ました。そして、私は新人開発部門で色々なタレントを発掘しようと。そこからベッキー、塚本高史、小野真弓などが出てきました。
――ベッキーさんといえばバラエティというイメージです。
福田時雄ベッキーはバラエティが好きでね。頭の回転が速いし本当に勉強しています。
――お話を聞いていると、スターになるタレントさんは、才能だけでなく頭が良くて、負けず嫌いというのが共通している気がします。
福田時雄今はコメント力など頭の回転が重要ですね。カズレーザーも物知りで大したもんです。竹山はああ見えて努力家で、新聞を読んだり勉強してますよ。あと大事なのは、男でも女でも華があることですね。桜田淳子の秋田予選の映像はすごいですよ。彼女にだけ光が当たっているように見えます。森田健作も彼がいるだけで回りが明るくなります。スターは作ろうと思っても作れません。我々は機会を与えることはできるけど、後は本人次第。すごい素材でも、タイミングが悪いとうまくいかないこともある。淳子や聖子のように「ここぞ」ってところをきっちり掴んだ人は、一気に駆け上りますね。
芸能界に導くということは、相手の“人生を変えること”
福田時雄相澤(秀禎)が築いたスタッフとタレントの関係性です。
――創業者の相澤秀禎さんは業界内でも人格者として有名でした。
福田時雄相澤を悪くいう人はいなかったです。サンミュージックの3人目のタレントは、相澤が佐渡から連れきた中森重樹です。でも、彼はなかなか売れなくて、今は芸能界を引退して自動車のエンジニアをしています。彼が相澤が亡くなる直前病院に見舞いにきたんです。2人きりで喋っていたから重樹に「何を喋ってたんだ?」て聞いたら、相澤は彼に「俺に合って幸せだったか?」と尋ねたそうです。40年前に佐渡から無理やり連れてきたことを、相澤は死ぬ直前になっても気にしていたと。それに対して重樹は「幸せだからここに来たんだ」って言ったそうです。
――才能を見出して芸能界に導くということは、相手の“人生を変える”ことだという認識が頭にあるんですね。
福田時雄そうですね。無理やり誰かの運命を変えることだから、僕も有希子のことはずっとひっかかってるし、あのときは本当に辞めようと思いました。でも、有希子のお父さんがお葬式のときに「有希子早く亡くなったけれど、人生の縮図のように生きたから幸せでした」って一言言ってくれて、それでただただ救われました。今思えば、楽しくて同時につらい仕事だったけどね、芸能界の歴史を作っていくような仕事をやってきたから、それはよかったと思います。