脚本家・劇作家・演出家の倉本聰さんが9月18日夕、多臓器不全のため自宅で死去した。享年91。倉本さんが理事長を務めていた財団が28日、発表した。同日、『北の国から』ゆかりの俳優らが追悼コメントを出した。 音楽を手掛けた、シンガー・ソングライターのさだまさしは自身のインスタグラムで「せっかちで頑固で喧嘩っ早い倉本先生。大好きな紅葉も落葉も雪も待てずに秋の香りのする日に、ぷいっといなくなりました」と伝えた。「一途で不器用で芸に厳しい倉本先生。歴史に残る名作『北の国から』の音楽を、若造の僕を信用して、ぽいっと全部任せて下さった侠気の人。大恩人でした」と、その英断に感謝。思い出を振り返った上で「もう少し仕事でご一緒したかったです。さようならは言いません。先生またね」と結んだ。 黒板純役を務めた俳優の吉岡秀隆は公式サイトで「倉本聰先生ご逝去に際して」と題したコメントを掲載。「倉本先生と出会えたこと、神様に感謝します。」と記し、倉本さんへの思いを伝えた。 『北の国から』で俳優デビューした横山めぐみは所属事務所を通して「当時は『倉本聰の秘蔵っ子』とメディアに取り上げていただきました」と回顧。「『セリフの語尾を変えない。語尾にはその人物のキャラクターを表現しているのだから。』という先生の教えが忘れられません」と悼んだ。さらに「お酒の嗜みも先生に教えていただきました」とし、最後に「倉本先生の『北の国から』のおかげで、今の私があります。感謝の気持ちでいっぱいです。心の整理がまだついておりませんが、倉本先生のご逝去を悼み、心よりご冥福をお祈りいたします」と悼んだ。 富良野市の北猛俊市長は名誉市民である倉本さんの追悼コメントを発表。『2002 遺言』が放映された2002年には、市の観光入込客数が統計上過去最高となる249万人を記録。スキーを中心とした冬季観光から夏季観光へと発展する転機になったことを伝え「倉本先生が本市に居を構えられて以来、およそ半世紀にわたり、私たち富良野市民に数多くのかけがえのない財産を残してくださいました。 また、ご講演や演劇、著作活動などを通じて、多くの示唆と学びの機会を与えてくださいましたことに、心より感謝申し上げます」と伝えた。
2026/09/28