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ディズニー実写『アラジン』大ヒットの背景に「映画魔法の現代化」

「ガール・ミーツ・ボーイ」として物語を反転させた鮮やかさ

『アラジン』来日マジック・カーペットイベント

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『アラジン』は確かに魔法をめぐる物語だ。アラジンはジーニーと魔法の力をかりて、奇跡を起こす。そして、そのことによって王女ジャスミンにとって大切な王国アグラバーの窮地は回避される。だが、そんな魔法の力を持ってしても、ジャスミンそのひとのアイデンティティ・クライシスは救われない。ジャスミンは言ってみれば、自力で自分自身を救出し、己の道を切り拓く。そのようなエンディングになっている。魔法すら乗り越える、ひとりの女性の「現実」のエネルギーを称賛しているからこそ、実写『アラジン』は真の意味で現代的な作品たりえている。

 映像をめぐる技術は、1992年に較べ、格段に進歩した。アニメーションでしか表現できなかったものも実写化できるようになった。それは魔法かもしれないし、映画というメディアは、出発点から進化にいたるすべてが魔法なのだと論じることも可能だ。実写『アラジン』はだから、魔法によって実現した作品ではある。だが、アラジン側からではなく、ジャスミン側から本作を捉えたとき、魔法の意味は変幻するだろう。
 ラストシーンの解釈は、観客によって違うだろう。だが少なくとも私には、この物語が、アラジンがジャスミンを見初めたのではなく、ジャスミンがアラジンを発見したことからすべてが始まっていた、と受け取れた。「選ばれる」受動的な女性ではなく、「選ぶ」主体的な女性の姿がそこにはあり、それはごく当たり前のことなのだ、という宣言が感じられる。

 前述したようにジャスミンは特別「強い女性」として描かれているわけではない。おそらくはどんな女性にも、あらかじめ備わっているであろう、「現実」を見極める原初の力が、ジャスミンを通して表出されていると思った。

 この映画における魔法とは、「ボーイ・ミーツ・ガール」と思われていた物語を「ガール・ミーツ・ボーイ」として反転させることである。その鮮やかさにこそ、2019年ならではの新しさがあり、それゆえに多くの観客に受け入れられているのではないだろうか。
(文/相田冬二)

提供元: コンフィデンス

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