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ディズニー実写『アラジン』大ヒットの背景に「映画魔法の現代化」

肝要な点はファンタジーではなく、女性と男性の「現実」

ランプの魔人ジーニーを演じるウィル・スミス

ランプの魔人ジーニーを演じるウィル・スミス

 活劇派と呼んでいい英国出身のガイ・リッチー監督の起用は当初、アクションを重視した映画の作りを想定させる。事実、一気呵成にたたみかける幕開けのシークエンスは実写ならではの躍動感に満ちあふれている。主人公アラジンとヒロイン、ジャスミンの出逢い、その後の展開におけるテンポの軽快さはなるほど、ガイ・リッチーならではと感じさせる。

 だが、本作の主眼は、活劇とロマンスの融合にあるわけではないことが次第に氷解していく。序盤のアクション・シークエンスはあくまでも「導入のサービス」。言ってみれば食前酒、シャンパーニュのようなものだ。

 誤解をおそれずに言えば、この映画は、貧しい青年アラジンが、王女ジャスミンと結ばれる「ボーイ・ミーツ・ガール」物語ではなく、変装して街に繰り出した王女ジャスミンが、やがて彼女と同じように変装し王子として求婚することになる青年アラジンを見出す「ガール・ミーツ・ボーイ」物語として設計されている。ストーリー自体は、アラジンの冒険として繰り広げられていくし、ファンタジーとしての側面はアラジンにその主軸はあるが、この映画の肝要な点はファンタジーではなく、女性と男性の「現実」にこそある。

 もちろん、人気キャラクターであるランプの魔人ジーニーをウィル・スミスが演じることで求心力が増強され、アラジンとジーニーの友情劇も一段と盛り上がってはいる。だが、それはあくまでも彩りにすぎない。

ジャスミンこそが実写『アラジン』の真の主人公ではないか

プレミアム吹替版でアラジンを演じる中村倫也(右)とジャスミン役の木下晴香

プレミアム吹替版でアラジンを演じる中村倫也(右)とジャスミン役の木下晴香

『アラジン』と言えば、名曲「ホール・ニュー・ワールド」がよく知られている。今回もアラジンとジャスミンが魔法の絨毯で夜間飛行する場面でデュエットされる。『アラジン』の代名詞と呼ぶべきシークエンスだ。だが、それ以上に強力なインパクトを残すのが、今回の実写版のために書き下ろされた新曲「スピーチレス〜心の声」。ジャスミンのソロ曲である。

 アニメ『アラジン』にはジャスミンのソロ曲はなかった。だが実写『アラジン』では、ジャスミンの王女としての決意が、人間としての誇りが、高らかに歌い上げられる。そのとき、ジャスミンは「アラジンにとってのヒロイン」ではなく、「自立したひとりの女性」としてスクリーンの中央に立っている。その傍らにアラジンはいない。

 個人的には、その瞬間、ジャスミンこそが実写『アラジン』の真の主人公なのではないかと悟った。なぜなら、恋心と同じくらい、いや、ひょっとすると恋心以上に大切な彼女の価値観を、ジャスミンはそこで堂々とメッセージにして発信していたからである。

 ジャスミンは決して勝ち気なヒロインとしては描かれていない。もっとフラットで、聡明で、精神年齢が高い。なぜ、王女が国を治め、民のためになる国政を模索してはいけないのか? この疑問に真摯に向き合うことこそが彼女のアイデンティティであり、この姿勢は、アラジンと恋におちてからも、忘れられることはない。

提供元: コンフィデンス

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