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海底のコンクリート道が出現!香川・荘内浦島太郎伝説


瀬戸内には干潮時、海面に道が現れる複数の島がありますが、香川県三豊市本土の荘内半島からその沖の丸山島に現れる道はコンクリート道で、その出現は神秘的。そこは浦島太郎の伝承地の一つなのですが、荘内半島周辺は全国一、浦島伝承地が多い場所。更に太郎が竜宮城に旅立った年と帰郷の年が特定されているばかりか、太郎の生家跡や墓まで伝わっているのです。
おとぎの世界と自然の一大ページェントをご体験下さい。

浦島太郎の生家跡と海底の道の正体

写真:春野 公比呂

古文献「讃岐名勝栞」には太郎が竜宮城に旅立った年を「雄略帝二十二年春」、帰郷年を「桓武帝御世三百四十八年」と記されています。前者は西暦439年のことで、後者は787年。前者の年から逆算すると太郎の生まれたのは西暦420〜422年頃となります。
三豊市詫間町生里(なまり)にある太郎の生家跡の屋号を「新屋」と言いますが、これは三豊市仁尾町家ノ浦にあった太郎の父、漁師の与作の生家が「古家」と呼ばれていたことに対する「新居」という意味です。「生里」は「太郎が生まれた里」という意味。
太郎は母親の「しも」に似て美男で気立てが優しかったと言います。
生家跡には周辺の住宅とは異質の門構えを見せる旧家が建っていますが、この地に伝わる古文書に、ここが太郎の生家跡である旨の記述があるのです。ただ、この家の裏手は屋根瓦が崩れる等し、廃墟同然。それでも旧家ファンや伝説ファンなら一度は訪れたいもの。

写真:春野 公比呂

太郎は17〜18才頃、独り立ちすると市内詫間町箱の箱浦に移り、釣りをして生計を立てるようになります。
そんな5月のある日、太郎は家ノ浦方面から詫間町大浜鴨之越へと釣りに向かったところ、鴨之越の浜で子供たちにいじめられている亀を見つけます。
気の優しい太郎は子供らから亀を買い取り、弱っていた亀に竹筒に入れてあったキビ酒を飲ませ、海に放してあげたのでした。
その浜の沖には無人島「丸山島」があるのですが、干潮時、この島が陸続きとなり、海底のコンクリート歩道が露になるのです。この歩道は島に鎮座する明神社の参道なのですが、ただの海底ではなく、コンクリート道が海中から出現するのは神秘的。

写真:春野 公比呂

このコンクリート道の本土寄りと付近の浜は、坂口憲二初主演映画「機関車先生」のロケ地でもあります。憲二演じる教師と堺正章演じる校長が、教え子の小学生らを連れて歩いたシーンや写生シーンが撮影されました。
丸山島の波止の一つには亀に乗った浦島太郎像が設置されており、撮影スポットになっています。

満潮時にも見える海底の道

写真:春野 公比呂

上陸者の中には社殿のある明神社を「浦島神社」だと勘違いする者もいますが、太郎を祀る浦島神社とは明神社の右横にある石造祠「龍王宮」のことです。荘内地方では乙姫を龍王の化身と考えていることから、太郎も同類と捉えているのでしょう。

写真:春野 公比呂

明神社の左側にある波止も「機関車先生」のロケ地。ラストシーンで、憲二演じる教師が島(架空の離島)を去って行く際、正章演じる校長が波止の先端に立ち、その船を見送りました。ここに立ち、そのラストシーンを思い浮かべると感動が蘇ります。
尚、図示は撮影場所ではなく、波止を指しています。

写真:春野 公比呂

海底の道は水深の浅い所にあるため、満潮時でも県道から見下ろすと、海中に一本の道が通っているのがはっきりと分かります。干潮が近づくとモーゼの十戒の海が割れるシーンのように、海底の道の両側に海水がはけていくのですが、その光景には神威さえ感じます。

分骨された助けた亀

写真:春野 公比呂

亀を助けてから何日か後、太郎はいつものように自宅近くの箱崎にある「どん亀石」に座り、釣りをしていたのですが、夕方、もう帰ろうとした時、いきなり海中から先日助けた亀が現れました。亀は自分の主がお礼をしたいからと言い、太郎を乗せて竜宮城へと旅立ちます。
どん亀石は箱崎の突端、二つ並んだ「大玉石」の間の奥にある小さい石。満潮時は写真のように天辺しか見えませんが、実際、この石の付近は昔からよく魚が釣れます。
尚、箱崎の歩道起点付近にある詫間漁協箱崎支所も「機関車先生」のロケ地です。

写真:春野 公比呂

太郎は竜宮城で乙姫らの歓待を受け、時の経つのも忘れて過ごしますが、やがて故郷が恋しくなり、帰ることになります。太郎は土産に七つの宝と玉手箱を受け取り、乙姫によって半島に送り届けられました。その上陸地を「積(つむ)」と言いますが、これは宝を積み替えた地、という意味。
太郎は帰郷後、長期不在を詫びるため、荘内の七つの浦と島を回って乙姫から貰った宝を配りましたが、この七つの浦と島を総称して「浦島」と言うのです。
しかし荘内では太郎のことを知る者はおらず、太郎は自分の両親も既に他界していることを知ります。
その後、太郎は箱崎西方の漁師町「不老浜」で暮らすようになります。この地名は「不老の太郎が暮らした浜」という意味ですが、後世「室浜(むろはま)」に転訛しました。
室浜は今もひっそりとした集落で、海岸にはどん亀石のような石もあることから、太郎はそれらの石の上でまた釣りをしていたことでしょう。

写真:春野 公比呂

太郎は帰郷してから3年後の西暦790年、半島沖の粟島に自分を竜宮城に案内した亀によく似た特徴の亀の死骸が打ち上げられたことを知ります。早速粟島に渡って確認すると案の定、その亀だったことから、その地に埋葬しました。それが今の亀戎神社です。
太郎は亀の遺骨を分骨して箱峠の「大空」にも墓所を設け、日参すると共に墓所の広場に村の子供たちを集め、竜宮城での踊りを教えました。それが今に続く箱浦の盆踊りです。
墓所は後世、「龍王宮」となりましたが、現在、御神体は撤去されており、祠もフェンス越しに見ることしかできません。

浦島太郎よ、永遠(とわ)に

写真:春野 公比呂

太郎が室浜の自宅から大空の龍王宮へ通う際、座って休憩した腰掛け石が残されています。亀に乗った太郎の石像がある所です。太郎の追体験をするにはもってこいの伝承地と言えるでしょう。

写真:春野 公比呂

太郎はそれから何年か後、孤独感に苛まれ、箱崎の両親の墓前に来て玉手箱を開けてしまいます。太郎は一瞬にして老人と化し、玉手箱から湧き出た煙は紫雲出山に棚引き、夕日を浴びて紫雲になったと言います。
その後太郎は母の里、仁老浜(にろはま)に移り、余生を過ごしました。写真の右側が仁老浜方向です。仁老浜には海面と砂浜が美しい海水浴場もあります。
因みに写真撮影地は県屈指の絶景地、紫雲出山山頂。

写真:春野 公比呂

太郎は自分の死期を悟ると両親の墓前に来て、静かに永眠したのでした。写真の真ん中が太郎の墓で両側が両親の墓です。
生家跡について記す古文書と共にこの墓が伝説に真実味を与え、探訪者をおとぎの世界へといざなってくれるのです。

荘内半島・浦島太郎伝説の基本情報

所在地:香川県三豊市詫間町の荘内半島一帯と粟島
無料駐車場のある伝承地:鴨之越(丸山島の対岸)、箱崎、箱峠、紫雲出山、仁老浜海水浴場
問合せ先電話番号:0875-56-5880(三豊市観光協会)
丸山島へのアクセス(市街地に一番近い伝承地が丸山島です)
車・・・高松自動車道三豊鳥坂ICから約30分、或いはさぬき豊中ICから約35分。
バス・・・JR詫間駅から三豊市コミュニティバス詫間線に乗車して32分で「鴨之越」降車、徒歩数分。
※浦島太郎伝説の各伝承地を探訪時は三豊市観光協会発行の「浦島伝説ガイドマップ」を郵送して貰うと便利。但しどん亀石や太郎の生家跡等、図示に誤りあり。マップや送料は無料。
2018年5月現在の情報です。最新情報は公式サイト等でご確認下さい。

■関連MEMO
浦島太郎伝説
http://www.mitoyo-kanko.com/?p=9419
丸山島の駐車場までの看板
http://www.mitoyo-kanko.com/?p=14482
三豊市コミュニティバス・路線と時刻
http://www.city.mitoyo.lg.jp/forms/info/info.aspx?info_id=10296

【トラベルジェイピー・ナビゲーター】
春野 公比呂

提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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