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加藤綾菜、“毒妻”から“良妻”へイメージ一変 バッシングから学んだ夫の偉大さ「加藤茶はみんなのもの」

「綾ちゃんが叩かれていることが一番苦しかった」変わらず接してくれた加藤茶

  • 介護実務者研修を修了

    介護実務者研修を修了

──かつては綾菜さんに対する心ない声が多い印象でした。

加藤綾菜結婚2、3年目の風当たりのピークが少し去った頃に、加トちゃんがパーキンソン症候群になり、再び「あの女のせいで」と叩かれるようになったみたいです。ただそのときは私も看病に必死で。何しろ加トちゃんの体重も38キロまで落ちてしまったので、世間の声に耳を傾けている暇もなかったのが正直なところでした。

──加藤茶さんの闘病当時、綾菜さんは26歳。「俺が死んだら再婚して子どもを作りなさい」と言われたそうですね。

加藤綾菜はい。そんなこと考えたこともなかったのでびっくりして。加トちゃんがどれだけ私のことを大切に思ってくれているのかを改めて感じましたが、「とにかく舞台に立てるように頑張ろう」と、志村さんとの階段落ちコントの動画を見せたり。その後、リハビリを経て復帰した頃から、少しずつ「加トちゃんが元気になったということは、そんな悪い人間じゃないのかも?」と言っていただけるようになったようです。

──そこから綾菜さんへの世間の評価もどんどん良いものになっていきました。

加藤綾菜今思えば、みなさん加トちゃんを愛する気持ちの裏返しで私を叩いていたんだと思うんです。ただ私はドリフ世代ではないので、ごく普通に1人の男性と愛し合って結婚したつもりでいたんですね。加トちゃん自身、「俺はそんなに有名じゃないから騒がれないよ」と言っていましたし(苦笑)。

──そんな謙遜を?

加藤綾菜だけど、厳しい声を聞けば聞くほど"加藤茶"という存在の偉大さに気付かされ、そこに対する覚悟の足りなさを反省しました。私の夫には変わりないけど、加藤茶はみんなのもの。"みんなの加トちゃん"を守るために、自分も変わらなければいけないんだと世間のみなさんに学ばせてもらったような気がします。
  • 加藤茶の誕生日を祝うために作ったという料理

    加藤茶の誕生日を祝うために作ったという料理

──世間のバッシングが激しかった頃、家族や友人のほかに味方になってくれた人はいましたか?

加藤綾菜たとえば志村けんさん。結婚式のスピーチでは「加藤は2回も結婚できたのに、なんで俺はできないんだ」とおっしゃってましたけど、加トちゃんも「志村はずっと綾ちゃんを応援してくれてたよ」と言ってました。舞台などもよく「1人でもよかったら来ない?」と呼んでくださって、それで楽屋に挨拶に行くと「持ってきな」と、コーヒーとかお菓子とかたくさんお土産を持たせてくれるんです。

──親戚のおじちゃんみたいですね。
加藤綾菜シャイな方なので言葉は少ないんですけど、さりげない優しさが沁みましたね。そんな志村さんとは真逆な励まし方をしてくださったのが井上順さん。加トちゃんが舞台で地方に行っていて私が1人のときなどに、よく「ご飯食べに行こうよ、友だちも連れておいで」と誘ってくださって。で、お店に入るとWピースで「イエーイ!」とハイテンションで迎えてくれる。落ち込んでいたとき、順さんの明るさにどれだけ救われたかわかりません。

──身近な人はわかってくれてたんですね。では加藤茶さんが世間からかばってくれたことは?

加藤綾菜取り立てて何か発言したりすることはなかったんですよ。何年か後に「芸能界で長年やってきた中で、綾ちゃんが叩かれていることが一番苦しかった」と言ってましたけど、その最中には一切動じることなく、出会った頃と変わらない優しさで接してくれて。あの頃は加トちゃん自身もけっこう叩かれていたのに、自分が揺らがないでいることが私への愛だったんだなと、後になって気付かされましたね。

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