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まふまふ、2年ぶり新作は“攻め”の20曲「僕が今出せるすべて」

「人生って楽しいことばかりじゃない」

 その中でも出色は、まふまふをとらえて離すことのない「死生観」を歌った曲――もっと言うなら、まふまふをして音楽へと向かわせる衝動のすべてとも言える楽曲、「生まれた意味などなかった。」だろう。

「今世の中に「生まれた意味などなかった。」みたいな暗い曲を公開しても求められないだろうなっていうのはわかってるんですけど、でも、そういうものを書く人がいてもいいのかな、とも同時に思ったりもして。これは人それぞれかもしれないですけど、人生って楽しいことばかりじゃないと思うんです。楽しいことってほんとは一部しかなくて、たとえば、『友達や恋人ができました』とか、『勉強や仕事でほめられました』とか。でもそういう幸せな時間の外には、つらい日常が平然とあると思うんです。

 朝起きたくないのに起きて、満員電車に揺られて、あんまり話したくない人たちとも話さなきゃいけない場所で、一生懸命一生懸命働いて、その先にやっと少しだけ楽しいことがある、くらいの配分だと思うんです。そんな世界だと、明るい側面だけを見ていたいと思う人もいると思いますが、目を背けたいところに目を向けるような、リアリストな人がいてもいいんじゃないかと思っています」

 そして、その「役割」を宣言しているかのような、この大切な楽曲が生まれてきたきっかけを語る。

「僕自身は、自分は生まれてきてよかったって思ってるんです。でも、今から3、4年ぐらい前かな。外を歩いてたら、怪我をした鳩がうずくまっていて。僕はその鳩をどうにかしてあげられないかなと思って、その場で調べてみたり、Twitterで『傷付いたハトがいるんだけど、どうしたらいいのかな?』みたいなことを言ったりしたんです。

 そうしたら――『どうすることもできないよ』とか、『そんなの偽善だ』とか言われてしまいました。僕はそれに違和感を覚えたんです。僕としては、今目の前でまさに命が絶たれようとしている生き物がいて、ただ助けたいという気持ち、それだけだったのにって。人間って、命を救うこともできれば、命を奪うことだってできて、ものすごいペースで文明を発展させていく力と思考力を持ったすごい生き物なのに、目の前にいる小さな命ひとつ救えないどころか、それを救おうとすることすら咎められることがあると、その一件で気づいて。僕らの手ってもしかして、本当はすごく無力なんじゃないかと思ったんです。

 結局僕は家に帰って、段ボールを持って鳩を迎えに行ったんですけど、その間に鳩はいなくなっていました。どこかの誰かが拾ったのかもしれないし、もしかしたら飛べたのかもしれないし、わからないけど。そのときに感じたことを、いろんな比喩表現を使って書いたのがこの曲だったんです」

「アーティストでもアイドルでもない、新しい何かになれればいい」

 このアルバムはきっと、これまで以上に多くのリスナーに受け入れられるだろう。だが、重要なのは、「ヒット」するという事実ではなく、このアルバムを通して、まふまふという人間が問いかける、20通りの価値観と世界のあり方への疑問、そして、「それでも生きていくことは素晴らしい」というギリギリの肯定が広がり、共有されていくことなのだと思う。

 世界への様々な「視点」を提供し、光と陰を等しく愛し、等価に描き続けること。喜怒哀楽あらゆる感情を等しく見つめ、あの真っ白く澄み切った歌声でと届け続けること――。

 僕たちリスナーは、このアルバムに込められた20曲を聴くことで、まふまふという人が選んだひとつの生き方、いや、彼が「生まれてきた意味」を知ることになる。そして、そのことは、このインスタントな世界で音楽に託されている、唯一無二のコミュニケーションなのではないか。そんなことすら思う。

「光が当たっているところは明るいですけど、逆側に必ず影ができます。これはすべての事象に言えることだと思っているんです。幸せな気持ちになる人がいれば、それに反して不幸な人が絶対にいますし、本当は、なんの影もない明るい空間って絶対に存在し得ないから。僕は、そういうオセロの裏側もめくっていける人でありたいと思っています。

 僕の曲って、散って見えてると思うんです。たとえば、“生まれた意味などなかった。”みたいな曲が好きっていう人が、『まふまふってほかにどんな曲があるんだろう』って聴いたときに、“すーぱーぬこになれんかった”とかを聴いたら、『なんだこれ?』って思う気がするんです。『テンション違いすぎない?』って。『それでもこの歌詞にはこういうところがあって、まふまふの曲には一貫性があるんだ』って感じ取ってくれる人は100人のうちに果たして何人いるんだろう? もしかしたらひとりもいないかもしれない。

 で、それを感じ取っている人が、僕に『アーティストになれ』って言うんだと思うんですよね。名義を変えて、世界観や音使いを統一して、音楽を作ったほうがカッコいいぞって。確かにそれはカッコいいですよね。でも、そうやって『アーティストであろう』としてしまう自分は、もうアーティストじゃないと思うんです。本当にアーティストな人って、やりたいようにやっていたって『アーティスト』なんじゃないかなって思うんです。

 そう考えたとき、僕がこれからアーティストぶったことをしたとしても、本当に折り合いをつけることはできないんじゃないかなって思ってしまう。確かにそういう未来もあったかもしれないけど、僕には自分の今までの活動をないがしろにしたくないっていう思いもあるから。だから僕は、そのままの自分で、自分のやりたいようにやって、アーティストでもアイドルでもない、新しい何かになれればいいかなと思って、今やってます。だって、僕の肩書は『何でも屋』ですから」

 愛すべき「何でも屋」がその存在の意味を探り、その理由を刻みつけるように生み出した『神楽色アーティファクト』は、まふまふという新たな革命者のポテンシャルが存分に発揮された、文句なしに素晴らしいロックアルバムだと、僕は思う。

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