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バンドに人生を捧げた男、TAKUROが語るGLAY論

 11月22日にニューシングル「WINTERDELICS.EP〜あなたといきてゆく〜」を発売するGLAYから、TAKUROがインタビューに登場! リーダーとしてだけではなく、20年前からプロデューサー的視点でGLAYを見てきた彼。そんなTAKUROだから語れる、バンドの哲学とは? メンバーを傷つけてしまった経験、そして3人からのもらった“感謝状”のエピソードも明かす。

極論を言えば、歌なんて全部ラブソングじゃないか

――ニューシングル「WINTERDELICS.EP〜あなたといきてゆく〜」は、“名曲「ずっと2人で…」から20年の時を経て紡ぐ新たなストーリー”とのこと。TAKUROさん作の王道ラブバラードは久しぶりですが、どんなきっかけで?
TAKURO 極論を言えば、歌なんて全部ラブソングじゃないかと思ったりしますけどね。だって、怒っていても、泣いていても、激しい感情が生まれる根っこには必ず愛があるはずだから。とにかくここ10年、GLAYの中で俺がすべきことは、HISASHIの持つサブカル的な要素や、高校時代から変わらないニッチな部分を、GLAYの武器としてきっちり正しいタイミングで、正しい場所に届けることだったんです。あとはHISASHI に限らず、メンバーの才能をもっともっと伸ばす時期だと思った。だから、シングルに関しては、ある時期からTERUがメインで作って、他の3人がサポートする体勢になったんです。

――実際ここ何年かはSNSの普及もあって、Twitterなどで特に若い世代からHISASHIさんへの注目が高まっています。
TAKURO そうなんです。でも、HISASHI の個性が大衆に受け入れられるようになったら、今度は才能が大渋滞しすぎた(笑)。だけど、このままGLAYのイメージをリードするのがHISASHIになってしまったら、さすがに往年のファンが不安になるんじゃないかと(笑)。それで一回、TAKUROに戻そうと、15年前に原型が作られたまま眠っていた曲を久しぶりに起こしてみました。これは、往年のGLAYファンにお届けする曲です(笑)。

――15年前に、今の曲に近いものがもう作ってあったんですか?
TAKURO 「年が明けたら結婚しよう」という冒頭のフレーズは、90年代末にはもうあって、コンセプトもほとんど変わっていないです。もちろん、こういうのは得意だから、放っておいてもできてしまう部分もあるけど(笑)、15年以上寝かせてからのほうが、説得力を持って演奏できるようになったんじゃないかと思う。ただ、いわゆるGLAYの王道曲としてリリースするタイミングは、2016年ではなかったんです。

グループが成長を続けるとき、ヒット曲なんてものは邪魔でしかない

――それはどういう意味ですか?
TAKURO ヒット曲が生まれるときって、実は楽曲の良し悪しというのはほとんど関係ないと思っているんです。あくまでも、スタッフのみんなとの共同作業であり、時流に乗せる正しい“タイミング”が重要。曲そのものや、バンドのパフォーマンスがいいからヒットするとは限らない。むしろ逆のことだって多いかもしれない(笑)。だから俺が、GLAYのリーダーとしてGLAYのためにやるべきことは、自分たちがピュアな思いで作った曲を、正しい時期に、正しい場所に届けることだった。乱暴な言い方をすれば、グループが成長を続けるとき、ヒット曲なんてものは邪魔でしかないんですよ。90年代の「HOWEVER」とか「Winter,again」みたいに、「GLAYといえばアレでしょ」と決めつけられることほど、バンドの成長を妨げることはない。そのことに気づかせてくれたのは、JIROでした。

――JIROさんは何と?
TAKURO 彼がこだわっていたのは、主にライブに関してです。ライブの最後に「HOWEVER」とか「Winter,again」を必ず演奏するような、ヒット曲に頼るライブを作り続けていくと、飽きられたら終わりになる。「ヒット曲なんてやらなくても、GLAYにはたくさんいい曲があって、たくさんいい作家がいるんだから、それを打ち出していったほうがいい」って。「毎年ツアーをやって、バンドとしては健康なんだから、過去の楽曲にもチャンスを与え、それがヒット曲と同様にお客さんも盛り上がれるような育て方をするべきだ」と。彼の意見によって、気付かされたことはたくさんあります。だから俺自身もここ10年は、90年代のヒット曲のイメージ以外の、作家としての可能性を探していました。2000年代半ばの頃には、ファンの人たちも、俺たちが歩んできた物語をきっちり理解してくれていたし。そんな素晴らしい人たちに支えられているのだから、あとは受ける側の感性に委ねて信じよう、そう思えたんです。実際、TERUが作った 「BLEEZE」は、今ではライブの定番曲ですからね。埋もれていた良曲も、新しくメンバーが生み出す曲も、今は両方GLAYの財産になっている。

★TERU&JIROがGLAYの“神対応”の裏側を語る!

バンドとして楽しく、純度を保つことが俺の至上命題で企業目標

――それにしても、TAKUROさんは、プレイヤーでありコンポーザーでもありながら、20年前からもうプロデューサー的視点で動いていたんですね。
TAKURO GLAYが好きすぎて、GLAYのことしか考えてないですから(笑)。24時間、俺以上にGLAYのことを考えられる人がいたら、時給100万円で雇ってもいいくらい(笑)。

――プロデューサー的視点でいるとき、特に心がけていることは?
TAKURO GLAYには、いい球を投げられるピッチャーが4人いるんです。でも、ピッチャーがいたらキャッチャーがいなきゃいけない。どんな豪速球を投げても、キャッチャーがいなければ受け止められないんです。HISASHIは、高校のときからいつも俺に刺激をくれた。でも、その特別な感性を受け取る側の体勢が、90年代はまだ整ってなかった。それが、マニアックな感性を持つ人たちが繋がれるシステムが普及して、そこがHISASHIのキャッチャーになってくれたんです。でも、彼は今でも、そんなことはどっちでもいいと思っているかもしれないけどね(笑)。だから、俺が心がけていることは、人に合った仕事を作り出すこと。キャッチャーを作ることなんです。人の才能って面白くて、ある時期まではマイノリティに見えても、いつマジョリティになるかわからない。だから、俺はHISASHIに「もっとポップな曲を書いたら?」とは言ったことはないです。どう売るかは俺ら側の問題。できた野菜を欲しい人のところに持っていくのは俺の仕事で、見つからなければ根気よく探す。どうしてもいなかったら、市場を作る。

――すごいですね。人生をGLAYに捧げている。音楽への愛とGLAYへの愛だけで、そこまでできるものなのでしょうか。
TAKURO こんなこと言っていても、俺は結局のところ、ワイワイした雰囲気で楽しくGLAYを続けたいだけ。そのためなら、何でもしようと思っているんです。バンドとして楽しくあり続けること、純度を保つことが、俺の至上命題で企業目標(笑)。

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