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【TAKUROインタビュー】GLAYは一生の仕事「俺の曲を聴いてほしいという渇望感も」

 ロックバンド・GLAYのリーダーであり、多くの名曲を生み出してきたギタリスト・TAKUROが、初のソロインストアルバム『Journey without a map』を発表した。GLAYとしてデビューしてから20年を越え、なぜいまソロとして音楽に向き合ったのか? プロデューサーを務めたB’z松本孝弘との関係、そしてGLAYの行く末までを語った。

夢は「とにかく死ぬまでギターを弾くこと」

――インストアルバム『Journey without a map』が発売されました。TAKUROさん初のソロワーク、しかもプロデューサーがB’zの松本孝弘さん、L.A.での録音、そしてゲストアーティストも超豪華ですが、まずはこのアルバムを作ることになった経緯から教えてください。
TAKUROGLAYとしての目標の他に、ずっと“ギタリスト”としての目標があったんです。それは、俺の大好きなギター、ギブソン・レスポールの生みの親であるレス・ポールさんのようなギター人生を送りたいってこと。ポールさんは、死の間際までニューヨークのクラブでギターを弾いていた。もちろんGLAYとしては、ずーっと音楽活動を続けて、ツアーもやっていきたいんですけど、それとは別に、自宅の近所の小さなジャズクラブでもブルースバーでもいいんだけど、そういうところで弾いている自分をイメージしていて。B’zの松本さんと飲んでいるとき、「俺の夢は、とにかく死ぬまでギターを弾くことなんです。できれば音楽好きな人が集まる小さなクラブで。それが叶うなら、ステージ上で死んでしまっても構わない。でも、だから50までには1枚ソロアルバムを出したいんですよね」なんて話したら、松本さんが「今やれば?」って(笑)。「じゃあ松本さん、手伝ってくれる?」って聞いたら、「手伝う」って言ってもらえたので(笑)。なんて幸運なことなんだろう、と。

――飲みの席でポロっと口にしたことがその場で実現することになったんですね。曲作りはそれからすぐ?
TAKUROそれから1ヶ月ぐらいで10曲以上のデモを作りました。でも、俺としては、出来た曲をレコーディングしてCDをリリースするっていう流れじゃなく、今回は、実際にライブで演奏してみて、お客さんの反応を見ながらアレンジしたいと思ったんです。1月からのGLAYのツアーに絡めて、ツアー先のジャズクラブとかブルースバーで、ラジオの“公録”っていうテイでお客さんを集めて。仲間とセッションしながら、お客さんの表情とか温度感を参考にしながらちょっとずつ手直しして。でもライブはね、基本となるテーマ、リフやメロディ以外は、基本アドリブなので。ノってくると、どうしてもソロが長くなっちゃう(苦笑)。一度、東京スカパラダイスオーケストラの谷中敦さんが参加してくれた時なんか、1曲が8分とか10分ぐらいになって(笑)、トータル2時間半ですよ! でも、そういうセッションを経て、曲が鍛えられました。1曲目の「Lullaby」なんて、アンコールの最中にメロディが浮かんじゃって、「5分ください」と言ってステージ上でメロディを口で歌い、ピアノにコードをつけてもらって、そこから口で伝えながら1曲仕上げちゃった(笑)。あれはミラクルでした。そんなこんなで、6月のレコーディングの時までには、完璧なデモテープが出来上がってました。

GLAYで認められるほど、メロディを崩すことに葛藤も生まれ

――言われてみれば、すごくジャズテイストが強い曲だなと。TAKUROさんのギターのジャズっぽいグルーヴ感というのは、このアルバムが初体験です。
TAKURO正直、GLAYとして認められれば認められるほど、ある種定番感のあるメロディラインを大胆に崩してしまうのは、誠実じゃない気がしていたんです。でもライブでは、本来の音を「今日は半音上げたいんだけどな」なんて思うこともある。メロディ云々よりも、その場で生まれる熱みたいなものを、自由に表現できたのが、このアルバムです。

――TAKUROさんと、ジャズとの接点は?
TAKURO俺、40歳の誕生日から、友人や家族に誕生日を“祝われる”のはやめにして、それよりもいつもの仲間に感謝を込めて、ジャズメンたちと、ジャズのスタンダードナンバーを演奏する会を開くようになったんです。そこで、フリースタイルの面白さにハマったんですね。ジャズって、ソロパートでたまに持ちネタがなくなったとき、その人のありのままが出ちゃったりする。インストのセッションだと、“最終的にはお前を見せろ!”みたいになるんです。だからこのアルバムは、セッションで生まれたものを大事にしている分“まんま俺”(笑)。ちょっと間が空いた時に、気の利いたことを言ってやろうとするヤラシイ感じとか、うまいこと言いたいのに言えていない感じとか(笑)。そうなると、このアルバムのジャンルが何かと聞かれたら、“自分”ですよね。むき出しの、ありのままの自分がいるから、聴いてて恥ずかしい。“わかる、俺こういうところある”みたいな(笑)。だから、照れ臭いけど愛おしいです。

B’z松本孝弘はプロデューサーとして一切ギターを弾かず

  • プロデューサーを務めたB'zの松本孝弘

    プロデューサーを務めたB'zの松本孝弘

――今回のアルバムは、ジャズでもブルースでもロックでもソウルでもJ-POPでもなく、“TAKURO”というジャンルになってるんですね。松本さんから言われたことで、印象に残っているのは?
TAKURO「ミュージシャンとして、TAKUROくんの一番優れているところはメロディだ。だからメロディを大切にしよう」って言われたことかな。“大切にする”って具体的にどういうことかというと、ビンテージのレスポールの3本の中から、曲に一番合う音色を選ぶことだった。ギターって同じ“ド”っていう音階でも、どの弦のどこを押さえて弾くかで、音色が違ってくる。その一番いい音のトーンを探してました。自分の手癖とかを一切捨てて。そしたら、俺自身のキャラクターが、不思議とあぶり出されちゃったんです。だから今回は、俺が音楽をやりながら心底伝えたいテーマというか、胸の奥の炎みたいな、何年経っても燃え盛るこのどうしようもない思いを、まんま伝えられた気がします。

――レコーディングで、松本さんからダメ出しされたりはしなかったんですか?
TAKUROめちゃくちゃありましたよ!(苦笑)。でも、松本さんは優しいから、「俺だったらこうするけどな」「こういうのもあるよね」みたいな言いかたばかりでしたけどね。リズム、メロディ、指を置くタイミングとか、松本さんから提示されるアイディアが、明らかにイイんです(笑)。だから、「それいただきます」って言って3日ぐらい練習して。幸せな環境でした。

――今回、松本さんは、プロデューサーに徹した、と。
TAKUROプロデュースしたアルバムで、松本さんがギターを弾かなかったのは初めてだって言ってましたね。でも、最初にお願いしたんです。「松本さんに弾かれちゃったら、それはあまりに横綱相撲すぎるから、今回はプロデューサーに徹していただけますか? どんなにもどかしくても、我慢して聴いていてください」と。実際の現場では、「俺がいたら弾きづらいだろ」って、そのへん散歩してきてくれたり。今回のアルバム成分は、ギターの音が3分の1、メロディが3分の1、俺自身の人生を炙り出している部分が3分の1。そのどれかが突出しているわけじゃないんです。歌詞を乗せてないのに、こんなに素直に自分のルーツが出てしまうことにビックリですよ(笑)。今回は、ギターに詞を書かせてやろう、歌を歌わせてやろうって気持ちでやっていましたけどね。

――言葉がない分、すごくイマジネーションを刺激されます。
TAKURO嬉しいです。インストはそれが命だと思う。俺、最近、作り手はもっとリスナーを信じていいんじゃないかって思ってるのね。きっと全国のギター少年や、こういうメロディを欲しがっている人はいるだろうから、そういう人たちのところに届けに行く作業をしたいんです。もちろん、GLAYっていう“本体”があるからこそ、できることだっていうのはわかった上で。

20周年直前の頃に初めて自信、GLAYは音楽性の違いで仲違いしない

――プロとして新しいことに挑戦しながら、自分をさらけ出してもいるわけで、せっかくなら一人でも多くの人に届けたいと思うんですね。
TAKURO“売れる”ことの素晴らしい贈り物のひとつに、自分の音楽環境をより良くできるっていうのがあるんです。だから俺は、早いうちから売れることと認められることはイコールで、売れることは“絶対正義”だと思ってきた。曲だって、せっかく生まれてきたからには、いい環境を与えてあげたいじゃないですか。でも、このアルバムを作ることができたのは、GLAYが20周年を迎える直前ぐらいに、ようやく「自分はGLAYに向いてる。リーダーにも向いてる。一生の仕事として、GLAYはありだな」って思えたことが大きいのかもしれないです。

――そうなんですか? わりと最近じゃないですか。
TAKURO正直、それまではGLAYを生涯続けていく自信はなかった。病気か、喧嘩か、考え方の違いか、その原因はわからないけれど、バンドなんていつ何時どうなるかわからない。様々な理由で空中分解して行くバンドをいくつも見てきたので、自分たちだって、先のことはわからないと思っていた。でも、俺はいい曲を書いて、リーダーとしてちゃんとバンドに貢献して、スタジオやステージでは、いいギタリストを演じればいい。ウチにはギタリストが2人いる分、それぞれの個性を認め合って伸ばしあえばいい。ある時そう思えて、なんかスッキリしたんですよ。だから例えばHISASHIに、「明日から全曲俺の曲で、メタルやりたい」って言われたとしても、それはそれでいいと思う。GLAYにそもそも形なんかない。音楽性の違いで仲違いするようなことは、もう絶対にない。それは俺が断言できます。

――心が決まったからこそ、ソロにも向き合えた。
TAKUROそうですね。俺は、とにかくGLAYがすごく大切で、だから将来どう軟着陸させるかを少しずつだけど意識し始めています。結成から考えるともう29年。死ぬまでGLAYをやっていきたいし、そのためにはどんな努力でも苦労でも厭わないけれども、物事には、いつかは終わりがくるわけで……。ただ、40代も半ばにして(笑)、GLAYのギタリスト兼リーダーとしての心が決まった分、音楽に対する熱量が譜面にならない“音”になって、今度のアルバムに表れている気はします。俺はGLAYで、少年時代の憧れの音楽を爆音で弾く。でもそれ以上に、理解されたい自分がいるんだなってことに、今回のアルバムを作って気づいた(笑)。俺の曲を、1人でも多くの人に聴いて欲しいっていう、強い渇望感があるってことが、驚きであり嬉しくもあった。まだまだガツガツしてんなぁ、と(笑)。
(文/菊地陽子)

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