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年末音楽番組を観て考える“生歌”と“エア” テレビにおける歌の表現方法の歴史
歌手は“歌”の表現者であり演者でもある
一方、海外では音楽を「ショービジネス」「エンタテインメント」「アート」と捉えるように、その「魅せ方」に様々な工夫が施されてきた。日本よりも早くからショーアップされた歌番組が流され、ミュージックビデオ(MV)文化が展開された。「魅せる音楽」において主役はアーティストであり、そこに「生歌」は必ずしも必要な条件ではなかったと言える。
それに対して、日本の「歌謡界」では「歌」が主役であり、歌手はその表現者もしくは演者であり、照明やセットはその世界観を具現化する「効果」にすぎなかった。70年代から80年代の音楽シーン、いわば「昭和の邦楽」の象徴でもあった『ザ・ベストテン』(TBS系)や『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)においても、歌唱シーンの基本は「生」だった。
だが、それと並行して、「洋楽」が日本の音楽界に「エンタテインメント性」とともに押し寄せてきたのもまた事実。いつしかMVがプロモーションの主役と化し、歌番組に海外のアーティストが出演するのが決して「レア」なケースではなくなった。彼らは当然のように、番組のなかで「口パク」を効果的に活用し、出演シーンを「エンタテインメント」へと昇華させた。
育まれたリアルとエアが共存する土壌
30年前、40年前に比べると音楽を取り巻く環境は劇的なほどの変化を遂げた。「ただ歌を伝えればいい」から、「生活を彩るために不可欠な」要素にもなったり、「つらいときに寄り添ってくれる」存在にもなったり、「一緒に体を動かしたくなる」教材にもなったりするようになった。メロディの流れも複雑に展開し、かつて「3分間のドラマ」と称された世界観は、5分を超えて人々を感動させる「一大巨編」へとスケールアップした。
年末の音楽祭などで見られるアーティスト同士によるスペシャルなコラボレーションや、日ごろテレビではあまり観る機会のないバンドのパフォーマンスなどでは、そのライブ感を増幅するために「リアル」が求められることが多い。一方、CGやプロジェクションマッピングなどのハイテクを駆使し、そこにアーティストが「同化」するステージを見せ場にする番組では、「エア」がその効力をいかんなく発揮する。
アーティストが「聴かせたい(共感させたい)」のか「魅せたい(楽しませたい)」のか、受け手が「聴きたい(共感したい)」のか「魅了されたい(楽しみたい)」のかによって、求めるものは自ずと異なってくる。計算のうえで緻密に構築された一級のアート――そこにエンタテインメントがあるのならば、生でしか味わえないダイナミズムやエモーションには「プレミアム」感が流れている。
「リアル」も「エア」も音楽を作り上げ、伝えていくうえで欠かせない手法であることに疑いはない。「リアル」には「リアル」にしか打ち出せない重厚感があり、「エア」には「エア」だからこそ魅せることのできる表現のバリエーションが存在する。「どちらがいい」のではなく、「どちらがそのときのパフォーマンスに合っているのか」「今、どちらを自分は欲しているのか」なのだ。
(文:田井裕規)