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蘆名盛氏が築いた東北最大級の中世山城!会津「向羽黒山城」


会津盆地の南部に位置する本郷町には、会津一帯を治めていた戦国大名「蘆名盛氏(あしなもりうじ)」によって築かれた「向羽黒山城(むかいやまはぐろじょう)」が存在します。
その縄張(城の設計)は岩崎山(向羽黒山)を丸ごと使った壮大なもので、中世山城として東北最大級の規模を誇ります。現在も山全体に数多くの遺構が残ることから国の史跡に指定されており、また日本城郭協会の続日本100名城にも選定されています。

会津盆地の南口に築かれた“詰の城”

写真:木村 岳人

蘆名氏は相模国の名門である三浦氏をルーツに持つ一族で、鎌倉時代に会津へと移り「黒川城(現在の会津若松城)」を拠点に勢力を伸ばしました。戦国時代に入ると奥州最大の大名へと成長し、蘆名盛氏の時代に最盛期を迎えます。
盛氏は永禄4年(1561年)に向羽黒山城の築城を開始し、足かけ8年の歳月を費やして永禄11年(1568年)に完成させました。盛氏は嫡男の盛興(もりおき)を黒川城主として家督を譲り、自身は隠居して向羽黒山城に入りました。しかし実際は大御所として引き続き権力を握っており、向羽黒山城もただの隠居城ではなく有事の際に籠る“詰の城”としての役割を担っていたと考えられています。
天正2年(1574年)に盛氏が死去すると蘆名氏は衰退し、天正17年(1589年)には奥州統一を目指す伊達政宗との「摺上原の戦い」に敗れて没落します。その後、会津の領主は伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝と変わっていきますが、会津盆地の南口に位置する向羽黒山城は要衝の拠点として重視され続け、度々改修の手が加えられました。

写真:木村 岳人

現在の向羽黒山城は麓の本郷町から車道が通されており、中腹まで車でアクセスすることができます。山への入口には「城跡整備資料室」が設置されており、詳細な縄張図が描かれたパンフレットや続100名城スタンプが置かれていますので忘れず立ち寄りましょう。
駐車場から城の主郭(本丸)にあたる「一曲輪」までは登山道を歩きます。それほど長い距離ではありませんが、傾斜が急な箇所もありますので動きやすい靴や服装で訪れましょう。

中世山城の防御施設「竪堀」と「堀切」に注目!

写真:木村 岳人

向羽黒山城は岩崎山の全域に曲輪(城の区画)や防御施設を巡らせており、登山道の途中にも様々な遺構が見られます。中でも特に目を引くのが中世山城の防御施設である「竪堀(たてぼり)」と「堀切(ほりきり)」です。
「竪堀」は山腹から山頂にかけての斜面を縦に掘り込んだもので、攻めてくる敵の移動範囲を限定し、迎撃しやすくしています。特に向羽黒山城の竪堀は両側に土塁(土の壁)を盛り上げた壮大なもので、斜面の横移動をより困難なものとしていました。

写真:木村 岳人

「堀切」は山の尾根を断ち切ることで敵が尾根伝いに侵入してくることを防ぐ防御施設です。向羽黒山城では「一曲輪」の西側二箇所に規模の大きな堀切が残っていますので、下山時は尾根伝いのルートをたどるのが良いでしょう。

山頂にたたずむ「一曲輪」の遺構

写真:木村 岳人

登山道を上り詰めたところには、「一曲輪」の出入口である「虎口(こぐち)」が存在します。この虎口は土塁で囲んだ「桝形(ますがた)」となっており、敵の進攻を止めつつ矢を射掛けることが可能です。

写真:木村 岳人

山頂に位置する「一曲輪」は東西約40メートル、南北10〜30メートルの平場であり、土塁や櫓台の跡が残っています。四方に開けていることから眺めが良く、北側は会津盆地を一望でき、また南側は関東地方へ続く下野街道の往来を監視することができました。
平成15年(2003年)に行われた試掘調査では掘立柱建物の柱穴や虎口の土留めと思われる列石が発見されており、比較的長い期間に渡って建物が存在したことが分かっています。

「二曲輪」にはより立派な桝形虎口が残る!

写真:木村 岳人

「一曲輪」から車道を挟んだ北側に位置する「二曲輪」には、東西約30メートル、南北50〜70メートルとより広い平場が存在します。柱を立てるための礎石が発見されており、城主の生活空間であったと推測されます。

写真:木村 岳人

「二曲輪」では北西側と北東側に虎口があり、そのうち北西側のものは立派な土塁に囲まれた桝形虎口となっています。外側には空堀が巡らされており、虎口へ入るには土橋を渡らなければならず、実に堅固な作りで圧倒されます。現在は崩れたり土に埋もれていますが巨石を用いた石積みも見られ、登城する人の目を意識した虎口であったことがうかがえます。

「三曲輪」や「お茶屋場」からの眺めもおすすめ!

写真:木村 岳人

「二曲輪」の北西に広がる「三曲輪」は、主に乗馬の訓練場である馬場として利用されていました。かつては雛壇状の平場が存在しましたが現在はなだらかな芝地となっており、西側の景色を眺めることができます。

写真:木村 岳人

また「二曲輪」の北東側には「お茶屋場」と呼ばれる一角があり、展望台として整備されています。会津若松の市街地を一望することができ、晴れた日には磐梯山も見られます。かつては蘆名盛氏もまたこの場所に立ち、息子がいる黒川城を眺めていたのかもしれません。
他にも向羽黒山城には「北曲輪」「西曲輪」「大手口」など数多くの曲輪が残っており、まさに東北最大級の中世山城と呼ぶにふさわしい規模の城跡となっています。現在は遊歩道の整備も進められていますので、縄張図を片手に散策を楽しんでみてください。中世山城の魅力を満喫することができるでしょう。

向羽黒山城の基本情報

住所:福島県大沼郡会津美里町船場甲
アクセス:
会津若松市中心部から車で約20分
JR只見線「会津本郷駅」から徒歩約60分
JR磐越西線「会津若松駅」から会津バス本郷線で約30分、「インフォメーションセンター前」バス停下車、徒歩約45分
2020年8月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
向羽黒山城跡 - 会津美里町役場(外部リンク)
https://www.town.aizumisato.fukushima.jp/s038/BN020/BN040/20160413172949.html

【LINEトラベルjp・ナビゲーター】
木村 岳人

提供元:トラベルjp 旅行ガイド

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