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上白石萌歌、芝居と歌うことは「逆」 adieu名義で音楽活動「私が私であるために」

 女優・上白石萌歌がシンガー・adieuとして音楽活動をスタートさせた。上白石萌歌といえば、「午後の紅茶」のCMで披露したChara「やさしい気持ち」のカバーで、魅力あふれる歌声を披露。その純粋無垢でありながも、包容力のある歌声が感動を呼び、シンガーとしても早くから耳目を集めてきた。女優として着実にステップアップしているなかで、待望の音楽活動を、それもadieuという名前で本格始動したのには、どんな想いが込められているのか。今の心境を聞いた。

「何者でもない少女」から「上白石萌歌」へ

『申し遅れましたが、私 adieu という名で音楽をはじめることになりました』

 今年の9月某日、上白石萌歌は自身のインスタグラムとTwitterでこのような声明を発表した。adieuとはもともと2017年に公開された映画『ナラタージュ』で同じ題名の主題歌の歌唱を担当したシンガーのことであり、当時はRADWIMPS 野田洋次郎が手掛けた曲を「何者でもない少女の声」というコンセプトのもと、顔も名前も伏せられた状態でリリースされた。それが今になって彼女のことであることが明かされると同時に、新曲「強がり」がミュージックビデオとともにサブスクリプションサービスという形態で発表された。
 adieu=「何者でもない少女」から「上白石萌歌」として本格的に音楽活動をスタートさせることになったその歌声には、スクリーンやテレビを通して知っている「上白石萌歌」とは明らかに違う何かが宿っている。それはいったい何なのか、本人との対話で確かめる機会を得た。

 彼女にとって音楽とは、物心がついた頃から身の周りに溢れているものだったという。音楽好きの両親の影響もあってか、聴くことも歌うことも当たり前のことだった。けど、それが自分にとってかけがえのないものであることを知ったきっかけが訪れる。

「『自分にとって音楽が大切なものなんだ』というのを自覚したのは10歳のころ。私がこの世界に入るきっかけになった『東宝シンデレラオーディション』の二次面接で、初めて人前で歌を歌ったんです。その時に今までにない心地よさというか……もともと音楽は聴くのも好きだったんですけど、自分で表現することの快感だとか自分を誰かに認めてもらったような気持ちになって。そのことが大きいと思います」

「歌を歌っていれば自分でいられる」

 初めて人前で、しかもオーディション会場で歌ったことが音楽に対する「気づき」になったというのも運命的な話だが、そもそも当時の彼女はどうにかして自分の中にある「思い」を吐き出したい、自分自身を解放したいという思いが強かったという。
「もともと……というか今でもそうなんですけど、かなり人見知りな性格で。それこそ昔は『太陽と月なら、月みたい』って言われたりすることもあるぐらい、自分の気持ちを上手く出せないタイプだったんです。その代わりに自分の思いを詩に書いたりとか、音楽を聴いたり歌ったりするのが好きで」

 昔から不器用な性格だったそうだ。人見知りは今なお進行形で、それでも最近はずいぶん人と話すことにも慣れたらしい。そういえば今回取材で会った彼女の第一印象は、ドラマの中での快活な高校生を演じる彼女とはまるで違っていた。とはいえ10歳からこの世界で活動しているだけあって、一旦スイッチが入れば世間のイメージと違わぬ「女優・上白石萌歌」として話を進めようとする。そのコントラストは「強がり」という曲の中で描かれている人物と重なる部分があるような気がした。

「この世界に入った頃は……右も左もわからず無我夢中でやってたんですけど、歌うことはずっと好きで。お芝居って、自分が役に入り込むことで成立するものじゃないですか。けど、歌うことって逆なんですよ。歌を歌っていれば自分でいられるような気がして」

 「私はこうなんだ」――。自分、という人間を正面切って表明できるもの。それが彼女にとって歌うことであるという思いは、女優という活動を通じてより確固たるものになっていく。「聴くことも歌うことも、自分の中に溜まっている感情を吐き出すこと」――。いろんな役柄を演じるうちに、一体どれが本当の自分なのかわからなくなってしまうこともあるという。そんな彼女にとって歌うことは、安心して身を寄せられる大木のような存在になっていった。

「これからはadieuとして、人に寄り添える歌を生み出していきたい」

 2016年、そんな彼女の「歌声」が衆目を集めることになる。「午後の紅茶」のCMへの出演。駅のホームでCharaの「やさしい気持ち」を歌う彼女に、まだ女優として無名に近かった彼女の歌声に、さまざまな感動のコメントが寄せられた。
「たくさんの反応があって……すごくビックリしました。オーディションで『やさしい気持ち』を歌った時は、曲の良さに寄り添うだけで何も考えず歌ったんですけど、それが良かったみたいで」

 純粋無垢で癒されるようなその歌声には、自我や主張はあまり感じられないぶん、聴き手を優しく抱きしめるような包容力があった。そんな魅力を持った声だからこそ、後に「adieu」として彼女が起用されたのだろう。しかし、彼女にとって歌うことはもっと切実な行為である。人見知りで不器用だけど、歌でなら自分の感情をちゃんと伝える事ができるし、それをもっと形にしてみたい。その思いがより明らかになった今、彼女はadieuとして本格的な音楽活動を行う決意をした。

「役のセリフとしてなら言えることがあるように、歌を通してだったら言えることがあると思ってて。そういう表現をしていきたい……というのが今の自分が思ってることです。あと、今……ギターの練習もしています(笑)」

 「強がり」はそんな彼女の内省を垣間見るような曲だ。〈愛してる 言えたはずなのになんで あなたの言葉待ってる 悔しいわ〉という一節は、まさに彼女自身によるモノローグのようだ。そして寂しさをまとった彼女の歌声は、「本当の自分」を誰かに見てもらいたい、という切実な願望を思わせるものでもある。彼女は役者としてこの世界に入る前から、音楽を通じて「本当の自分」を誰かに知ってもらいたかったのかもしれない。

「誰にでも表には出せない寂しさだったり暗さっていうのはあると思うんです。これからはadieuとして、人に寄り添える歌を生み出していきたいです」

 暗がりの向こうに見える光の美しさ。それこそがadieuとして彼女が歌で表現したいことなのだ。

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