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ゆず、デビュー20周年で新たな一歩! 一番のピンチと意外なNGルールを告白!?

一番のピンチは10周年、「随分シバかれたこともあったんです」

――ゆずが、芸術性と大衆性の両方を内包しているグループであることは、もうかなり浸透していると思うんですが。
北川悠仁 僕らが、常に新しく刺激的なものを作っていきたいんだっていうことは、最近になってようやく伝わってきて、受け入れられてきているのは感じます。昔は、随分シバかれたこともあったんです(苦笑)。

――シバかれた?
北川悠仁 “新しいものを作っていくことは過去を否定することだ”という風に受け取られたこともあったので。でも、新しいものを作り続けていかないと、自分たちが楽しくなくなっちゃうんですよ。でも、20年経ってみると、当時新しく作ったものがスタンダードになって、気づいたらみんなにとって大切な歌になっていった。それを実録で体感できたことは大きいです。

――岩沢さんは、昔作った曲が新たな形で収録されるケースが比較的多い印象です。例えば若い頃に作った歌詞を見て、「我ながら未熟だ」と思ったりすることはあるんでしょうか。
岩沢厚治 もちろん。若い頃の曲なんか、未熟でしかない(苦笑)。でも、未熟だから未完かというと、そうじゃなかったりするんです。曲って、未熟ながらもそれはそれで完成しているので面白いなと思います。結局、音楽ってそのときどきの衝動や情動から生まれているので、常にその曲が生まれた“今”にしか出来ないものを作っているつもりではいます。…なんて、そんなに深く考えてないんですけど(笑)。

――肉体の変化に関してですが、40代に突入して、さすがの岩沢さんも酒量が減ったりは?
岩沢厚治 別に、普段通りです。飲み会も極力開きたいですし、こまめに打ち上げもしたいです(笑)。

――ところで、この20年で一番のピンチを挙げるとしたらいつでしたか?
北川悠仁 うーん、デビュー10周年かな。厳密にいえば2回くらいあるんですけど、10周年は分岐点でした。デビューしてから休まずコンスタントに活動を続けて、そのままのスタイルで続けるか、もっと僕らの音楽を聴いてない人たちのところまで届けにいくか。どちらにするかを決めなきゃならない時期があって、僕らは、もっと僕らの音楽を聴いていない人に届けにいく方を選んだ。

――その時期にシバかれた?
北川悠仁 そう(苦笑)。でもあの時、その道を選んでいなかったら、20周年でドームツアーはやれていなかったと思う。

「バラエティは社会科見学」、知られざるゆずの“NGルール”とは!?

――『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)も、初登場はデビュー10周年の時だったんですよね。20周年の今年は、バラエティ番組でもお2人をよくお見かけします。
北川悠仁 いやー、テレビのど真ん中でやってる人はすごいですよ! 僕、あるロケがあまりに大変で、終わったあと風邪ひいて3日間寝込みましたから(笑)。あと、『嵐にしやがれ』(日本テレビ系)で、相葉雅紀くんがウチのスタジオに来てくれたのは嬉しかったなぁ。あとでテレビを観た近所の子たちから、「相葉くんどうだった?」って質問責めにあいました(笑)。

――どうしてこんなに積極的にバラエティに出演されることにしたんですか?
北川悠仁 僕らの音楽が、1人でも多くの人に聴いてもらえることにつながるなら、どんなことでもやろうと思って。昔テレビに出なかったのは、音楽と向かい合う時間が削られることが嫌だったから。でも今は、時間が許す限り、僕らの音楽を広げていく活動にも積極的になろうと思ってます。

――今以上に人気者になりたいとか、モテたいとかじゃないですもんね。
北川悠仁 いや、モテたいですよ(笑)。
岩沢厚治 人気者にだってなりたいです(笑)。でも、まぁ僕は、バラエティは社会科見学だと思ってるかな(笑)。だって、20周年じゃないとやれないことばかりだから。お祭りの最中だからこういうお話もいただけるわけだし、いい経験をさせてもらっています。

――テレビに出る時、これだけはNGというルールはないんですか?
岩沢厚治(キョトンとして)??? 例えば、「脱がない」とかそういうこと? だとしたら、あります。はい。裸はNGです(笑)。それはさておき、バラエティに出演することも、結局、僕らにとってはすべてが音楽活動なんです。だから、どんな時も自分たちがミュージシャンであることは、忘れないようにしています。
(写真:宮坂浩見 文:菊地陽子)

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