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【ゆずライブレポート】彼らが“国民的”な理由とは? 共存するアーティスト性と大衆性

 2017年にデビュー20周年を迎えるゆずが、11月26日・27日に東京ドームで『ゆず20周年突入記念弾き語りライブ ゆずのみ』を開催。二人にとって3度目となった東京ドーム公演は、ゆず“のみ”ながらド派手な“宴”感あり、名曲にじっくり聴き入る音楽の旅あり、そして何より“路上”感もあり。バラエティ番組『めちゃ×2イケてるッ!』(フジテレビ系)とのコラボまで披露された、27日の極上ライブの模様をお届けする。

東京ドームでも感じる、まるで“路上”のような歌の距離感

 とてもシンプルな構成なのに、1曲1曲がとてつもなく彩り豊かだ。

 『ゆず20周年突入記念弾き語りライブ ゆずのみ』で二人は、ギター2本に歌2声、ときどきタンバリンにピアニカにブルースハープにパーカッションという、路上で歌っていた20年前と変わらない編成で、東京ドームのステージに立った。

 アリーナやスタジアム、ドームなど、様々なサイズの会場で、これまで何度となくゆずのライブを観てきた。ラジオの公開収録で、200人のリスナーを前にしてのパフォーマンスも観たこともある。でも不思議と、どんなに大きな会場になっても彼らはいつも一定の近さで、歌ってくれているような気がするから不思議だ。このライブのオープニングで披露された3曲は、2001年に初めて東京ドームでライブした時と全く同じ曲順だったという。それから15年が経ち、数々の“国民的ヒット曲”を生みだしながら、彼らが音を奏でると、ドームすら“路上”に変わる。それは、おそるべき“初心感”である。パフォーマンスの細部に至るまで、ドヤ顔感というか“おごり”がない。これだけ有名になって、これだけ人気者になったら、ちょっとぐらい「俺たちこんなにすごいんだぜ」と踏ん反り返っても許されるところを、彼らは常に自分たちがデビュー前に路上に立っているような危機感を持って、全力で、歌で心を掴みにかかる。

観客も巻き込みながら、二人の音楽の結びつきも見せる

 ゆずのライブは、聴かせるときはとことん聴かせ、観客を巻き込むときはとことん巻き込む、その振り幅が大きい。例えば、この日誕生日だという男性ファンのために、名前の部分を替え歌にして「贈る詩」を歌い、最後にドーム中が大合唱になった。そのすぐあとで、突然静寂が訪れ、次の曲「春風」では、さっきの大合唱が嘘のように、全員がそこから生まれる音をまるで森林浴でもするかのように体の隅々まで行き渡らせる。あるいは、スーパーリズムファクト「囃子くん」と名付けられたパーカッションを使った「3番線」、5万人の観客が一斉に頭上でタオルを振り回す「Go★Go!! サウナ」のあとに、「飛べない鳥」「心のままに」で、そこにいる全員をゆずの音楽の翼に乗せて、それまでとは全く違う景色の中へ運んで行ったり。観客も交えてのボリュームの変化だったり、テンポの変化だったり、音色の変化だったりを楽しみながら、ゆずとの旅は続いていく。

 「連呼」では、最後のサビの「なんでもないのに泪が」という歌詞の直前に一瞬のタメがあり、そこでリーダー・北川悠仁とサブリーダー・岩沢厚治のギターを上から下におろす動きが、角度からスピードから完全にシンクロしていた。ことさら仲の良さをアピールしたりしない二人だが、長いお辞儀の後、頭を上げるタイミングがピタリと一致していたり、何気ない間合い、呼吸の合わせ方に、19年間休まずに二人の音楽を鳴らし続けた深いところでの結びつきを、垣間見ることができる。

名曲「栄光の架橋」は5万人の大合唱で 巨大“灯籠”も登場

 「まだライブでやっていないことを」と、岩沢、北川それぞれの初のソロコーナーがあり、その後の「栄光の架橋」では、ベートーヴェンの“第九”も真っ青の、5万人での大合唱が。その歌声がとても澄んでいたせいか、5万人の熱量に感動したのか、歌い終わった時、岩沢は自分の頭の上に高く手を挙げると、弾けるような笑顔で客席に拍手を送った。
 二人のサービス精神は止まることを知らず、ライブのクライマックスで、ステージ上のセットが左右に開き、そこから巨大な城郭型灯籠「愛季」が現れた。どんな場所も、路上という“ホーム”に変えることのできる彼らだけれど、ドームというオモチャを与えられたら、そこでしかできないことにチャレンジする。「LOVE & PEACH」では、遊び心満載の映像が振り付けのガイドになって会場中が踊りまくり、「夏色」では、お約束の「もう一回」と「バカヤロー」のコール&レスポンスが何度となく繰り返された。ここまでくるともう、自然発生的な“宴”である。子供も大人も、老いも若きも、男も女も、肩書きなんて忘れて、目の前にある音楽に没頭できる宴。さらにこの日は、「夏色」のコール&レスポンスの途中で、『めちゃ×2イケてるッ!』のキャストが乱入、ナインティナイン・岡村隆史がゆずに楽曲提供を依頼する一幕もあった。

共存するアーティスト性と大衆性とメジャー感、だからこそ“国民的”

 音楽に人生を捧げ、十分に成功しているはずのアーティスト二人が、それでもなお、一人でも多くの人に、自分たちの音楽で目一杯楽しんでもらおうと必死になっている。音楽はもちろん素晴らしい。曲作りの才能、歌の才能、演奏の才能、盛り上げの才能、あらゆる意味で二人は天性の音楽家だ。でも、アーティスト風を吹かせたりせず、ちゃんとみんなの友達で、兄貴で、弟で、息子で、孫で、恋人で、アイドルで、父親であろうとする。老若男女という意味で、ゆずほど会場の“お茶の間感”が甚だしいライブは、日本広しといえどもそう滅多にあるものではない。二人の中には、アーティスト性と大衆性とメジャー感が、絶妙なバランスで共存しているのだ。

 フォークソングは、直訳すると“民謡”。西洋で生まれた楽器を操りながらも、ゆずの音楽にはとてもいい意味での“土着感”が漂う。ロックでも、歌謡曲でも、ポップスでも演歌でもソウルでもジャズでもない、ゆずの音。それはもしかしたら日本、もっといえば横浜という風土に由来した“横浜民謡”なのかもしれない。民族性の強い音楽であるが故に、かえって“ワールドミュージック”的な色彩が濃くなったのかもしれない。長い長い下り坂。アクビをする駐車場のネコ。愛すべき“バカヤロー”。繰り返される“もう一回”。同じ風土で生きてきたからこそ、そんなフレーズから喚起される温度や匂いや湿度がある。

 ステージでのゆずは、いつも元気だ。いつも自由で、いつも正直で、いつも誠実に音楽と向き合っている。だからこそ、ゆずのようなフレッシュな香りを、20年にも渡って放ち続けることができたのだ。そして、二人はこのステージで、これから先もずっとずっと二人で歌うことを誓った。

 ライブを観てしみじみ思う。彼らの曲は、日本のここ一番の宴や勝負どきに、絶対欠かせない。20年の時を経てたわわに実った“国民的ゆず”なのだと。

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