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【ゆずライブレポート】彼らが“国民的”な理由とは? 共存するアーティスト性と大衆性
東京ドームでも感じる、まるで“路上”のような歌の距離感
『ゆず20周年突入記念弾き語りライブ ゆずのみ』で二人は、ギター2本に歌2声、ときどきタンバリンにピアニカにブルースハープにパーカッションという、路上で歌っていた20年前と変わらない編成で、東京ドームのステージに立った。
アリーナやスタジアム、ドームなど、様々なサイズの会場で、これまで何度となくゆずのライブを観てきた。ラジオの公開収録で、200人のリスナーを前にしてのパフォーマンスも観たこともある。でも不思議と、どんなに大きな会場になっても彼らはいつも一定の近さで、歌ってくれているような気がするから不思議だ。このライブのオープニングで披露された3曲は、2001年に初めて東京ドームでライブした時と全く同じ曲順だったという。それから15年が経ち、数々の“国民的ヒット曲”を生みだしながら、彼らが音を奏でると、ドームすら“路上”に変わる。それは、おそるべき“初心感”である。パフォーマンスの細部に至るまで、ドヤ顔感というか“おごり”がない。これだけ有名になって、これだけ人気者になったら、ちょっとぐらい「俺たちこんなにすごいんだぜ」と踏ん反り返っても許されるところを、彼らは常に自分たちがデビュー前に路上に立っているような危機感を持って、全力で、歌で心を掴みにかかる。
観客も巻き込みながら、二人の音楽の結びつきも見せる
「連呼」では、最後のサビの「なんでもないのに泪が」という歌詞の直前に一瞬のタメがあり、そこでリーダー・北川悠仁とサブリーダー・岩沢厚治のギターを上から下におろす動きが、角度からスピードから完全にシンクロしていた。ことさら仲の良さをアピールしたりしない二人だが、長いお辞儀の後、頭を上げるタイミングがピタリと一致していたり、何気ない間合い、呼吸の合わせ方に、19年間休まずに二人の音楽を鳴らし続けた深いところでの結びつきを、垣間見ることができる。
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共存するアーティスト性と大衆性とメジャー感、だからこそ“国民的”
フォークソングは、直訳すると“民謡”。西洋で生まれた楽器を操りながらも、ゆずの音楽にはとてもいい意味での“土着感”が漂う。ロックでも、歌謡曲でも、ポップスでも演歌でもソウルでもジャズでもない、ゆずの音。それはもしかしたら日本、もっといえば横浜という風土に由来した“横浜民謡”なのかもしれない。民族性の強い音楽であるが故に、かえって“ワールドミュージック”的な色彩が濃くなったのかもしれない。長い長い下り坂。アクビをする駐車場のネコ。愛すべき“バカヤロー”。繰り返される“もう一回”。同じ風土で生きてきたからこそ、そんなフレーズから喚起される温度や匂いや湿度がある。
ステージでのゆずは、いつも元気だ。いつも自由で、いつも正直で、いつも誠実に音楽と向き合っている。だからこそ、ゆずのようなフレッシュな香りを、20年にも渡って放ち続けることができたのだ。そして、二人はこのステージで、これから先もずっとずっと二人で歌うことを誓った。
ライブを観てしみじみ思う。彼らの曲は、日本のここ一番の宴や勝負どきに、絶対欠かせない。20年の時を経てたわわに実った“国民的ゆず”なのだと。