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スガ シカオ、独立後の葛藤を語る「ほぼゼロに戻った」

 前作『FUNKASTiC』(2010年)から約6年を経て、スガ シカオから通算10作目となるオリジナルアルバム『THE LAST』が届けられた。共同プロデューサーに小林武史を招いた本作のテーマは、“J-POPになる前のスガ シカオ”そして“剥き出しのスガシカオ”。2011年に所属事務所から独立、インディーズでの活動を経て、2014年にメジャー復帰。ドラスティックな環境の変化は、彼自身のクリエイティビティにも大きな刺激を与えた――キャリア史上、もっともスキャンダラスな本作を聴けば、そのことがはっきりとわかるはずだ。

独立で全てリセットされた“あの頃病”

――アルバム『THE LAST』はサウンド、歌詞、ボーカルのすべてにおいて、スガ シカオさんの独創性が強く反映されていて、非常に刺激的でした。まずはアルバムに対する手ごたえを聞かせてもらえますか?
スガ シカオ 今までの自分とはぜんぜん違うというか、生まれ変わった感がありましたね、アルバムを作ってる最中から。環境も変わったし、方針も変わったし、スタッフも変わったし。あとは本質的な部分で、自分の才能の質が変わった感じがするんですよね。今まであまり使ったことのない脳で作った感じがしました。

――音楽に対するスタンス、制作の方法を意識的に変えたところもあるんですか?
スガ 同じ場所でずっと音楽を続けていたので、どこか昔の自分に引っ張られたり、昔の自分の良いところがちらついたりしてたんですけど、逆に「新しいことをやりたい」と思うこともあって、ブレというか、心の迷いが多分あった。スタッフもファンの人も俺も含めて、“あの頃(は良かった)病”みたいになっていた部分もあるし、それを否定したい自分もいるっていう。その葛藤が常にあったんだけど、独立して、インディーズになって、ほぼゼロに戻ったところからスタートしてるので、昔の自分もヘッタクレもないというか、才能がリセットしちゃった感じがします。“スガ シカオっぽさ”みたいなものも全部リセットされたんですよ。これって世界中のアーティストの宿命だと思うんですけど、多分リセットできたアーティストもあまりいないと思うんですよね。偶然そうなっただけですけど、このアルバムを作ったあと、大きなものを手に入れたなって思いました。かなり危ない橋を渡りましたけど…。

――やっぱり危ない橋でした?
スガ (以前の所属事務所を)辞めた直後くらいは「大丈夫かな? 俺」っていうのがありましたね。この先、もうメジャーに戻ることもないだろうし、雑誌とかテレビに出ることもないだろうなって、本当にそう思ってました。俺はもう、そういう舞台の人間ではないんだな、食ってくだけで精一杯だなって……。

――なるほど…。そういえば『FUNKASTiC』の取材のときに「過去の自分のキャリアに頼るのもイヤだし、“このままの感じで続けていれば、あと10年いける”みたいな考え方も絶対にイヤ」とおっしゃってましたね。
スガ そうそう。すでにその時点で縛られてますよね(笑)。やっぱり「このままじゃダメだろうな」とずっと思ってたんですよ。音楽を通して生々しくメッセージを届けたいんだけど、今の俺の位置からでは、誰にも響かないだろうなって感じてたし、恐怖感と言うか、自分に対してこれでいいのかなっていうのがあったんですよね。たとえば「アストライド」(メジャー復帰第1弾シングル。独立してからの不安と葛藤、それでも前に進むという決意を描いたナンバー)とか今歌うとすごく説得力があると思うけど、当時の俺が同じように歌ったとしたら、説得力は出せなかったと思う。一度崖っぷちに行った人が歌わないと響かないメッセージがあるんだろうなって。

迷いの中で求めていた音楽リーダー 小林武史は“ドンピシャ”

――「アストライド」はアルバムの起点にもなっているんですか?
スガ プロデューサーの小林武史さんからは、既発の曲は1曲もナシで「全部新曲で」って言われてたんですよ。でも、「アストライド」だけはどうしても入れたいという話をして、じゃあ、アルバムの最後に入れようということになったんです。それくらい、この曲に対する思いは特別だったんですよね、自分の中で。今の俺だからこそ伝わる説得力に溢れているので、それを逃したくないなと思った。

――シンガーソングライターの場合、実際の言動と歌っている内容がより近いほうがいいんでしょうか。
スガ とも限らないんですけどね。全員が全員そうじゃないとは思うんですけど、スガ シカオの場合はそのほうがいいんじゃないかなと。

――そういう意識の在り方も、アルバムの生々しさに繋がっているんだと思います。プロデューサーの小林さんの存在も大きいと思うのですが、以前からつながりはあったんですか?
スガ 独立してすぐにオリンピックのテーマソング(小林武史、大沢伸一によるユニット“Bradberry Orchestra”の「Physical」)にゲストボーカルとして呼ばれたんですよ。俺とCrystal Kay、Salyuだったんですけど、そのときにアレンジとかも含めて初めてガッツリ仕事をしたんですよね。それをきっかけいろいろと話をしたり、食事に行くようになったりして……実は俺、10周年くらいのときから、ずっと音楽的なリーダーになってくれる人を探してたんです。もうね、何をやったらいいかわからなくなっちゃったんですよね。いろんなことをやってきたし、いろんなことが出来ちゃうので、2006年に『PARADE』というアルバムを出したあと、この先、何を目指してやっていけばいいのか、完全に見失っちゃってて。そんな中、ルーツに戻って『FUNKAHOLiC』とか作ったんだけど、あのときも考えた挙句そこに行ったみたいな感じで、ずっと迷ってたんですよね。マネージャーと2人で悶々としてた。だから、独立して一人になったとき、まずは音楽的リーダーを探そうと思っていたんです。

――それが小林武史さんだったと。
スガ 小林さんと仕事して「この人はやっぱりすごい」と実感しながらも、音楽的なルーツが全然違うから、一緒にやるのは難しいのかなとも思ってたんです。でも、その後、インディーズで発売した『ACOUSTIC SOUL』というミニアルバムで小林さんにアーティスト・プロデュースみたいなことをお願いしたんですけど、それがドンピシャだったんですよね。例えば歌詞にしても「この歌詞はスガくんのファンならわかるけど、それ以外の人には伝わらないから変えたほうがいい」とか、すごく的確で、「これはもしかしたら上手くいくかも」と感じたんです。やっぱり、時代を見つつ、「いま、ここに球を投げたほうがいいよ」という目利きがすごいんですよ。その部分を完全に小林さんに任せて制作に入ったのが、今回のアルバムなんですよね。

「日本の歌詞の歴史を5年進めてやる!」というモードに(笑)

  • 『THE LAST』(初回限定盤)

    『THE LAST』(初回限定盤)

――“何をやればいいかわからない”という迷いも解消されたのでしょうか。
スガ そうですね。自分がやりたいこと、マニアックなことをやると、当然、数字も出ないので、チーム全体に打撃がくるんですよね。いつの間にかそういうことに対してバリアを張るようになっちゃう。誰も傷つけないように仕事をしたいという思いが、気が付いたら自分の中に癖としてあって。だから「あまり行き過ぎたアルバムを作るべきじゃない」と途中でブレーキがかかっちゃうことが多かった。でも、小林さんは「もし失敗したら、全部俺のせいにすればいいから」って言ってくれたんです。その言葉で「だったらやりたいことをやろう」という気持ちになれたし、開けちゃいけない箱をどんどん開けていった感じがあったんですよ。それもこのアルバムが突き抜けた理由のひとつだと思います。どこかポップじゃないとなぁ、とかいう迷いがずっとあったんですけど、小林さんは「今回はポップな曲は一切やらなくていい」って言ってくれましたから。

――すごい。振り切ってますね。
スガ そうなんですよ。アルバムのために50曲くらい作って、そのなかには「すごくポップだし、いけんじゃねえ?」という下心満載の曲もいくつかあったんですけど、全部使われなかった。「甘酸っぱい青春の曲とか、やらなくていいから」って。やりたい放題ですね(笑)。

――それが“J-POPになる前のスガ シカオ”というテーマにつながったんですね。
スガ 今のスガ シカオの才能がいちばん輝くのは、ここだということだったんでしょうね。もしポップな曲があったら、ここまで強いアルバムにならなかったと思います。基本的に詞・曲・アレンジは僕が全部やって、足りないところを小林さんが補てんしていく、という作り方。だからベーシックなアレンジとかニュアンスは全部自分のデモテープのままです。

――歌詞もすごく攻めてますよね。スガさん自身のリアルな感情が投影されている歌はもちろん、いまの社会の病巣みたいなものを感じる曲や、凄まじくエロい内容の曲もあって。
スガ まあ、こんな曲で歌詞だけポップだったらおかしいからね。先に毒気がある歌詞がいくつか出来たので、あとの曲はポップにしたほうがいいのかなとも思ったんだけど、書いてる最中に火が付いちゃって、「とことんやってやる! 日本の歌詞の歴史を5年進めてやる!」みたいなわけのわからないモードに入っちゃって(笑)、最後までそれでいききっちゃいました。

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