人気お笑いコンビ・オードリーの若林正恭(42)が、2016年に訪れたキューバについて書き下ろした旅行記エッセイ『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』が、文庫となって7日に発売される。日本旅行作家協会主催の『第3回 斎藤茂太賞』を受賞した同作に、3年前に訪れた「モンゴル」と「アイスランド」、そして現在の「コロナ後の東京」について書き下ろした新章3編を収録する。
テレビではオードリーとして多数の番組に出演し、単独でもテレビ朝日『激レアさんを連れてきた。』『しくじり先生』などでMCを務める機会も増えるなど、ますます活躍の幅を広げている若林。そんな彼に、4年前のキューバ旅行から現在までの変化や、新章を書き下ろしたことで感じたこと、そして「解説」に熱すぎる手紙を寄せたCreepy NutsのDJ松永への思いなど、じっくり話を聞いてみた。
■“東京の対極”キューバ旅行から4年「仕事で求められる役割が変わってきているかな」
本書の新刊が発売されて3年、そこに書かれたキューバ旅行から4年の月日が経っているが、文庫化にあたって改めて読み返した感想を聞くと「この人、しつこいなと(笑)。東京ってどんなところか知るために、その対極と思えたキューバに一人で行ったけど、このときで38歳。もっと大人になれよといいたい(笑)」と振り返る。
それから4年、42歳になっての変化について尋ねると「いまだにキン肉マンのキン消しのガチャガチャを一人でやったりとか、自信を持って成長したと言えることはないんですよね」と前置きしながらも、「でも、テレビ番組だったら年下の共演者が多くなってきたということもあるので、いろいろな仕事で求められる役割が変わってきているかなと、ちょっと感じていますね」と分析する。
今回収録される旅行先を訪れた理由として、若林はあとがきで「キューバには社会主義を、モンゴルには定住しない家族を、アイスランドには自然を見に行った」と記している。キューバに興味を持ったきっかけは、父親とのエピソードを交えて本書で丁寧に紡がれているため、モンゴルとアイスランドに興味を持った経緯を改めて教えてもらった。
「モンゴルに興味を持ったきっかけは、子供のときにテレビで見たドキュメンタリーです。一つの家に定住をしないという生活スタイルが、子供の自分にはすごく衝撃的で。その後、定住が始まった歴史についての本などを読んで、行ってみたい思いが大きくなりました。あとは、草原が果てしなく続いている風景をどうしても見たいという、言葉では言えない不思議な気持ちもあって。初めて見たときに『懐かしい』と感じたから、きっと自分のルーツはモンゴルから来た人なんじゃないかと思って、帰国してからDNA検査をしたら、結果はぜんぜん違ってました(笑)」
アイスランドについては「仲のいい友だちに勧められて、地球の地面であるプレートが生まれてくる場所ということに引かれました。地球も生きて活動しているということを感じたかったんです」。また、書き下ろされた新章では、自身にとってのストレス解消が「花火」であると気付き、同国の新年を迎えるカウントダウンで無数の花火が街中で打ち上げられる動画にたどり着いたことで、「これが許される国とは一体どういう国なのだろうと興味が湧いた。そして、このアイスランドの花火を一生に一度は体感してみたいと夢見るようになった」(本書より)と憧れを抱いたことを明かしている。
■「生き辛さ」から自由になれる“隠しコマンド”を発見 自意識の解放で視点が外向きに
若林は2013年に発売した初のエッセイ本『社会人大学人見知り学部 卒業見込』で、現代社会の「生き辛(づら)さ」について思いをストレートに打ち明け、多くの共感を得た。次に、その「生き辛さ」の理由である“新自由主義”の対極にあるキューバ、モンゴル、アイスランドを実際に訪れ、さまざまなことを感じてきた。そして、「生き辛さ」から自由になれる“隠しコマンド”を2つ発見した。
その1つは“没頭できる趣味”。それ以前は「休みがあっても何をしていいのか分からなくて、1日中ずっとゲーセンでメダルゲームをやってたりしていて。いわゆるパリピじゃないから、バーに集まってテキーラを飲むということもやらないし、世間で勧められてるような休日の過ごし方で、しっくり来るものがなくて」と感じていた。フラットな視点で「自分が好きなのものはなにか?」と考えた結果、花火をしている時に興奮していることに気付き、それがアイスランド旅行へとつながっていった。
「システム上、今の東京では100%自己肯定するって難しいと思うんです。自分の脳みそを別のところに持っていかないとバランスが取れないくらい生き辛い。没頭できるものがないと、ちょっとしんどいなと感じています。最近は夜中に公園のバスケのコートで一人で3ポイントシュートを打つことに没頭しているんです。それを人に話すと『なにそれ?』って捕まっちゃうんですけど(笑)、好きなんだからやりたいと思ってやり続けていると、気持ちがいいですね」。生き辛さを感じている人にこそ、時間や悩みを忘れて没頭できる趣味を見つけてほしい。自身の体験から得た若林のそんなメッセージが、本書には込められている。
もう1つの隠しコマンドは、“血の通った関係”。詳細は本書「コロナ後の東京」に詳しいが、若林がさまざまな寄り道をした結果、出会うことができた同志であるDJ松永が文庫の解説文を担当している。その人選について「“血の通った関係”って偉そうに書いちゃったったから、『本当にあるのかよ』って聞かれた時に『あるんですよ』って言いたいがために松永くんにお願いしました(笑)。僕と山里亮太さんで『たりないふたり』という番組をやらせてもらって、Creepy Nutsがそれをイメージして同じタイトルの曲を出して、そこからの関係で。ラジオを聞いてくれていたし、自分も日本語ラップが好きだったので仲良くなって」と紹介する。松永は若林への熱すぎる思いを“手紙”として全力でぶつけているが、「本の解説じゃなく、個人的な手紙に振り切ってくれて、すごくうれしかったですね」と笑顔で松永の熱意を喜んだ。
生き辛さから自由になり、強烈すぎる自意識から徐々に解放されることで、ずっと内側に向いていた視点を徐々に外に目を向けられるようになった若林。現在は『激レアさんを連れてきた』『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』『あちこちオードリー』など、ゲストの魅力を深堀りする番組を担当しているが、「もしかしたら4年前の自分だったら、自分のことで精一杯で自分ばっかり見ていたから、ああいう番組はできなかったかもしれないですね。今は他の人の話を聞きたくて。車好きの人が新しい車を『このデザインどうなってるの?』って見るように、自分もフワちゃんとか見たことない人たちに対して『どうなってるの?』っていう興味がすごいんです」とうれしそうに打ち明けた。
■結婚で気づいた自分の本質 反省の繰り返しも「距離感が心地良いです」
モンゴルでは、現在も遊牧民として暮らしている父・母・息子の3人家族を訪問。若林は、ゲルという区切りのない一つの空間で暮らす彼らの生活ぶりから「結婚というよりも共同生活の魅力」を感じ、夫婦と撮影した写真を見て自身の結婚観を改めて考えるようになった。
そして、昨年11月に結婚。生活や心境の変化について聞くと「自分は自意識過剰でナルシストな部分も抱えているので、奥さんと一緒に生活するようになってから、本当に自分のことしか考えて生きてこなかったと気づきました。ものを出しっぱなしにしていたら怒られるとか、反省しかないですね(笑)。それに、今まではテレビも自分の見たい番組ばっかり見てたのが、奥さんの見たい番組を一緒に見ることで刺激として入ってきたし、ドラマをワンクール見たのも20年ぶりくらいでした」と照れながら話してくれた。
だが、決して居心地が悪いわけではなく、「奥さんは干渉してくるタイプじゃないですし、結婚する前に3ヶ月くらい一緒に住んで、そこでかなりいろいろ確認してから結婚しているので(笑)、距離感が心地良いです。ほっといてくれたり、気にしてくれたり、リズム感が合っているのは助かっているし。人間の欠点っていうものの部分にかなり寛容な人で、僕の欠点を笑うし、そこが良かったですね」と笑顔に。ただし、結婚の先輩からの「新婚のうちはイイよ」というアドバイスに、「これから未知のゾーンなので恐怖心もあります(笑)」と本音ものぞかせた。
本書から脱線するが、妻とのエピソードも披露してくれた。「2人で沖縄に行って、ジェットスキーで引っ張られるバナナボートに乗ったんです。自分はバラエティーで何度もやったことがあって、なかなか落ちないことを知ってるから、出発前に運転する人に『最大限に激しめで行ってください』ってお願いしたんです。そしたら『やっちゃっていいですか!』って言われたんだけど、実際に出発したら全然大したことなくて。落ちないまま終わりそうになったら、前に座ってた奥さんが後ろを向いて『若林さん、落ちてあげて』って言って(笑)。それが一番印象的でしたね」。
今回の文庫で紹介したキューバ、モンゴル、アイスランドのうち、2人で行くならどこがいいか若林に質問すると「アイスランドの花火ですかね。このまえ、2人で夜に江ノ島でロケット花火をやったら、かなり楽しかったので(笑)、向こうはこんなもんじゃないんだっていうのを見せたいですね」とうれしそうに語った。
◆若林正恭 1978年9月20日、東京生まれ。春日俊彰とお笑いコンビ・ナイスミドルを結成。その後、オードリーと改名する。ツッコミ担当。バラエティーを中心に、テレビ、ラジオなど活躍の場を広げる。エッセイ集『社会人大学人見知り学部卒業見込』がベストセラーに。2018年『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』で斎藤茂太賞を受賞。
テレビではオードリーとして多数の番組に出演し、単独でもテレビ朝日『激レアさんを連れてきた。』『しくじり先生』などでMCを務める機会も増えるなど、ますます活躍の幅を広げている若林。そんな彼に、4年前のキューバ旅行から現在までの変化や、新章を書き下ろしたことで感じたこと、そして「解説」に熱すぎる手紙を寄せたCreepy NutsのDJ松永への思いなど、じっくり話を聞いてみた。
■“東京の対極”キューバ旅行から4年「仕事で求められる役割が変わってきているかな」
本書の新刊が発売されて3年、そこに書かれたキューバ旅行から4年の月日が経っているが、文庫化にあたって改めて読み返した感想を聞くと「この人、しつこいなと(笑)。東京ってどんなところか知るために、その対極と思えたキューバに一人で行ったけど、このときで38歳。もっと大人になれよといいたい(笑)」と振り返る。
それから4年、42歳になっての変化について尋ねると「いまだにキン肉マンのキン消しのガチャガチャを一人でやったりとか、自信を持って成長したと言えることはないんですよね」と前置きしながらも、「でも、テレビ番組だったら年下の共演者が多くなってきたということもあるので、いろいろな仕事で求められる役割が変わってきているかなと、ちょっと感じていますね」と分析する。
今回収録される旅行先を訪れた理由として、若林はあとがきで「キューバには社会主義を、モンゴルには定住しない家族を、アイスランドには自然を見に行った」と記している。キューバに興味を持ったきっかけは、父親とのエピソードを交えて本書で丁寧に紡がれているため、モンゴルとアイスランドに興味を持った経緯を改めて教えてもらった。
「モンゴルに興味を持ったきっかけは、子供のときにテレビで見たドキュメンタリーです。一つの家に定住をしないという生活スタイルが、子供の自分にはすごく衝撃的で。その後、定住が始まった歴史についての本などを読んで、行ってみたい思いが大きくなりました。あとは、草原が果てしなく続いている風景をどうしても見たいという、言葉では言えない不思議な気持ちもあって。初めて見たときに『懐かしい』と感じたから、きっと自分のルーツはモンゴルから来た人なんじゃないかと思って、帰国してからDNA検査をしたら、結果はぜんぜん違ってました(笑)」
アイスランドについては「仲のいい友だちに勧められて、地球の地面であるプレートが生まれてくる場所ということに引かれました。地球も生きて活動しているということを感じたかったんです」。また、書き下ろされた新章では、自身にとってのストレス解消が「花火」であると気付き、同国の新年を迎えるカウントダウンで無数の花火が街中で打ち上げられる動画にたどり着いたことで、「これが許される国とは一体どういう国なのだろうと興味が湧いた。そして、このアイスランドの花火を一生に一度は体感してみたいと夢見るようになった」(本書より)と憧れを抱いたことを明かしている。
■「生き辛さ」から自由になれる“隠しコマンド”を発見 自意識の解放で視点が外向きに
若林は2013年に発売した初のエッセイ本『社会人大学人見知り学部 卒業見込』で、現代社会の「生き辛(づら)さ」について思いをストレートに打ち明け、多くの共感を得た。次に、その「生き辛さ」の理由である“新自由主義”の対極にあるキューバ、モンゴル、アイスランドを実際に訪れ、さまざまなことを感じてきた。そして、「生き辛さ」から自由になれる“隠しコマンド”を2つ発見した。
その1つは“没頭できる趣味”。それ以前は「休みがあっても何をしていいのか分からなくて、1日中ずっとゲーセンでメダルゲームをやってたりしていて。いわゆるパリピじゃないから、バーに集まってテキーラを飲むということもやらないし、世間で勧められてるような休日の過ごし方で、しっくり来るものがなくて」と感じていた。フラットな視点で「自分が好きなのものはなにか?」と考えた結果、花火をしている時に興奮していることに気付き、それがアイスランド旅行へとつながっていった。
「システム上、今の東京では100%自己肯定するって難しいと思うんです。自分の脳みそを別のところに持っていかないとバランスが取れないくらい生き辛い。没頭できるものがないと、ちょっとしんどいなと感じています。最近は夜中に公園のバスケのコートで一人で3ポイントシュートを打つことに没頭しているんです。それを人に話すと『なにそれ?』って捕まっちゃうんですけど(笑)、好きなんだからやりたいと思ってやり続けていると、気持ちがいいですね」。生き辛さを感じている人にこそ、時間や悩みを忘れて没頭できる趣味を見つけてほしい。自身の体験から得た若林のそんなメッセージが、本書には込められている。
もう1つの隠しコマンドは、“血の通った関係”。詳細は本書「コロナ後の東京」に詳しいが、若林がさまざまな寄り道をした結果、出会うことができた同志であるDJ松永が文庫の解説文を担当している。その人選について「“血の通った関係”って偉そうに書いちゃったったから、『本当にあるのかよ』って聞かれた時に『あるんですよ』って言いたいがために松永くんにお願いしました(笑)。僕と山里亮太さんで『たりないふたり』という番組をやらせてもらって、Creepy Nutsがそれをイメージして同じタイトルの曲を出して、そこからの関係で。ラジオを聞いてくれていたし、自分も日本語ラップが好きだったので仲良くなって」と紹介する。松永は若林への熱すぎる思いを“手紙”として全力でぶつけているが、「本の解説じゃなく、個人的な手紙に振り切ってくれて、すごくうれしかったですね」と笑顔で松永の熱意を喜んだ。
生き辛さから自由になり、強烈すぎる自意識から徐々に解放されることで、ずっと内側に向いていた視点を徐々に外に目を向けられるようになった若林。現在は『激レアさんを連れてきた』『オードリーさん、ぜひ会ってほしい人がいるんです。』『あちこちオードリー』など、ゲストの魅力を深堀りする番組を担当しているが、「もしかしたら4年前の自分だったら、自分のことで精一杯で自分ばっかり見ていたから、ああいう番組はできなかったかもしれないですね。今は他の人の話を聞きたくて。車好きの人が新しい車を『このデザインどうなってるの?』って見るように、自分もフワちゃんとか見たことない人たちに対して『どうなってるの?』っていう興味がすごいんです」とうれしそうに打ち明けた。
■結婚で気づいた自分の本質 反省の繰り返しも「距離感が心地良いです」
モンゴルでは、現在も遊牧民として暮らしている父・母・息子の3人家族を訪問。若林は、ゲルという区切りのない一つの空間で暮らす彼らの生活ぶりから「結婚というよりも共同生活の魅力」を感じ、夫婦と撮影した写真を見て自身の結婚観を改めて考えるようになった。
そして、昨年11月に結婚。生活や心境の変化について聞くと「自分は自意識過剰でナルシストな部分も抱えているので、奥さんと一緒に生活するようになってから、本当に自分のことしか考えて生きてこなかったと気づきました。ものを出しっぱなしにしていたら怒られるとか、反省しかないですね(笑)。それに、今まではテレビも自分の見たい番組ばっかり見てたのが、奥さんの見たい番組を一緒に見ることで刺激として入ってきたし、ドラマをワンクール見たのも20年ぶりくらいでした」と照れながら話してくれた。
だが、決して居心地が悪いわけではなく、「奥さんは干渉してくるタイプじゃないですし、結婚する前に3ヶ月くらい一緒に住んで、そこでかなりいろいろ確認してから結婚しているので(笑)、距離感が心地良いです。ほっといてくれたり、気にしてくれたり、リズム感が合っているのは助かっているし。人間の欠点っていうものの部分にかなり寛容な人で、僕の欠点を笑うし、そこが良かったですね」と笑顔に。ただし、結婚の先輩からの「新婚のうちはイイよ」というアドバイスに、「これから未知のゾーンなので恐怖心もあります(笑)」と本音ものぞかせた。
本書から脱線するが、妻とのエピソードも披露してくれた。「2人で沖縄に行って、ジェットスキーで引っ張られるバナナボートに乗ったんです。自分はバラエティーで何度もやったことがあって、なかなか落ちないことを知ってるから、出発前に運転する人に『最大限に激しめで行ってください』ってお願いしたんです。そしたら『やっちゃっていいですか!』って言われたんだけど、実際に出発したら全然大したことなくて。落ちないまま終わりそうになったら、前に座ってた奥さんが後ろを向いて『若林さん、落ちてあげて』って言って(笑)。それが一番印象的でしたね」。
今回の文庫で紹介したキューバ、モンゴル、アイスランドのうち、2人で行くならどこがいいか若林に質問すると「アイスランドの花火ですかね。このまえ、2人で夜に江ノ島でロケット花火をやったら、かなり楽しかったので(笑)、向こうはこんなもんじゃないんだっていうのを見せたいですね」とうれしそうに語った。
◆若林正恭 1978年9月20日、東京生まれ。春日俊彰とお笑いコンビ・ナイスミドルを結成。その後、オードリーと改名する。ツッコミ担当。バラエティーを中心に、テレビ、ラジオなど活躍の場を広げる。エッセイ集『社会人大学人見知り学部卒業見込』がベストセラーに。2018年『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』で斎藤茂太賞を受賞。
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2020/10/07