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もの言うクリエイター、なぜタブー視? “反権力”とエンタメの親和性
Twitterデモで広がるムーブメント、投稿の裏に見えた「遠慮」や「怯え」
過去にも有事に際に“権力に対する抗議”が起こることはあった。東日本大震災後の反原発デモ(2012年)や特定秘密保護法に反対するSEALDsらのデモ(2013年)が代表例だ。今回はコロナ禍における緊急事態宣言や休校措置など、SNS上で政治判断が注目され続けていたこともあり、普段は政治について発言しない芸能人たちでも発信しやすい土壌はあったと言える。
だがそのリプライでは、「政治的な発言をしてほしくなかった」「内容、本当にわかっているの?」という、否定や蔑みのコメントも。このように芸能人が政治について意見を述べると世間はざわつきやすく、タブー視されていると言っても過言ではない。実際、「政治に詳しくないけど」「あまり政治の話は言いたくないけど」など枕詞がつく場合もあり、「遠慮」や「怯え」を感じさせるものも見られた。
「権力から勝ち取ること」を渇望した60〜70年代のエンタメ諸作品
これで大打撃を受けたのがハリウッドだ。「これでは民衆は権力の言いなりになる」。多くの人が抵抗し、チャールズ・チャップリンのようにハリウッドを去る映画人も多かった。音楽シーンでも文化的・政治的主張を伴う社会現象「サマー・オブ・ラブ」が起こる。この「ヒッピー文化」とロックで平和を説く流れはジョン・レノン、ジミヘンらが登場した伝説のイベント「ウッドストック・フェスティバル」へもつながった。
日本の多くのクリエイターたちもその影響下にあった。創作においても「左翼にあらずんば映画人にあらず」という言葉が叫ばれ、左派的な思想がないと新しいものをつくれないという風潮のもと作品が生まれていった。「その事例として、まずは宮崎駿監督、故・高畑勲監督らのアニメ『太陽の王子ホルスの大冒険』が挙げられます」と話すのはメディア研究家の衣輪晋一氏。
宮崎・高畑は東映動画の労組活動に熱心だった。当時のアニメ業界は作品の方向づけやあり方を、演出部・動画部だけで行っていた。だが労組結成により、皆で議論できる環境に。『ホルス』は労組活動の経験を反映してか、仲間との協力のほか、仲間の裏切り、その裏切りは絶対悪ではないと続き、ならば何を信じて何と戦うべきか……そんな物語が紡がれた。
次に映画界。松竹ヌーベルヴァーグ、「世界のオーシマ」こと故・大島渚監督だ。とくに前期の大島渚は『愛と希望の街』『夏の妹』など観念的、政治的な作品が多い。大島は「革命」を夢見ながら、(保守的な)日本の“美”にも惹かれており、そのアンビバレンツで他とは一線を画す作品を多く残した。
吉本隆明ら知識人の書籍が好んで読まれていたのもこの時期だ。ゆえに左派は非常に知的な人たちのようにも見てとれた。これが没落した理由を衣輪氏は「今でも見られる流行崩壊の流れと同じ現象。一部の優秀な人たちが盛り上がっているところへ大勢が集まる。そのすべてが優秀ではないため、徐々に腐敗して優秀な人が離れ、後に焼け野原が残る。左派もこの“流行崩壊の流れ”が起こり、衰退したとの見方も出来る」と分析する。