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解散への葛藤も…GLAYのHISASHI、紆余曲折経てのデビュー30周年「いまは未来に全く不安がない」

 音楽シーンで数々の金字塔を打ち立ててきたGLAYが、来年デビュー30周年を迎える。結成当初からメンバーチェンジもなく、活動休止することもなく、シーンのトップでライブとリリースを続けてきた稀有なバンド。そんなGLAYにも栄光のさなかに、「解散への葛藤があった」とHISASHI(G)が明かす。その真相と30年という長いバンドの歴史を振り返り語った。

HISASHIが作詞作曲した新曲「Pianista」

「“GLAY”という名前が付いていれば、何でも売れる」状況に嫌気が…27歳で解散しようとメンバーで協議

──新作『HC 2023 episode2 GHOST TRACK E.P-』でHISASHIさんが作詞作曲した「Pianista」に登場する“27シンドローム”という言葉。これは27歳で他界したミュージシャンたち、いわゆる“27クラブ”を指しているのでしょうか?

HISASHI そうです。GLAYが27歳だったのは1999年のことで、メンバーの間では、この年でGLAYを解散しようって話し合っていました。

──1999年といえば、20万人動員ライブを達成。初のドームツアーや『日本レコード大賞』など、GLAYにとって輝かしい年だったはずですが。

HISASHI たしかにバンドの置かれている状況は、とても恵まれていました。だけど“GLAY”という名前で活動するのが、とにかく苦しかった。「GLAYを辞めて、4人で別のバンドをやろう!」とメンバーで話していました。仲違いをしたわけではなかったし、4人で演る音楽は好きでしたから。

──結成以来、4人の仲がいいのは有名ですが、“GLAY”ではダメだったのでしょうか?

HISASHI 「“GLAY”という名前が付いていれば、何でも売れる」といった状況が、バカらしくなっちゃったんです。賞レースだって「今年は、GLAYじゃないだろう…」というのがメンバー間の共通認識でした。いろいろ見えてきた社会の仕組みに、嫌気がさしてしまったところがあったんですよね。

──20万人ライブといえば、少し前にHISASHIさんがバラエティ番組で「20万人ではなく16〜7万人だった」という衝撃の事実を明かしていました。その数字もすごいことではありますが。

HISASHI 別に隠してたわけじゃないんです。いろんな大人の事情が絡んで“20万人”という数字がひとり歩きし続けていた。とにかくその頃は、自分ではギターリフがちょっと甘いなと思っていてもOKが出るし、「それって違うんじゃないか、なんで俺らはバンドをやっているんだ?」というふうに、GLAYを取り巻く状況と自分たちの思いのバランスが、取れなくなっていました。

GLAYをやっていると“浮世離れ”してしまう SNSが唯一気づかせてくれることも

──そうした葛藤を経て、GLAYを存続させるという決断をしたのは?

HISASHI hideさん(1998年に急逝したX JAPANのギタリスト)のことがあったのも、大きかったですね。バンドをストップさせるのはいつでもできる。だけど「そこで終わってしまう」ってどういうことなのか。「音楽を続けるためには?」ということを、メンバーとじっくり話し合いました。“周りの大人たち”に「もっと真剣に音楽に向き合う時間をください」という僕らの条件を飲んでもらい、GLAYを続けていくという結論に至ったんです。

──「Pianista」の歌詞には“スマホ”が登場しますが、GLAYは公式アプリやECなど、早い段階からデジタルの活用に前向きだった印象があります。

HISASHI 僕自身、新し物好きなんですよね。MP3プレイヤーもiPodが出る前から買っていたし、海外で配信サービスが始まった時もワクワクしました。日本でも遠からず同じような状況になるだろうなという予感はしていました。昔から未来を夢想するのが好きで、車は飛ばなかったけれど、ドローンは飛んだな、なんて思っています(笑)。

──特に配信については、当時、多くのミュージシャンや音楽業界から反対の声が多かったように思うのですが。

HISASHI 「CDが売れなくなる」と音楽業界にとっては、大問題でした。ただ時代は、どうしたって前に進んでいく。それに抗うよりも「GLAYとして何ができるのか?」ということに向き合ったほうが、自分たちにとってもファンにとっても真っ当じゃないかというのが、僕らとしての判断だったんですよね。

──SNSについてはいかがですか? SNSの登場で世界は大きく変わったと思うのですが。

HISASHI そうですよね。ディスカッションはいいけど、ただのヤジや誹謗中傷とかはね。僕のSNSは、意外と平和であんまりそういうことはないんだけど、たまにそういったことがあると、やっぱりストレートに傷つきます。ただGLAYをやっていると、どうしても“浮世離れ”しちゃうところがあって。「グサッと刺さることを言ってくれるのは、もはやSNSくらいなのかもな」って思うこともあったりします(苦笑)。

30年間活動を続けられたのも「4人で音楽を作るのが楽しい」に尽きる

──なるほど、GLAYほどビッグな存在になると、どうしても周りは“イエスマン”になりがちだと。

HISASHI それこそ「ここのリフ甘いよ」とかスタッフに言ってほしい時もあります。でも、スタッフは年下も多いし、なかなか言いづらくなっているのかなと。でもその代わり、周りのミュージシャン仲間や先輩がちゃんと指摘してくれるので、それは純粋にありがたいですよね。

──ところでGLAYの4人はずっと仲がいいですよね。ひと昔前のバンドマンは、もっとメンバー間でバチバチがあるイメージでしたが。

HISASHI だいたいボーカルとギターが、仲が悪かったりね(笑)。それも含めてカッコいいなって憧れていましたが、GLAYに関してはそれは全くないんですよね。

──それも30年間たゆまず活動を続けてきた秘訣だと思うのですが、なぜそんなに仲が良いのでしょうか?

HISASHI やっぱり「4人で音楽を作るのが楽しい」というのが一番にあるからでしょうね。次はどんな音楽をやろうか、ライブをやろうかって、いまもずっと文化祭の前日みたいな感覚があります。それもあってか、打ち上げや飲み会でも、「放っておとくと、GLAYは4人で固まる」とよく言われるんですよ(笑)。

──10代で結成した頃、ここまでバンドを続けるというビジョンはありましたか?

HISASHI ぜんぜん。だって当時はそんなバンドいなかったですもん。みんな解散するか、辞めるか。だけどいまは、LUNA SEAやMr.Childrenといった同世代がいて、みんなカッコいいじゃないですか。この間、初めてB’zと対バンさせてもらいましたが、爆音で弾きまくる松本(孝弘)さんやスタイリッシュな稲葉(浩志)さん。ああいう先輩の姿を見ると憧れちゃうし、バンドの未来に希望が持てますよね。あの対バンライブやって、メンバーみんな「GLAYもっと頑張んなきゃな」って言いましたから。

──来年の30周年を控えた、いまの気持ちは?

HISASHI 30年もやっていれば、いろいろ乗り越えてきたなという感じです。それもあってか、すごく吹っ切れて、20代や30代の頃よりもいまのほうがライブもエモーショナルにできているなと思うんですよ。そういう意味でも、未来のGLAYに全く不安がないというのが、いまの心境です。

(文/児玉澄子 写真/草刈雅之)
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