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コロナ禍は20年前の路上時代と同じ、コブクロが「生きるために」音楽を続ける理由
地球全体で闘う初めての経験、「ちょっと角度を変えるだけで正解が変わってしまう」
小渕健太郎 ドラマの脚本にも、世の中の条理と不条理が描かれていて。毒をもって毒を制しにいくダークヒーローの姿があるんですけど、今の世の中も同じだと思うんです。地球全体で何かと闘うという初めての経験の中で、ちょっと角度を変えるだけで正解が変わってしまうし、何が本当なのかもわらない。今まで、僕の中で正しさや美しさはずっと同じだったんですが、世の中がこうなったことで変わってきました。「こうじゃなきゃいけない」と思っていたものが、「こうでもいいよね?」って思えるようになったんです。光を灯すだけでは見えない、周りを暗くすればするほど小さな光が輝くような歌があってもいいんじゃないかと思って、今回の曲を作りました。
――勝ちか負けか、善か悪かのように明確に割り切れないこと自体をテーマにした歌は、今までなかったですよね。
小渕健太郎 なかったです。今はみんなが間違えるし、みんなが落とし穴に落ちる。ニュースやネットを見ていても、数年前にはなかったような足の引っ張り合いや、誹謗中傷が飛び交っていますよね。でも、そういうドブ川のような部分があるからこそ、反対側にある美しさや正しさが保てるのかなと。全部が正しかったら、崩壊してしまうのかもしれない。明るい日々の中には、変なものに支えられてる部分もあるのかも…ということをイメージしました。
――なるほど。
小渕健太郎 それに、今は頑張ろうと思っても、頑張らせてもらえない状況でもある。これは不条理としか言いようがないし、できるのは祈ることくらいですよね。でもそこには、たとえ無力だとしても「もうダメだ!」となった後の、最後の想いが込められてると思うんです。
黒田俊介 僕らもライブができない、音楽ができないという不条理を味わいました。今の状況が歴史の1ページになって、いつかその体験を語るときのために「みんな家から出られへんかったんやで」と、今のうちに面白エピソードを貯めておくしかないのかなと(笑)。個人でできることなんて、祈ることしかないですから。
今は20年前のストリート時代と同じ、「ここからは俺らの時代」
小渕健太郎 二人でギター1本で歌った動画を配信することから始めたんですが、「あ、俺たちはこっち側(発信する側)やったんやな」と思うくらい新鮮でした。こんなに長いこと何もしない時間は、この20年なかったので。いろんな人がプライベート満載の動画を出していたし、僕らも色々やったんですけど…。僕らはやっぱり音楽をきちんと届けてこそ、この期間を生きてきた意味があるのかなと気が付きました。
――特にコブクロは路上で目の前の人に向けて歌うところから始まったわけですし、それができないとなったときの衝撃は大きかったでしょうね。
小渕健太郎 めちゃくちゃ大きかったですね。でも、20年前の僕らはとにかく生活が大変で、音楽がなくなったら明日からの生活はないという状態で、生きるために音楽をやっていた。そう考えると、今もそのときの感覚に近いんですよ。「僕らは歌うことが仕事」ではなく、「生きるために音楽をやっている」という、あの頃の感覚があるんです。
黒田俊介 あのときの、すべてが新しい刺激的な日が戻りつつあるな。コロナでお客さんを入れたライブはできなくなったけど、配信ならやれる。カメラを入れれば、どこでもステージになる。今までとは違い、できるようになったこともいっぱいあるんです。僕らはこれまで、レコーディングしてCD出してツアーを回るというルーティーンで来ましたけど、ほんの一瞬でなにもない野っ原に立たされた。そこで、何の選択肢もないのに「何する?」と聞かれている状態なんですよね。でもそれって、実はストリートのときとまったく同じ状態。「今日は何する?」、「どこで歌う?」とやってたときと一緒なんです。そうしたら、変な話ですけど、ここからはもう俺らの時代やなと思ったんです(笑)。
小渕健太郎 ははははは! そうそう。
黒田俊介 なぁ? こっからはコブクロが一番得意なサバイバルですよ。
小渕健太郎 アリーナとかドームの規模もやらせてもらってますが、僕らは最小規模を知っているので、実はできることが山ほどあって。ギター1本と歌という形を選んだ運命として、変幻自在に時代にあわせて歌ってきたんじゃないかなと。ドームライブの後すぐに、ストリートで歌ったりしてましたしね。
黒田俊介 コンテンツが変わっただけですよね。それがドームなのかストリートなのか、ライブ配信なのかテレビなのか。でも、僕ら二人のやっていることは一緒で、その時にあわせて選んできただけなんです。次はまた何か、この20年でやってこなかった新たな選択肢があるのかもしれないと思うと、楽しみなんですよね。