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5年ぶり再始動のWaT、紆余曲折を経て10年「2人なら大丈夫」

 タレントや俳優として多数の番組で大活躍中のウエンツ瑛士と、俳優として新境地を切り開いた小池徹平が5年の時を経て、WaTとして再始動!衝撃のメジャーデビューから10年。各分野で経験値を上げ、より表現者としてパワーアップした彼らが起こす新たな化学反応とは!? 原点である代々木公園で再会した彼らに、WaT再始動に至った経緯や10年を振り返り、さらに今後のWaTについて語る。

最初の頃は、楽しさよりも辛さや人前で歌う恥ずかしさと恐怖があった

――5年ぶりにWaTが再始動! 待ち望んでいたファンの方たちが多いと思いますが、おふたりの今の率直な気持ちを教えてください。
小池 かなり久しぶり感がありますね。
ウエンツ 2人でインタビューを受けること自体、5年ぶりですからね。
小池 ウエンツから「WaTをまたやろう!」と声をかけてもらって、僕も待ってましたという感じで、すぐに2人で集まって再始動に向けて動き出しました。

――このタイミングでウエンツさんから徹平さんに声をかけたのは?
ウエンツ 今年で(メジャーデビュー)10周年ですからね。そして、何よりファンの方から「いつWaTとして活動してくれますか?」という声をずっといただいていて。その気持ちを形にしたいなと思ったんですが、個々の活動が忙しくてなかなか実現までたどり着けなかったんです。でも、今年は節目の年でもあるし、いい加減重い腰を上げてみようじゃないかと。
小池 それで、腰をあげてみたら、5年前とだいぶん景色が変わっていて。あの頃は、20代前半だったんですが、すごいアイドルっぽいことしていたなとか(笑)、当時の記憶が一気に蘇ってきましたね。

――さきほどWaTの原点と言える代々木公園のストリートで撮影を行いましたが、今や多方面で大活躍している小池さんとウエンツさんが、当時夢を抱きながら音楽活動をしていたあの地に再び立ってみた感想はいかがでしたか?
小池 自分たちの原点と言える場所が今も変わらず身近に存在していてくれて、純粋にうれしかったです。初心に戻るといいますか、再出発するにあたって、気持ちが引き締まりましたね。でも、正直、最初の頃は、2人とも楽しさよりも辛さ、人前で歌うことに対する恥ずかしさ、恐怖みたいなものがありました。
ウエンツ いま思うと全然辛いことじゃないし、ただ僕らが至らなかっただけの話なんですけどね(笑)。あの頃はわけもわからないまま、ただがむしゃらに僕らのことをまったく知らない人たちの前で歌っていたので、当然、誰も立ち止ってくれるわけがなく……。
小池 それが毎週ストリートライブを続けていくうちに、少しずつ足を止めて僕たちの音楽に耳を傾けてくれる人が増えていって。その人数に比例するように、自分たちの気持ちも変わっていきました。
ウエンツ お客さんが10人ぐらい一気に増えたとき、徹平がめちゃくちゃ喜んだんですよ。でも、実は僕が呼んだ高校時代の友達で(笑)。
小池 僕には何も言ってくれなかったから、まさかウエンツの友達だとは思わず、純粋にお客さんが増えたと思っていたんです(笑)。
ウエンツ 人がいたほうが集まりやすかったりするじゃないですか。それに、友達も僕らの歌を聴きたいと言ってくれたので、誘ったんですけどね。でも、毎週ずっと来てもらうわけには行かず、結局、その後は僕たちだけの力でなんとかするしかなかったんですよね。
小池 ずっと試行錯誤していたよね。
ウエンツ 前日の夜とか2人で「明日どうしよう〜」ってしょっちゅう電話してたよね。
小池 今度は人が増えていくなかでの悩みといいますか、毎週同じことをやり続けるわけにはいかないので、新曲を披露するのはもちろん、ウエンツがキーボードで演奏したり、いろいろ新しいことに挑戦しました。

――そして、気付けば代々木公園がパニックになってしまうほど、たくさんの観衆が集まるようになり、インディーズを経て、2005年待望のメジャーデビューを果たすと。
小池 最初の頃は、普通に2人の名前でやっていたんですよ。そして、初めてインディーズでCDを出すことが決まったときに、グループ名をつけることになり、“WaT”になりました。正直、それまでは遊びの延長線的なところがあったんですが、自分たちのグループ名ができたことで、やっと実感が沸いてきました。
ウエンツ インディーズでの初めてのCDをリリースして池袋のサンシャインシティ噴水広場でイベントをやらせていただいたんですが、徹平が号泣しちゃって(笑)。
小池 「卒業TIME」という曲を披露したんですけど、ちょうど高校を卒業するタイミングで、まさにそのときの自分の思いと楽曲が合致していたんですよね。いつもは、MCではあまり話さないのに、思わず熱く語ってしまって。あのとき、ちょっとしゃべりすぎって思ってたでしょ?(笑)
ウエンツ 今日は止まらないな〜って(笑)。
小池 それに、サンシャインって上層階まで吹き抜けになっているんですが、下から見上げたときに、上まで人がビッシリいて。その光景を見て、込み上げるものがありました。

『紅白』初出場時のアクシデントも、いま思うと幸せな思い出

――WaTとして、様々な活動をしてきましたが、なかでも一番印象に残っている、嬉しかったことはありますか?
ウエンツ 一番かぁ〜。いっぱいありすぎてひとつに絞るのは難しいですね。

――今ぱっと思いついたものをあげるとしたら?
ウエンツ ぱっと思いついたのが、5つぐらいあるんですが(笑)。
小池 僕はメジャーデビューした年に、『紅白』の出場が決まったときは、嬉しかったというか、ビックリしました。それまでNHKのすぐ近くの路上で歌っていたのに、NHKという大きなステージに立って、世界各国の人に向けて自分たちの歌を発信できる。あのときは緊張で頭が真っ白でした。アクシデントもありましたが、いま思うと、それも幸せな思い出ですね。
ウエンツ ひとつあげるとしたら、2回目の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)ですね。『Mステ』に出演できたことがまず奇跡だったんですが、CDのリリースを受けて、またすぐに同じ曲で呼んでいただけたのは、嬉しさと同時にちょっとだけ自信がついた瞬間でした。個人的にそれまでバラエティのお仕事でタモリさんと出演させていただくことはあったんですが、『Mステ』でタモリさんと会うってこういうことなんだって、自分の気持ちはもちろん、タモリさんが僕に対してこれまでと違うアーティストとしての接し方をしてくださって感動しましたね。

――『紅白歌合戦』とともに『ミュージックステーション』は生放送であるゆえに、いろんなミュージシャンの方から、あの緊張感は尋常じゃないって聞きますが。
小池 何度出演しても緊張します。あのときは、体も声も終始震えっぱなしで、ちゃんとした記憶がないです(笑)。
ウエンツ 僕は毎週『Mステ』を録画して見ているんですが、初登場の人がいると、知り合いでもなんでもないのに、勝手に感情移入しちゃって、「頑張って」って応援しちゃいます(笑)。でも、最近の人たちは、僕らと違って落ち着いてるな〜って思います(笑)。

――2人が登場した瞬間のキラキラしたピュア感は衝撃的でしたからね。
小池 当時よく言われたんですけど、自分たちではよくわからなくて。でも、キラキラの量やその形は違えど、みなさん共通してピュアだと思いますけどね。

――当時からウエンツさんはバラエティ、小池さんは舞台やドラマなど、異なる分野で活躍されていましたが、“WaT”で表現する自分、そのスタイルに違いはありましたか?
ウエンツ 僕は変わらないといえば、変わらないですね。それは、どれも素に近いというわけではなく、”タレント・ウエンツ瑛士”としてやっているので。
小池 そうなんだ。知らなかった……。

――10年目にして新たな事実が発覚したと。
小池 確かにずっと“ウエンツ瑛士”だなって思っていました(笑)。
ウエンツ 素で何かをやることって、バラエティにおいてもないですし。ただ僕は自分の役割をまっとうすることを心がけているいので、そういった意味では、どの分野においても変わらないです。

――作詞するうえで、素の“ウエンツ瑛士”が出てしまうこともない?
ウエンツ 言葉のチョイスでおのずと出てしまうことはあるでしょうが、全体像としてはないですね。

――では、徹平さんと接するときは?
小池 完全に“タレント・ウエンツ瑛士”ですね(笑)。
ウエンツ 逆に言うと、素を全面に出してしまったら、この関係性は存在しないんじゃないかと。それは徹平に限らず、すべての人において共通していることなんですけどね。

――世間が求める“ウエンツ瑛士”像を崩したくないという思いがある?
ウエンツ 崩したくないし、“応えたい”といつも思っています。
小池 真面目なんですよ〜ウエンツは!
ウエンツ ウヒョヒョヒョヒョ〜(笑)。
小池 真面目にふざけてる。正直、俺の何倍も彼は真面目です(笑)。

――ウエンツさんから見た徹平さんは?
ウエンツ 謎ですね(笑)。

―― 一緒に曲作りをしているなかで、お互いの感情がぶつかり合ったりとかもない?
小池 感情のぶつかり合いはないですね。意見をぶつけ合うというか、お互いにこうしたいという注文はつけます。

――職人みたいな。
小池 その関係性は路上をはじめたころからずっと変わらないですし、これからも変わらないと思います。

(文:星野彩乃/撮り下ろし写真:西田修平)

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