童謡誕生100年、文化継承の要は“新作づくり”
新たなメディアが生まれるたび、コンテンツとして意味を持ち続けた
大正期、ドイツなどから音楽理論を学んで帰国した作曲家たちが、第一線の文学者とともに、いわばカウンターとして民間から提示したのが『赤い鳥』に始まる童謡の基礎になったことなどを説明する。
「子どもたちには最高の芸術に触れてもらうのが大人の責任だという思いがベースにあった運動です。決して子ども騙しの幼児向けマーケティング的なことではない。当初、北原白秋などは自分の詩に曲は不要、読者が自由に歌えば良いとしていたそうですが、山田耕筰が作曲するならいいよ、と。子どものためにと言いながら、素晴らしい芸術歌曲が多く生まれました。『赤い鳥』は雑誌メディアでしたが、やがてレコード、ラジオ、太平洋戦争後にはテレビと、新しいメディアが生まれるたび、常に童謡はコンテンツとして大きな意味を持ち続けた。同時に、商業主義的な要素とどう向き合うのかという課題を創作者側が抱え込むことにもなりました」(伊藤氏)
童謡誕生100年の主なあゆみ
童謡の可能性を信じる若い才能を求める
「現在の広い意味での童謡は、実は郷愁を求める大人たちがいて支えられている。ですが、どうにかして新しい童謡をきちんと子どもたちにまで届けたいというのが変わらぬ願いです。たとえば病気にかかったとき、大正の医者と平成の医者、どちらに診てもらいたいか。音楽というのは数学的なところがありますから、今のほうが知見も蓄積され理論も発達しているわけです。音楽的には、それは新しいほうが面白い。もともとビートルズ的なポップスも、大雑把にいえばクラシックの豊かな蓄積から要素を抽出し、まとめていますよね。童謡の原点はクラシック。協会は、そこはブレずにやっています。いわば臨床医と病理医のように、アカデミックな追求を続ける軸もやはり必要です。臨床と病理が往来し、初めて発展が続けられる」
インターネットという新たなメディアの隆盛は、童謡にとってどのような意味を持つのだろうか。
唱歌、童謡、さらに『みんなのうた』や『おかあさんといっしょ』などテレビ由来の子ども向け楽曲であっても、どの価値が上だ下だという話ではない、と伊藤氏。同時代性を持った一流クリエイターによる新作童謡を作り、それがより広く受け入れられていく方策をひたすら探る。童謡協会によるたゆまぬ営為は続く。
(文/及川望)