ROGUE、布袋寅泰、綾小路翔が高崎に贈った「DREAMIN’」 音楽の役割と向き合う『GBGB』
2日間の開演中、何度となくそんな思いに胸が熱くなった。
なぜこのフェスが行われているのか、そして、なぜここに出ているのか。イベントの趣旨と参加者の間にズレがない。オープニングアクトから大トリを務めるビッグネームに至るまで1点のブレもない。誰もが同じ思いに駆られ、同じ気持ちを伝えようとしている。
ROGUEがホストバンドを務める群馬県高崎市のフェス
なぜそうなったのか。答えは簡単である。
ROGUEがホストバンドを務めるフェスだからだ。そして、行われているのが彼らの地元の街、群馬県高崎市だからだ。
ROGUEがどういうバンドかは、もはや説明の必要もないのかもしれない。80年代後半のバンドブームの立役者の1組で89年には武道館公演やニューヨークのライブハウス、CBGBの出演も果たしている。BOOWY、BUCK-TICKと並んで群馬出身三大バンドとして活躍してきた。
というようなことはほんの前段階に過ぎない。彼らの語られるべきこと、そして、今につながっていることはその後からだ。90年に解散したバンドは、2013年に再び新しい一歩を踏み出すことになる。2009年、ヴォーカルの奥野敦士が事故で半身不随、下半身が全く使えなくなってしまった。車いすである。にも拘わらず想像を絶するリハビリの末に彼は、感覚のない腹筋を動かしながら歌う術を獲得する。そしてその姿をYouTubeに投稿する。
それが奇跡の始まりだった。
それを見つけたMr.Childrenの桜井和寿が、自身が行っていた『apbank fes』で紹介、彼らの代表曲「終わりのない歌」を歌って全国の音楽ファンが知ることになった。
ヴォーカリストが車いす。半身不随のロックシンガー。前代未聞のロックバンドとなったROGUEが2013年から始めたフェスがこの『GBGB』だ。“G-Beat Gig Box”の略。そしてマンハッタンのライブハウス、CBGBも重なっている。
今年は、その6回目。初めて2日間となり会場も最新の高崎アリーナとなった。
筋が通っていると書いたのは、そうした背景と、だからこそこれらの出演者が登場したという意味でだ。
『GBGB』に集結したロックフェス重鎮たちに共通する想い
バンドの絆というのは同じバンドのメンバーだけに生まれるものではない。バンドマンだからこそ分かり合えること。トリをつとめた群馬在住のG-FREAK FACTORYは「『GBGB』を1回目から見ていて、健常者よりも誇らしげに声を上げている先輩がいる群馬が誇らしい」と言った。
“バンドとロック”純化路線をさらに広げた2日目
音楽である。音楽が筋を作っている。LOOP CHILD、モーモールルギャバン、氣志團、FLYING KIDS、ORIGINAL LOVE、布袋寅泰という2日目のラインアップは、1日目の“バンドとロック”という純化路線をさらに広げることになった。
演奏が演奏を呼びライブの熱が連鎖反応のように高まって行く。縦横無尽のビートというのはこの2日間のことだろう。1日目のオープニングを務めたDJ・ダイノジが、BOOWYとROGUEの曲を絶妙にミックスしていたことも付け加えなければいけない。
ロックファンにとってゴールデンウイークは悲しい記憶とともにある。2日は清志郎とhideの命日だからだ。布袋寅泰は「空を見上げて空に行ってしまった人たちに向けた演奏をすることが多くなったけど、奥野は違う。あいつは負けない、もちろん苦しんでいるだろうけど、俺たちよりも強く、楽しんでいる。俺たちにエネルギーを与えてくれる」と言った。
布袋寅泰に寄り添って歌った奥野敦士「終わりのない歌」
人は誰でも夢を見る。そして、それを叶えるために故郷を捨てることもある。同じように、一度は捨てた者がさまざまな経路を経て再会する。ROGUEのバンド人生も奥野敦士のヴォーカリストの道も、一度は閉ざされた行き止まりだった。そして奥野敦士は地獄を見た。アンコールは布袋寅泰と綾小路翔も加わった「DREAMIN’」。ギターを弾きながら体を寄せてきた布袋寅泰の肩にほほを寄せるようもたれていた奥野敦士は心から幸せそうだった。最後に歌われたのはもちろん「終わりのない歌」だ。
このイベントには障害者用の車を行政に寄贈するという目的がある。すでに7台が群馬県内を走っているという。間もなく8台目が走りだすはずだ。
出演者の多さや参加者の数を競うわけではない。スタッフは全員がボランティアだ。お義理でもビジネスでもない。なぜロックバンドなのか、なぜ音楽なのか。そして、音楽の力とは何なのか。
こういうフェスがあることを声を大にして伝えたいと思う。
(文:田家秀樹)