西川貴教、起業家とソロ活動の2つの柱を語る「『天才てれびくん』“マーヴェラス西川”のような挑戦も必要」

 1996年5月、ソロプロジェクト・T.M.Revolutionとしてシングル「独裁 -monopolize-」でデビューして以降、数多くのヒット曲を送り出し、TVやCM、舞台と幅広い分野で活躍。最近では、NHK Eテレで放送中の番組『天才てれびくんYOU』から生まれたキャラクター“マーヴェラス西川”で新たな人気を獲得。その一方で、『滋賀ふるさと観光大使』に就任後、故郷で同県初となる大型野外フェス『イナズマロック フェス』の開催に尽力し、昨年10年目を迎えた。アーティスト活動だけでなく、起業家としての側面も持つ西川貴教が、地域と根付いたアーティスト発の大型フェス開催の秘訣や、音楽業界が抱える問題について語った。

“マーヴェラス西川”のような挑戦も必要 固定観念に縛られないアーティスト形成

――西川貴教名義の1stアルバム『SINGularity』が発売されました。このタイミングで西川貴教名義の活動をスタートさせた理由は?
西川 T.M.Revolutionが活動20周年という1つの節目を迎えて、今後どういった活動をしていくべきなのかを考えるなかで、自分自身の可能性を模索したいと思いました。西川貴教としての活動に関しては、T.M.R.15周年の時期から構想がありました。スタッフのなかには「早めにスタートさせたほうがいい」という意見もあったのですが、僕としてはT.M.R.の20周年をしっかり終えてからやりたいという想いがありました。

――ソロ名義の活動の意義についてはどのように捉えてますか?
西川 大きく分けて2つの柱があると思っています。1つは、自分の可能性を模索すること。ここ数年は舞台や映像の仕事をはじめ、CMやアニメの主題歌などで、自分の“声”に注目してもらえることも増えました。最初は戸惑い、本当に必要とされているのかと考えることもありましたが、さまざまな活動を続けるなかで、今まで気づけなかったことを発見することも多かった。西川貴教として活動することで、一挑戦者として、自分自身の歌の可能性をもっと探ってみたかったんです。2つ目の柱は、今のスタッフと一緒に、ゼロから新しいプロジェクトを立ち上げたかったこと。この世界に長くいさせてもらっていますが、自分の活動を黎明期から知っているスタッフは少なくなり、いつの間にか形式化され、ありもしないマニュアルのようなものに沿って動くことが増えている気がしたんです。新しいものを作り上げるのではなく、どうしても現状を維持するほうに重きが置かれてしまう。それは長年活動を続けてきた功罪ですよね。スタッフのモチベーションを上げることも常に考えていますが、新しいプロジェクトを作り上げる喜びを共有することが一番だと思います。それはもしかしたら、『イナズマロック フェス』を10年間続けてきたことの影響かもしれないですね。これと同じことを西川貴教というアーティストでやれないかなと。

――既定のイメージに縛られず、斬新なトライも必要になりますね。
西川 そうですね。デビュー当時から支えてくれているファンの方のなかには、お子さんがいる方も多いのですが、NHK Eテレの『天才てれびくんYOU』に(“マーヴェラス西川”として)出演している僕を観て、かなりビックリしているみたいで(笑)。「自分の子供が“西川だ!”って知っているのが不思議だし、また西川さんに会えてうれしいです」、「あと少しで子供が小学校を卒業するので、一緒にライブに行こうと思っています」という手紙をいただくこともあります。当初、スタッフのなかには“これまでのイメージがあるし、子供向け番組に出なくてもいいのでは?”という意見もありましたが、僕としては意義があると思ったし、そういった挑戦も必要だと感じています。

今でこそ当たり前だが、10年前よりジャンルレスな地域密着型フェスを提案

――昨年『イナズマロック フェス』は10年目を迎えました。04 Limited Sazabysの『YON FES』(愛知)、高橋優さんの『秋田CARAVAN MUSIC FES』など、“地方発・アーティスト主催フェス”が増えていますが、その起点となったのは、やはり『イナズマ』だと思います。
西川 そういった認識を持っていただけることは嬉しいですね。実際、04 Limited Sazabysや高橋優さんともフェスに関して話をしたし、後輩アーティストから相談を受けることもあります。自分がしたことが種になって、いろんな場所で芽を出しているとすれば、こんなに嬉しいことはないですね。

――イベンターやメディアではなく、アーティストが主体となったフェスがあるべきだという想いもありましたか?
西川 いえ、そんな崇高なものではなくて。僕はいわゆるロックフェスに“呼んでもらえない組”でしたから、フェスをやるとしたら、この方法しかなかった。たくさんのフェスがありますが、どのアーティストを呼ぶ・呼ばないという区分けに対し、ちょっとした疑問もありました。“このフェスに出ていればロック”という、よくわからない分け方もあり、そのうえに胡坐をかいている業界の方たちも多く見てきました。ユーザー側も“このフェスにアイドルが出るのはおかしい”といった反発もあり、それをどうにか打破できないかなと。

――『イナズマ』には、ジャンルレスなアーティストが出演しています。
西川 今では当たり前ですが、10年前にはそんなフェスはなかったと思います。関東圏のフェスと比較して、西日本のフェスは軒並み苦戦を強いられていますが、そのなかで動員数を伸ばせているのはありがたいことです。フェスのネームバリューやヘッドライナーの知名度はそれほど関係なく、そのフェスのドラマや物語が大切だと感じています。『イナズマ』は、数年前に荒天、台風などの抗えない事態に見舞われました。当時はすごく辛い想いをしましたが、だからこそ、10年目は特別なものになったと思います。僕としては「10周年で終わってもいいかな」という気持ちもあり、フェスの委員会にもお伝えしました。

――それくらいの達成感があったと。
西川 私事ですが、一昨年に母を亡くしました。このフェスはもともと、母が病気をしたこともあり、地元に帰るきっかけを作るためでもありました。その母が亡くなった今、イベントを続ける理由がなかなか見つからなくて。ただ、『イナズマ』はいまや僕の想いを超えて、地域の皆さん、観客の皆さんのフェスになっています。初年度から“地域に根付いたフェスにしたい”という話をしていましたし、それが形になっている以上、続けることが大事だろうと今は思っています。

提供元: コンフィデンス

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