文化放送会長が明かす、周囲の反対を押し切った無名時代の小倉智昭起用

 ラジオを取り巻く環境は近年、大きく変化した。radikoはエリアフリーに加えて、タイムフリー聴取も可能になり、ワイドFMも開始している。さらにスマートスピーカーの登場で、音声メディアへの再評価も始まっている。こうした追い風のなか、6月26日付で文化放送の代表取締役会長に三木明博氏が就任。無名時代の小倉智昭を起用し、「現在の自分のきっかけになった番組」と言わしめ、敏腕プロデューサー時代に数々の伝説を残した同氏が、約半世紀にわたるラジオ人生を振り返りながら、今後の新たな可能性について語った。

誰も知らなかったパーソナリティ、小倉智昭を起用した理由

  • 三木明博氏(文化放送代表取締役会長)

    三木明博氏(文化放送代表取締役会長)

――10年務めた社長から、会長にご就任されたところですが、改めて文化放送をはじめ、ラジオの現状をどのように捉えていますか
三木 ラジオを取り巻く環境は大きく変わっていると強く感じていますが、正直に言うと文化放送に関しては、環境の変化をビジネスに繋げるところにまで、まだ至っていないと認識しています。昔は良い番組を作ればありがたいことに自然に拡散していきましたが、今はそれだけでは厳しい。スマホ中心の世の中になりつつあるなか、もう一度本気で考えなければいけないと危機感を持っています。もう古希を迎えていますから、一生懸命勉強してついていかないと(笑)。データなどを見ると、エンタメでスマホを使う率はまだ少なく、しかもその大半は映像です。音声メディアや、音楽との接点を増やす余地はあるはずですから、そこにラジオ、文化放送のコンテンツを乗せることに意味があると思っています。

――敏腕プロデューサー時代の数々の話が伝説となっていますが、今だからこそ、成功体験から見えてくるものがあると思います。
三木 完全否定するつもりはないですが、従来のままの編成や番組の作り方でいいのかと思うことは多いですね。1984年にスタートした番組『とことん気になる11時』(月〜金曜日 11時〜12時)は誰もやったことがない内容にとにかくこだわりました。1日ワンテーマの気になるものを“とことん”突き詰め、麦茶などの身近なものから、臓器移植といった堅いものまで扱いました。パーソナリティも誰も知らない方がいいだろうと、テレビ東京のアナウンサーからフリーになったばかりの小倉智昭さんに声をかけました。アナウンス部長には「どうして局アナを使わないのか」と怒られ、営業には「麦茶だけで1時間の番組なんて売れない」と言われましたが、話題を取って数字を上げるからと強引に押し切りました。小倉さんの努力と才能があったからこそですが、後に「現在の自分のきっかけになった番組」と言ってもらい嬉しかった。おかげさまで番組は賞もいただき、評価してもらいました。この番組の次に同時間帯で企画した『梶原茂の本気でDON DON』も、前の日に内容を仕込むと予定調和になってつまらなくなるので、その日の朝にテーマを決めて、スタジオは開けっ放し、情報を持っている人なら構成作家でも、中継者のドライバーでも誰でもしゃべってもらう、そんな番組で、これも評判になりました。起承転結があるきれいな番組を作ろうなんて考えなくていいんですよ。既成概念が壊れたところに、新しいラジオの展開があると思っています。テレビや新聞がやらない独自ネタをやらないと、自分たちの道は開けません。

若者への施策であったアニメ番組が、ネット配信も加わり収益の柱に

――今年4月から日曜昼にA&G(アニメ&ゲーム)のワイド番組が始まるなど、いまやA&Gは文化放送のキラーコンテンツとなっています。
三木 編成局長当時の1991年にラジオ初のアニメ番組をスタートさせました。アニメを音声で表現できるか、懐疑的でもあったのですが、試しに音声を消してアニメ番組を観たらつまらなかったんですよ。それで音声の重要性に気づき、実験的にやってみたわけですが、狙いは他にもありました。かつて深夜ラジオがブームになり、ラジオで音楽を流すことがヒットの道になり、若者がこぞって聴いたものでしたが、時代と共にラジオと音楽の感性は薄れ、ラジオの若者離れが叫ばれるようになってしまった。だから、アニメを編成すれば興味のある若者へは、ラジオというメディアの存在を刷り込ませることができると思ったことも大きかったです。刷り込みのない人は大人になった時、ラジオに“戻る”ことはありませんからね。この時に始めたアニメ番組がネット配信なども加わり、広がっていき、今では収益の柱になっています。

――リスナーとの距離の近さなど、ラジオの良さを改めて活かせることは他にもありそうですね。
三木 人間の本質は変わりませんからね。ラジオ特有の適当な距離感が今、かえって、濃い結びつきのSNSを使っている人にとって、緩やかで心地よく感じるかもしれません。新鮮に受け取ってもらい、ラジオに人が戻ってくれるといいのですが。他局の番組ですが、FM東京の『SCHOOL OF LOCK!』がウケていることを見ても可能性があると思います。例えば人生相談番組をタテで1日中やってしまうのも手かも。むしろ今の時代だからこそ、求められる番組かもしれません。回答が必ずしも目から鱗の必要はなく、相談者は誰かに相談して、ただ何かを言ってほしい。それに顔が見えないのも都合がいい。また、リスナーは自分の幸せを改めて実感できますし、人の好奇心をかきたてるのが人生相談です。相談内容で時代も反映できるでしょう。日本の将来のことまで考える番組にもなるかもしれない。いろいろな発想でラジオも思い切ってやるべきです。

スマートスピーカー時代も視野に、新しいハードと連動した番組にもトライすべき

――出演者の起用はどのような観点で選ばれてきたのでしょうか。
三木 新たなパーソナリティを起用する時、知名度やスポンサードを考える場合が多いですが、テレビと同じように起用しても、面白くも可笑しくもないですよ。伊東四朗さんを初めて起用した時に反対されたことがありました。みのもんたさんや土居まさるさんなどと比べられ、「声がラジオ向きじゃない」「言葉の間が空いてしまう」と言われたんです。でも、てんぷくトリオの中で一番お笑いセンスがあり、面白いと思っていましたから、4時間の生番組でしたが、どうしてもと推しました。ただ、伊東さんからも「ラジオの生放送はやりたくない」と言われ、理由を聞くと、「役を与えられたものは何でもやりますが、ラジオは役じゃない。本名の伊藤輝男で話さないといけない。1枚1枚、演じている部分をはがされていくのが怖い」と。本音だと思います。そんな伊東さんも文化放送で33年も続けてしゃべってもらっています。大竹まことさんもそうです。看板番組として、11年目に入りましたが、はじめから『TVタックル』のイメージをそのままラジオでやってもウケないと思いました。大竹さんの持つ、喜怒哀楽を引き出せているから続いているのだと思います。ラジオはシンプルで材料が少ない分、スタッフ陣の力量が問われる。腕の見せ所でもあります。

――災害に強いメディアと言われ続けるために、聴取環境は整いつつある状況でしょうか。
三木 東日本大震災の時、ラジオが役に立ったのは、避難情報や救援物資情報だけではありませんでした。実はラジオはメディアの中でも、いち早く通常放送に戻しました。被災者の心の日常を取り戻すことが大事だったからです。笑い声や音楽が聴こえてきてもいいのかと議論もしましたが、むしろ笑うことで元気を取り戻し、音楽でほっとする。そこにラジオの役割があったのだと思います。そのために聴取環境を整え、都市型難聴を解消しようとワイドFMが始まり、来年3月ぐらいまでには全国のほとんどのAM局が導入します。国も後押ししてくれています。今現在、関東圏でワイドFMが聴かれているのはラジオ聴取者の2割程度。これが5割を超えたら、数字などにも反映してくるのだと思います。

――スマートスピーカーの話題もあり、音声メディアが見直されるタイミングもきていると感じます。
三木 日本人の発想で作られたものではありませんが、面白いですね。英BBCはスマートスピーカー向けの番組をすでに作りはじめ、広告展開を見据えていると聞いています。何も言わずに24時間個人のための音声コンテンツがどんどん流れ、いわばマイメディアになるということですよね。局のキャッチフレーズに「あなたのマイメディア 文化放送」を使ったのはまさにそういう意味です。新しいハードに合わせて、連動した番組にもトライしていくべきです。ラジオが生き残っていくために、時代の変化に対処するために、リスナーが何を求めているのか、誠実に向き合い、その上で、当たり前のことですが、いい番組を作り続けるしかないのです。そうすれば、どこかの時点で必ずリスナーとの接点が合わさる。ラジオの復活をこの目でしっかり見ていきたいです。

(文:長谷川朋子/写真:西岡義弘)
三木明博氏(文化放送代表取締役会長)
1947年生まれ。70年に文化放送へ入社、報道部に配属され、報道記者として活動。その後、営業部を経て制作部に異動。『伊東四朗のあっぱれ土曜ワイド』や『とことん気になる11時』の番組立ち上げに参画する。2001年に取締役編成局長に就任。その後、取締役営業局長、常務取締役営業局長、常務取締役営業局・編成局・デジタル事業局統括などを歴任し、2007年に代表取締役社長に就任。17年に代表取締役会長就任(現職)。

提供元: コンフィデンス

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