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ライセンス藤原一裕の初小説『遺産ゲーム』、第1篇全文を先行公開!

 そしてこちらに視線をくれず、正面を見据えたまま話し掛けてくる。
「髪の毛のワックスのくだりいるか? って思ってんだろ」
「思ってないっす」
「変な謝り方するから、その分余計に謝ってんじゃねえかって思ってんだろ」
「思ってないっす」
 お見事なぐらい、こっちが思っていることを突いてくる。これが本当にたまらない。しかしここで笑ってしまうと兄貴分という名目を武器に羞恥心を隠すためだけの鉄拳が飛んでくるので絶対に笑えない。腹筋に力を入れて耐え忍ばなければ、原を腹の中で笑っているのがバレてしまう。

「おい」
 牛嶋も人が悪い。1回にまとめて言えば良いのにと思うのだが、退屈しなくてすむ。原がドアを開けて素敵な所へ入っていく。
「お前、この前の上納金納めたのか?」
「へい」
「じゃあどうして俺んとこに誰も来てねえって上から電話かかってくんだコノヤロー! 間違いないんだろうな?」
「へい、間違いありやせん。ちゃんとATMから振り込みやした」
「あ? お前今何つった?」
「ですから、ちゃんと駅前の銀行のATMから振り込みやした!」
「バカヤロー! あの上納金は足がつかないようにちゃんとテメーで持ってけって言っただろうが!」
「すいやせん! あっすいません! 足が疲れないようにって言ってくれたんだと思って近くの銀行から振り込んじまいました! お気遣いありがとうございやす」
「何にお礼言ってやがんだテメー! ぶっ殺すぞ!」
「すいません! あっすいやせん!」
「ったく! 何が出来んだテメーは!」
「自分、店関係は大丈夫です」
「は?」
「ですから居酒屋、スナック、キャバクラ、ヘルス、ソープ、カラオケ特に問題ありません」
「意味わかんねえんだよ。何の話だよ!」
「だって、兄貴が何が出禁だって聞くから」
「ちげーよ! 何が出禁だじゃなくて、何が出来んだ!って聞いたんだよバカヤロー! 耳どうなってんだよ!ったく。いや、耳そのまま見せてくんじゃねえ! もういい外出てろ!」
「次から上納金は確実に自分で持っていきます!」
「当たり前だ!」
「それはそうと兄貴、ATMで振り込みにかかった手数料は経費で落ちますか?」
「落ちるわけねえだろ! 死にてえのか、テメー!」

 声をあげて笑えないというのがこんなにも苦痛だとは原に出会うまで知らなかった。笑ってはいけないというのは気持ちに反して地獄のような苦しみをともなう。笑える快感というのは声を出して初めて感じるものなのだと思う。笑顔さえ作れない俺の顔面の全筋肉が悲鳴をあげていて、自分でもどんな表情なのか分からない。原が横に戻った。

「上納金をATMから振り込むって、コイツ馬鹿じゃねえかと思ってんだろ」
「思ってないっす」
「しかも訳わかんねえタイミングでお礼言って余計に怒られたなって思ってんだろ」
「思ってないっす」
「ちゃんと1回目ですいませんって言えてんのに間違えるのが癖づいちまって、すいやせんに言い直しちまって逆になってんじゃねえかって思ってんだろ」
「思ってないっす」
「どう考えてもあの流れで出禁になった店の話になるわけねえじゃねえかって思ってんだろ」
「思ってないっす」
「あのタイミングで手数料請求するって頭おかしいんじゃねえかって思ってんだろ」
「思ってないっす」

 こんなにも苦しいのなら、いっそのこと敵対する組あたりがカチコミに来てくれたほうがどれだけ楽かと思ってしまう。今日の原は特に調子が悪くて絶好調だ。悲しくもないのに、愉しくて苦しくて涙が出てきた。
「おい」
 牛嶋のその声に原は勘弁してくれと言いながら玄関のほうへ足を向けた。俺も違う意味で勘弁してくれと思いながら涙を拭った。次はどんな?笑激?が訪れるものやとある種の不安すら覚えたが、今回は少し違った。
「おめえじゃねえよ」
「すいません」
 原が静かに戻った。
「コイツ、おいって呼ばれんのが癖づいちまって今回も俺だなって勘違いして玄関入っちまったなって思ってんだろ」

 ここに来てこんな新しいパターンがあるなんて聞いてない。
「思ってないっす」
 拭ってすぐにまた涙が出てきた。いつもベルを鳴らしてからご飯をあげていた犬が、ベルの音を聞くだけでヨダレを垂らしはじめたという条件反射の話「パブロフの犬」を思い出した。牛嶋の原だ。

「おい、英次」
 どうやら牛嶋が呼んだのは犬ではなく俺だったようだ。原を見てしまうと我慢しているものが吹き出しそうだったので原に背中を向けて、玄関の中に入っていった。
「御用でしょうか」
「お前、うちのシマじゃねえのに地回りして、職安通り入ってすぐの風俗ビルしめたらしいな」
「はい、あそこしめたら組にとっても実入りがでかいと考えてましたんで」
「やるじゃねえか」
「ありがとうございます」
「これ、オヤジからだ。取っとけ」
「はい」
「あと今度からお前が上納金持って行け」
「承知しました」

 確認しなくても、牛嶋からもらった分厚い茶封筒の中身が金であることは、持った感触からわかった。それを胸ポケットにしまいながら、聴覚を研ぎ澄ましていたであろう原の横に戻った。
「コイツ、俺が何もらったか気になってんだろうなあって思ってんだろ」
「思ってないっす」
「気になってるよ、何もらったんだよ」
「金です」
「いくらだよ」
「おそらく1本かと」
「何だよ10万かよ。たいしたことねえな」
「いえ、100です」
「100万!?」
 目を丸くした原がこちらを見ていた。

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