ORICON NEWS

活動休止・結婚・妊娠……絢香が現在の心境を告白!

 復帰アルバム『The beginning』から約3年ぶりのアルバム『レインボーロード』が完成した。現在、妊娠中でもある絢香にとって特別な1枚となった今作について、そして、来年はデビュー10周年を迎える彼女にこれまでの歩みや、もうすぐ母となる現在の心境をインタビュー。一気にスターダムへと昇ったデビュー直後の想いや活動休止中の心境、妊娠してからの変化など、菩薩のような癒しオーラ満点の笑顔で語ってくれました!

デビュー当時、ついていくのに必死な反面、プレッシャーもあった

――昨年12月の妊娠発表から約4ヶ月経ちますが。今はどんな風に過ごされていますか?
絢香 普段の服が着られなくなる程お腹が膨らみを増していくので、新しい命の存在をより強く感じるようになりました。それに伴って、母になるという実感がどんどん沸いてきているので、とにかく新しい家族を迎えるための準備を毎日しています。母も、私がいま感じているように、私が産まれてくるのを心待ちにしてくれてたのかな……なんてことを考えたりしながら。命がお腹に宿っている貴重な時間も後わずかなので、奇跡が重なることでしか経験できない特別な時間なんだと感謝しながら、日々穏やかに過ごしています。

――妊娠中は食の好みがガラッと変わることもあるそうですが、いかがです?
絢香 去年のツアー中はつわり真っ最中だったので、色々な変化に困りました(笑)。うどんしか食べられない時期が来たと思ったら無性に揚げ物ばかりを食べたくなったり、辛いものを欲することもあったし……、週ごとに食べられるものが変わっていきました(笑)。今でもその変化はたまにあって、普段はお肉よりお魚が好きなのに、お魚よりお肉になったり、自分でも驚いています。出産したらそういったことも忘れてしまうかもしれないので、小さな変化ひとつでさえも愛おしく感じる(笑)。そして現在の家族の形も、あとわずかなんだなって。

――確かに“期間限定”ですね。
絢香 そう考えると、残された現在の家族の形で過ごす日々を、心に彫り込むくらいのつもりで大切に過ごさなきゃなって思います。

――絢香さんは現在27歳で、デビューのために上京したのがちょうど10年前の17歳のとき。そのころは10年後の“いま”をどんなふうに想像していましたか?
絢香 こうなっているとは思ってなかったんじゃないかな……。当時は地元の大阪を離れて、東京という未知の世界に飛び込む感覚でしたし、“何年、東京にいられるんだろう?”とか“もっと頑張らなきゃ、絶対に結果を出さなきゃ”っていう思いが強くあったので、常に力が入っているような感じ。目の前のことにしか集中できないようなところがありました。そのくらい必死でしたから、10年後のことなんて考えもしなかったというか、そんな余裕は正直ありませんでしたね(笑)。だからこそ、10年前の自分が今の自分を見たら、きっと驚くでしょうね。

――特に絢香さんの場合、この10年は人生が激変した濃い時期でした。
絢香 本当に濃かったです(笑)。多分、これから先、27歳から37歳の10年というのも、それなりに濃いんでしょうけど、デビューからのこの10年は今後ないぐらいの濃さだろうなと。人生の中での重要なポイントがいくつもありましたからね。

――まず、デビューをしたということが大きな出来事ですよね。そこからいきなり「三日月」など大ヒット曲を出し、1stアルバムもミリオン達成、さらに『紅白歌合戦』初出場と、1年目で一気にスターダムへと駆け上がりましたが、その頃はどんな気持ちでした?
絢香 もちろんすごく嬉しかったけど、その反面、その状況についていくのに必死でした。あまりにもめまぐるしく日々が過ぎていくので、置いてかれないようにするだけで精一杯だったんですよ。しかもデビューしたころ私はまだ18歳で、周りは大人ばかり。そんな状況に早く慣れなきゃいけないという焦りや、結果を出さなきゃというプレッシャーもあり、常にいっぱいいっぱいでした。

――でもデビュー当時、絢香さんをインタビューさせていただいたとき、なんて冷静で落ち着いた18歳だろうって驚いたのをよく覚えています。この世代の女の子特有のキャピキャピしたところもまったくなかったし(笑)。
絢香 キャピキャピしてなかったっていうのはよく言われます(笑)。今思うと、あの頃の自分なりにしっかりしなきゃと頑張っていたんだと思います。鎧をつけていないと負けちゃう、誘惑に流されてしまうという危機感にも似たような意識があったので。

結婚で人生観が変わった!今の私があるのは彼のおかげ

――めまぐるしい状況の中で曲作りなど、クリエイティブな部分の変化はありました?
絢香 ありましたね。それこそデビュー曲の「I believe」は、デビュー前の時期に作った曲なので、歌手になりたいという自分の強い想いを自分のペースで想いを込めながら自然に書けた。でも、デビューしてからは、ツアー、テレビ、ラジオやその他にもたくさん仕事があって、忙しい合間をぬって制作をするしかありませんでした。楽曲制作だけに集中するわけにはいかない状況に、最初はすごく戸惑いました。大好きな音楽をやらせてもらえている喜びはもちろんあったけど、曲を「書きたい」というより「書かなきゃいけない」という状況での制作が続くと、心の中で「これでいいんだろうか? 音楽ってそういうものなんだろうか?」と、葛藤するようになりました。そんなときにバセドウ病がわかり、それを抱えながらの活動となってしまったので、さらなるプレッシャーに押しつぶされそうでした。

――10代の女性が背負うには、あまりに重い重圧ですよね。
絢香 はい。しかも、忙しくてなかなか病状の数値を安定させられない日々が続いてしまい、ついには身体が思うようにコントロールできなくなっていきました。自分の大好きな歌を、満足のいくレベルで歌えない程になっていたんです。そんな自分の状況を見ないフリして頑張っていたけど、ステージに立つことが大好きだからこそ、自分の納得のいくパフォーマンスができていないことが何より悔しくて。でも、あの時期があったからこそ今がある。自分が本当に大切にしたいことが明確にわかったのも、このときの経験があったからなんですよね。

――それがわかるきっかけとして、結婚はやはり大きい?
絢香 大きいです。“もうひとりじゃない、もうこれからはひとりで悩まなくてもいいんだ”って、人生観が変わりました。活動休止のきっかけになったのも彼のひと言で、自分にとって本当に大きな決断へと導いてくれました。

――人生を一緒に背負ってくれたと。
絢香 そうですね。彼は、それまでのキャリアをなんの躊躇も無く捨てる選択をしてくれました。ゼロもしくはマイナスからのスタートになるかもしれないのに、それでもいいと。移り変わりが激しい芸能界で、私の病状が整うまでどれくらいかかるかわからない状況の中で、一緒になって私の身体を整える方法を探すことに専念してくれたんです。それって普通怖くてできないと思うんです。でも彼は「一緒に365日を絢香の身体を良くするために使えた方が、目標に掲げた2年での復帰は叶えられそうじゃない?」って。それまでは弱い部分を人に見せずに、自分を強く見せることに必死だったけど、彼と出会えたことで、鎧を外せたというか、弱い部分があってもいいんだって思えるようになって、彼の言葉に甘えました。

――そのひと言は、どんな言葉だったんですか?
絢香 そのときのひと言が「一旦立ち止まって体をしっかり整えて、病状の数値を安定させられる術を見つけた後の歌と、このままギリギリの状態で身を削りながらやっていく歌と、どっちがより人の心に伝わる歌になるかな? で、どっちが一生歌い続けるという絢香の夢を叶えられる道なんだろうね?」って。その考え方が、スッと自分の中に入ったんです。体を万全にして今よりさらにいい歌を永く届けたいなって強く思った。それに気付かせてくれたこと、そしてその決断を信じて背中を押してくれたこと、一緒になって闘ってくれたことは、とても大きかったです。今の私があるのは彼のおかげなんです。

――忘れられてしまうかもしれないという不安や焦りはなかったんですか?
絢香 その不安や焦りも当然ありました。でも、このままやり続けて、ファンをがっかりさせるパフォーマンスしかできなくなるような状態に陥ってしまう事の方が怖かったです。

ファンと作った「バースデーソング」の映像が完成!

タグ

あなたにおすすめの記事

メニューを閉じる

 を検索