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山手線40年ぶり新駅で注目の「高輪」玄人好みの歴史スポット3選

2020年、山手線30番目の新駅が開業される予定です。40年ぶりの新駅予定地は山手線の田町駅〜品川駅間で、現在の高輪周辺にあたります。近隣には「赤穂浪士討入り事件」や「キリシタン殉教地」など、高輪ゆかりのスポットが点在します。路線と並行して江戸時代の脇往還として賑わった「旧中原街道」も通っており、現代も幹線道路として活躍しています。高層ビル群に囲まれた一帯に今も残る歴史の足跡をぜひ実感して下さい。

忠臣蔵の逸話が泣ける!かつては東京湾を見下ろせた「御田八幡神社」

写真:Isao Noguchi

御田八幡神社は709年、東国における鎮護の神様として祀られました。主祭神は誉田別尊(ほんだわけのみこと)です。
この神社は「旧中原街道」の沿道に建っており、江戸時代は「東海道」の煩わしさを避けて庶民や商人は脇往還であるこの街道を利用していました。あの赤穂浪士も東海道を敢えて避け、このルートから江戸入りしたと言われています。
赤穂浪士の一人高田郡兵衛は、この神社で討入り後の浪士に酒樽を振舞ったといいます。討入りに同行できず、浪士から冷遇されていた郡兵衛でしたが、堀部弥兵衛から吉良上野介の首を討ち取ったことを聞き、安堵したそうです。

写真:Isao Noguchi

お昼休みの時間帯には、近隣のビジネスマンがランチタイムで集まってきます。境内の樹々と高層ビルに囲まれているので、涼しく心地良い風が通り抜けます。また、ボランティアのグループが参拝に訪れていることもあり、正午から1時間程度は賑わっています。
江戸時代には境内から東海道や江戸湾が見渡せたそうです。『江戸風景』という神社で販売されている絵馬から当時の様子を伺い知ることができます。夏季はお祭りや歳時が多く「お神酒」も振舞われます。心付けを渡して飲まれている方が多いので、ありがたく頂きましょう。

写真:Isao Noguchi

地名として認知されている「三田」ですが、「御田」や「箕多」「屯田」「神田」など、文献には様々な表記が使われています。逆に言えば、かつて日本全国には「みた」という地名が点在していたということになります。
「御田八幡」は、奈良時代に作られた『延喜式神名帳』という全国の格式高い神社名を記した書物に記載されており、江戸時代の観光書物『江戸名所図会』にもその名をみつけることができます。
創建は709年という、東京では古い歴史を持つ神社です。神社名の「御田」は「神様に捧げる田畑」という意味で、古くから色々な漢字が充てられていたようです。
<基本情報>
所在地:東京都港区三田3-7-16
電話:03-3451-4687
アクセス:JR「田町駅」から徒歩10分
祈祷受付時間:9:00〜17:00

不浄の地とされた「元和キリシタン遺跡」!なだらかな丘陵に刻まれた迫害の記憶

写真:Isao Noguchi

「元和キリシタン遺跡」はキリスト教信者の殉教地跡です。1623年、3代将軍徳川家光の命により、キリスト教信者50人が処刑されました。この年の元号が「元和」だっため、「元和キリシタン遺跡」として現在に至っています。
処刑が行なわれた「札の辻」では、街道に沿って火刑のために50本の柱が立てられ、火あぶり、のこぎり、磔などによって処刑されました。処刑されたのは、エロニモ・デ・アンゼルス神父、シモン遠甫、ガルベス神父、原主水などです。
聖書には「霊が後世の人々を祟る」という概念はなく、この思想は日本人特有のもので、この地で供養や追悼式が行われるのも宗教観の表れと言えるでしょう。

写真:Isao Noguchi

この土地は長く「不浄の地」とされ、人々が住みませんでした。しかし、約150年後に「智福寺」というお寺が建てられました。その後智福寺が現在の練馬区に移転すると、都ホテル・都イン東京ホテルが建てられ、その一角に現在の小さな碑が建てられました。
この広場の奥へ進み、エレベーターで上層階へ上がると、その先は「済海寺」に続いています。殉教地ゆかりの土地では、キリシタンの殉教が起こった多くの跡地に供養として寺院が建てられています。
これまで、寺院の開基はキリスト教信仰を封じ込める為と解釈されていました。ですが、後に地元の人々の強い意志から供養目的で建立されたことが分かり、「血の歴史」を風化させない為に大きな役割を果たしているのです。
<基本情報>
所在地:東京都港区三田3-7-8
アクセス:JR「田町駅」から徒歩8分

写真:Isao Noguchi

「元和キリシタン遺跡」から田町駅方面に向かうと、かつて刑場のあった「札の辻」が見えてきます。元来の目的は江戸府内外を取り締まる関所として設けられていました。
現在、キリスト教徒弾圧の象徴的な出来事が起こった面影は全くありません。幹線道路の脇には「札の辻」にまつわる立て看板があるだけで、そこにはこの地から房総の山々をも眺望できたと記されています。
その後、高札場(関所)は1683年、現在の都営浅草線「泉岳寺駅」付近にある「高輪大木戸」へ移転されることになります。
<基本情報>
所在地:東京都港区都道3-5-301号線
アクセス:JR「田町駅」から徒歩6分

江戸時代を象徴する史跡群!「高輪大木戸跡」は駅から徒歩0分?

写真:Isao Noguchi

「高輪大木戸跡」は伊能忠敬が全国測量の基点としたことで知られています。そして、「元和キリシタン遺跡」の石碑は、ここで使用された石垣の一部なのです!
高札場として「札の辻」から移転すると、江戸南方の関所として「江戸の六大高札場」に数えられました。旧東海道の両側に石垣を築き、夜間は通行不可だったそうです。東京に残された数少ない江戸の産業交通に関する史跡として、現在は「国指定史跡」として保存されています。
江戸時代は品川宿に至る景色が美しく、月見の名所としても有名でした。泉岳寺駅前に、このような歴史的史跡がそのまま現存していることに驚かされるばかりです。
<基本情報>
所在地:東京都港区港区高輪2-19
アクセス:都営浅草線「泉岳寺駅」より徒歩30秒

写真:Isao Noguchi

国道15号線を品川方面に進むと、素通りしてしまう可能性がかなり高い寺院があります。ビルの谷間にあり、間口が狭いため、その奥にお寺があることはなかなか気づきません。
しかし、この参道の奥にある「成覚寺」は、高輪にとって重要な寺院なのです。なぜならば、「キリシタン殉教」と同時期の1625年、まだこの地が「芝高輪村」と呼ばれていた頃、初めて建立されたお寺だからです。
当時、惣村の有力者であった金田八左衛門と平房能が「村に平穏が訪れるように」と、寺院の建立に尽力したと伝えられています。

写真:Isao Noguchi

かつての成覚寺は、総門を一歩出ると大海原で漁をする船が見えたといいます。
この寺院の不思議な点は、参道に対して本堂が正面を向いていないことです。『名所江戸百景』の地図を見てみると、確かに総門前には海が広がっており、沿岸部に立地していたことが確認できます。
現在は参道と本堂裏へと続く道が繋がっており、本堂の位置が変わったと考られます(居住地と繋がっている状態)。また、駐車場も完備されており、事前の連絡をしておけば車での参拝も可能です。
<基本情報>
所在地:東京都港区三田3-9-9
電話:03-3451-8005
アクセス:都営浅草線「泉岳寺駅」より徒歩2分

高層ビルと混在した歴史の足跡。五街道を補完した高輪の立地的役割とは?

旧中原街道をまっすぐ進むと神奈川県平塚市に辿り着きます。高輪周辺は現在も物流には欠かせない要所であり、東京(江戸)の玄関口です。かつては江戸府内から外れたエリアであり、諸藩の下屋敷が多く建ち並んでいました。
また高台が多く、昔から風光明媚な場所として財界人などに愛されてきました。今でも高級住宅地として人気が高く、都内を代表する閑静な住宅街となっています。
神社仏閣が都内の中で多く密集しているのも特徴で、江戸湾を見下ろす高台が神仏を祀るのに相応しかったかったこと、また江戸府内に入る際、人々が社寺で身を清められるといった理由が考えられます。
2018年月7月現在の情報です。最新の情報は公式サイトなどでご確認ください。

■関連MEMO
元和キリシタン遺跡
http://www.syougai.metro.tokyo.jp/bunkazai/week/minato/minato11.html
高輪大木戸跡
http://bunkazai.metro.tokyo.jp/jp/search_detail.html?page=1&id=73
御田八幡神社
http://mitahachiman.net/

【トラベルジェイピー・ナビゲーター】
Isao Noguchi

提供元:トラベルジェイピー 旅行ガイド

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