倒幕のモチベーションはセンセイの仇討ち!?

松陰センセイの直弟子にして、最も濃ゆく薫陶を受け、奇兵隊の「開闢総督」(本人命名)となり、長州藩の保守派と幕府軍をぶっ潰した高杉晋作。

■ 幕府の寿命を縮めた安政の大獄

今年2018年は明治維新からちょうど150周年の節目。50周年、100周年の時もそうだったように、全国各地で様々なイベントが催され、歴女や幕末ファンを中心に盛り上がっている。また、資料館や施設などハコモノの建設やリニューアルが相次ぎ、秋には国の式典も予定されている。

NHK大河ドラマ『西郷どん』が好評なのも、そうした追い風を受けてのことだろう。そのドラマでは今、維新のちょうど10年前、安政の大獄のあたりを描いている。幕末に興味がない人でも耳にしたことがあるはずの、安政の大獄。徳川幕府の大老(総理大臣クラス)井伊直弼が、政治的に対立する諸大名から庶民に至るまで多くの人々を厳しく弾圧した事件だ。

大河でも、佐野史郎の静かだが底にコワ〜いものを秘めた井伊大老が、伊武雅刀演じるガンコじじいの徳川斉昭や、松田翔太の「ひーさま」こと一橋慶喜たちをバッサバッサと処罰した。そして、次の放送回では西郷隆盛の盟友で、ジャニーズの風間俊介演じる橋本左内も死ぬ(だろう)。ところが『西郷どん』には、この大弾圧で処刑された超重要人物が登場していない(第17回時点)。吉田松陰センセイだ!

■ 1stジェネレーションの二枚看板が眠る地

ちょっと前、ネットやSNS界隈でいわゆる“逆張り”がプチブームになった時、坂本龍馬や高杉晋作がやり玉にあげられたことがあった。松陰センセイもその一人で、高杉や伊藤博文はテロリストに過ぎず、松下村塾で彼らを育てた松陰も同罪、頭のおかしいアジテーターだった、という調子だ。

それらの逆張り説は、史実や書簡、一次史料を見ればわかる本人の言動・志向をまるで無視した、スッカスカの妄想だったため、すぐ世間から忘れられた。が、もしかしてもしかすると、今年の大河に松陰センセイが1ミリも出ていないのは、NHKがそんな過去の逆張りに乗っかっちゃったから?

なーんてことは多分なく、西郷隆盛と吉田松陰にはまったくといっていいほど接点がないことが理由だろう(ムリヤリ挙げれば、どちらも陽明学の徒だったことか)。また今年の大河は幕末オールスター・システムではなく、登場人物を西郷周辺の少人数に絞っているからだろう。

にしてもデアル。松陰センセイは維新回天の思想を語り、広め、行動せよと促がした第1グループの代表的人物だ(他には佐久間象山や横井小楠などの学者、島津斉彬や松平春嶽ら開明派の藩主など)。それが維新150周年の年の大河ドラマに登場しないなんて……。あまりに悲しいので、今回は松陰センセイ最期の地を取材してきました! すると見えてきたものは!?

東京メトロ小伝馬町の駅前に位置する、伝馬町牢屋敷跡。安政の大獄で幕府に捕まった松陰センセイは、ここの牢に収監された。罪状はいろいろあるが、国法を破ってペリーの黒船に乗ってアメリカに密出国しようとしたり、幕府の政治を大っぴらに批判したり。幕府側から見れば、まあなかなかの大罪人。

さらに老中の間部詮勝や紀州藩家老の水野忠央の暗殺を計画していて、前者については自ら進んで「ハイ、老中の間部氏を暗殺しようとしたことは事実です」と認めただけでなく、「暗殺するのが正しいと思ったからです!」と堂々と語ったことが決め手になってしまった。センセイは、正面から幕府の政治を批判し、自分に一片の後ろ暗さもないことを明らかにしたかったのだ、死を覚悟で。いや案外、その熱量が幕府に通じ、政治を改めることに期待したのかもしれない。

もともとセンセイは、死罪に処されるほど幕府から“大物扱い”されていなかった。捕縛の理由は、もっと大物の学者・梅田雲浜の幕府批判活動の裏取りのためで、雲浜が萩に行って二人で語り合った際の内容を聞き取るためだった。一説には、最初は島流しの刑だったものが、間部暗殺計画を語ったために死罪に変えられたという。

そして安政6年(1859)10月27日、吉田松陰は伝馬町牢屋敷で斬首され、桂小五郎、伊藤博文らが遺体を引き取り、現在の南千住にある回向院常行堂に埋葬した。享年29。多くの志士に薫陶を与え、彼らの目を開いた幕末の大指導者は、その短い生涯を終えた……となるはずだったのだが、この松陰の死が回り回って、後進たちの倒幕モチベーションとエネルギーを燃え上がらせてしまった! のだが、その前にもう一つ。

吉田松陰や梅田雲浜と同じく、安政の大獄で非業の死を遂げた大物の中に、橋本左内もいた。大河ドラマでの役割もあと1回分となる(はずの)左内も、幕府政治を批判した罪で斬首され、同じく回向院に埋葬された。左内の場合は、14代将軍に一橋慶喜を推したことが井伊直弼ら保守派の幕閣の恨みを買い、極刑に処せられた。

■ 高杉晋作、怒る!

時は流れて文久3年(1863)、徳川幕府に師を殺された高杉晋作が、ついに爆発した! 松陰センセイの処刑直後から、仲間たちに「必ずアダを討つ!」と怒りまくっていた高杉は、朝廷から政治犯の恩赦が出たことをきっかけに、センセイの遺体を取り戻すことにした。罪人の墓所である小塚原に留め置かれた師の遺体を、せめて長州ゆかりの土地に改葬し、名誉を回復しようとしたのだ。

現在、高杉晋作や吉田松陰のファン、歴女たちに「東京にある長州史跡の聖地」として人気の高い松陰神社は、こうして生まれた。今、東急世田谷線のその名も「松陰神社前駅」からすぐの所にセンセイは改葬され、後に祭神として祀られ、松陰神社となった。弟子や同志たちの墓所に加えて、萩のオリジナルを模して建てられた松下村塾もここにある。

幕末当時、長州藩の飛び地領だったこの地には、現在松下村塾も建てられている。かつて松陰が教鞭を執り(といっても字面通りのムチではないが)、若き日の長州志士たちが集った青春の学び舎。その雰囲気をそのまんま感じられるうれしいスポットだ。

そうした生徒の中で、最も目をかけられた高杉晋作もまた、奇しくも師と同じ29歳という短い生涯だった(ただしこれは数え年。満年齢は27)。その後半生を徳川幕府への怒りで塗り尽くした出発点は、安政の大獄だった。たった80人の無謀な挙兵をして藩内の親幕派閥を叩き潰し、奇兵隊や藩軍を率いて幕府・諸藩連合軍10数万に立ち向かい、“奇跡”の勝利を収めた爆発の原点は、心酔しきっていた恩師を殺したあの大獄にあった。その幕府への怒り・不信・疑いが長州全藩に伝わって、倒幕に繋がっていったのだ。

それを考えると、幕府の最高権力者の井伊大老自ら、その寿命を縮めるトリガーを引いてしまったといえる。このあたりは、今回の動画でさらに熱くくわしく語っているので、合わせてぜひご覧ください。

■ 今週の『西郷どんナナメ斬りッ!』

幕末維新が大好きな俳優や声優、歴ドルたちが、毎週NHK大河ドラマ『西郷どん』をじっくり観て、より楽しむための多角的考察を語りまくるトーク動画です。今回は大河の第17回から、安政の大獄をたっぷり語ってます! サブタイは「西郷入水」だったけど、最後の最後で海に飛び込んだところで終わってたもんで。ともあれ、大獄で処罰された藩主や思想家たちの想いや、井伊直弼の正義とはなんだったのか? さらに玄人好みの名優・近藤正臣さんと安政の大獄との驚きの縁も飛び出しました! ぜひ楽しんでください♪(東京ウォーカー・ボクらの維新通信社2018/ロバート・ウォーターマン(KUROFUNE-United))

提供元:Walkerplus

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