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「バレたら即ゲームオーバー」警察官&消防士の元公務員ゲイカップルが語る生きづらさ「必ずしもカミングアウトの必要はない」

(左から)元消防士のKANEさんと元警察官のKOTFEさん

(左から)元消防士のKANEさんと元警察官のKOTFEさん

 元警察官のKOTFEさんと元消防士のKANEさんは、ゲイであることを公表し、同棲生活を送るカップル。LGBTQ+の啓発活動家としてYouTubeやSNSでの発信、メディア出演や講演などを積極的に行い、人権後進国と言われる日本を少しでも変えようとしている。そんな2人が公務員として10年以上勤務したなかでの苦悩や葛藤、カミングアウトの必要性など、LGBTQ+の置かれる現状について語った。

模擬結婚式の様子

ゲイを認めることは不幸な人生だと思っていた…いまは幸せになれることに気づけた

――ゲイだと気がついたのは、いつ頃、どういうきっかけだったのでしょうか?

KOTFEさん 小学3年生で9歳の時に同級生の男の子を好きになって初めて気づきました。当時は、「誰にも言ってはいけないことで、ダメなことなんだ」と誰にも言えませんでした。

KANEさん 僕は高校卒業して19歳くらいで男性にも惹かれることに気づきはじめました。でもその気持ちにフタをして、自分のなかで抱え込んでいました。

――お二人の出会いを教えてください。

KOTFEさん 11年前に同性愛者向けのSNSで知り合いました。すごくピュアな人というのが第一印象で、会ったその日にひと目惚れして告白しました。

KANEさん KOTFEくんはずっとやっていた柔道を引退したばかりで、前腕が尋常じゃないくらい太くて。“ゴリラのような太くて強い腕をした優しいお兄さん”というのが第一印象でした(笑)。会って数時間の初対面で告白されても相手のことがまだよく知らない。うれしいけどすぐには信用できないし、変わった人だなと思いました。
――そこから時間をかけてお付き合いが始まったのでしょうか?

KANEさん その頃は、友だち以上恋人未満という関係の女性もいて、まだ自分のことをゲイと受け入れられませんでした。「好き」と言ってもらったことに対して、答えられなかったんです。

KOTFEさん 当時はLGBTQ+の情報が少なく、僕たちが理想とするようなゲイのロールモデルもいなかった。KANEくんは、「自分自身をゲイだと認めることは不幸な人生を送ることだ」と思っていようです。自己の内面と向き合っている最中だったこともあって、なかなか僕の思いを受け入れてくれなかった。

KANEさん 「一緒にいたい」という気持ちはありました。ひとり人暮らしをしていた彼の家に遊びに行くうちに、「好き」という言葉をはっきりと伝えないうちに同棲が始まり、そのまま11年一緒にいます(笑)。でも、出会ってから1〜2年かけて自分と向き合えるようになって、“これは付き合っているんだ”“幸せになれるかも”と思うようになりました。

昭和的な価値観が色濃く残る公務員の職場「ゲイだとバレたら即ゲームオーバーだと思っていた」

――KOTFEさんは警察官、KANEさんは消防士でした。日本社会のなかでもとくに規律を重んじる、古くからの風習や習慣が色濃く残っていそうな職場に思えます。

KOTFEさん 警察組織は体育会系の男社会で、昭和的な価値観が残っていました。男は結婚して一人前という風潮があり、20代後半に差し掛かった頃からは、上司や同僚から、「彼女はいないのか?」「まだ結婚しないのか?」と繰り返し同じ言葉を浴びせられる。そんな職場でゲイということがバレたら即ゲームオーバーだと思っていました。

――誰にも打ち明けることができない状況だったのですね。

KOTFEさん 「気持ち悪い」「怖い」「かわいそう」と思われるのは目に見えていました。加えて、認識不足による理不尽な人事異動や昇進に響くかもしれないという恐怖心がありました。カミングアウトしてもメリットは何ひとつないし、LGBTQ+の人がカミングアウトをして警察組織で働いていることを、当時聞いたことはありませんでした。

KANEさん 僕は大阪市の消防局に勤めていました。大阪市はLGBTQ+の研修を全国的に早く始めています。でも、研修は資料を読むだけで講師は専門家や当事者を呼んで講習が行われるわけでもない。研修を受けても、当事者が職場にいるとは考えられないし、そういう感覚にはならない人が多かった。研修を受けた上司が職場に戻ってきて「自分の子どもがゲイだったらイヤだね」と笑っていました。「LGBTQ+は特殊な人」という意識があり、差別的な発言や偏見がなくなることもありませんでした。

――社会への建前的にやっているだけで、本質的な理解や意識の変革にはつながっていない?

KANEさん そうですね。少なくとも僕のいた職場は当事者が安心してカミングアウトできる状態ではなかったです。研修だけやっても、当事者が何に困っているかということがわからない。研修によって働きやすくなることはありませんでした。

体調を崩して退職を決意「残りの人生は本当の自分で生きたい」

――ゲイであることを隠して10年ほど働いてきましたが、2年前に退職されました。

KOTFEさん 2020年6月に適応障害と診断されて、休職を余儀なくされました。その時は、なぜ倒れたのか理由がわからず、仕事を抱え込み過ぎて倒れたのだと思っていました。休職して自己内省するうちに、ゲイということを隠し、小さな嘘をつきながらストレスを抱えて勤務していたことが積もりに積もって倒れたことに気づきました。それでも復職を目指して頑張っていたのですが、どうしてもこの組織で心身ともに健康で働くイメージが持てない。残りの人生は本当の自分で生きることを決意して、2021年3月に退職しました。

KANEさん 僕は11年目で辞めたのですが、新しいことにチャレンジしたいと思い退職を決意しました。ただ退職後、自分がゲイであることに向き合うなかで、日々のマイクロアグレッション(些細な無自覚の差別言動)や、常に嘘をついていなければいけないことがストレスになっていたことに気がつきました。職場で過呼吸や涙が止まらなくなることがよくありました。体育会系の職場での不都合は自分にとっては当たり前すぎて、メンタル不調だとも気づかず出勤していましたが、いま思えば、ずっとしんどかったんだと思います。

――その後、それまで生きてきた関西を離れて、周囲に知り合いがいない東京に移り、カミングアウトします。

KOTFEさん 僕らは家族や友人に直接カミングアウトはしていないのですが、KANEくんが「YouTubeやSNSでカミングアウトしよう」と言ってくれて。最初ちょっと怖かったのですが、やっぱり嘘をついて生きていきたくなかったので決意しました。

KANEさん いまの日本では同性婚ができないので、僕らは家族になれない。でも、記録に残してたくさんの人に知ってもらうことで家族であることへの証明になるし、何かあった時に守ってもらえると思ったのが、きっかけです。YouTubeを観れば、僕らが11年一緒に過ごしていることがわかる。それを知る人がいることが安心材料になると考えました。
――ご家族には話していないのですね。

KOTFEさん 直接カミングアウトしなかった理由は、育ててもらいながら親の言動を見てきたなかで、理解は難しいと思ったからです。もし理解してくれたとしても、時間がかかって苦しい思いをする。ほぼ女手ひとつで苦労して僕を育ててくれて、本当に感謝しているからこそ、これ以上苦労をかけたくないと考えました。でも親も僕も悪くない。何が問題かというと、日本社会にLGBTQ+を知る機会が少なすぎること。そういう機会をたくさん作りたいと思っていまの活動を始めました。

KANEさん 僕も直接は話していませんが、メディア出演を通じて知ってくれて。その後、連絡を取り合っています。僕の親は、KOTFEさんくんが家族と連絡を絶っていることを知って、「彼を支えてあげなさい」と言ってくれて。僕の活動も応援してくれています。親子の関係は人それぞれです。必ずしもカミングアウトしたほうがいいわけではないことも現実としてあります。

KOTFEさん カミングアウトして辛い目にあったり、しんどい思いをしたりして、後悔している若い子もいます。カミングアウトしなくてもいいし、しなくても幸せに生きていけるというロールモデルになりたいと思っています。

(文/武井保之)
◆KOTFEさんのTwitter(外部サイト)
◆KANEさんのTwitter(外部サイト)
◆YouTubeチャンネル「KANE and KOTFE」(外部サイト)

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