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ねんどのお姉さん・岡田ひとみ、史上初の“ねんドル”デビューから20年「目指したのはタレントではなくキャラクター」
得意なものが見つけられず自信が持てないことも……“ねんドル”で開けた未来
【岡田ひとみ】 今までに着た衣装は、全て自分でデザインしたものなんです。私が子どもの頃に憧れていた洋服を思い出してデッサンを描いて、それを仕立てていただいています。
――少女の“ひとみちゃん”が着たかったものだったんですね。
【岡田ひとみ】 そうですね。それと、子どもたちが着てみたいと思えるような、非日常を演出できたらいいな、とも思っています。ねんどのワークショップなどでも、保護者の方が同じ衣装を作ってくださって、それを着ていらっしゃるお子さんもいて。嬉しく思うのと同時に、私自身はお裁縫が苦手なので尊敬しています。
【岡田ひとみ】 ねんどでの一番古い記憶は、小学校の自由研究ですね。母が趣味で作っていた紙ねんどを真似して、いちごのショートケーキを作ったのが最初です。本格的にミニチュアを作ったのは、高校3年生の時。当時大好きだったパンを、紙ねんどでたくさん作りました。木の板に陳列したり、古くなったハンカチを切ってテーブルクロスにしたりして、パン屋さんにして。今作っている精巧なものとは違うのですが、紙ねんどで作った感じも味があって好きでした。
――その後、趣味のねんどが仕事につながって。
【岡田ひとみ】 そうですね。高校生の頃からタレントやアイドルになりたいと思ってオーディションを受け始め、その後、学生をしながらラジオ番組やドラマのエキストラ、雑誌のモデルをしていました。やりたいことができてすごく楽しかったんですが、すばらしい方、美しい方がたくさんいる中で、自分には得意だと思えるものが何もなくて、自信を持てなかったんです。
――それはいつ頃のことだったのでしょうか。
【岡田ひとみ】 二十歳ぐらいの時です。それで、高校生の時に初めてお仕事をしたラジオの構成作家の方に相談をしたんです。得意なことを聞かれたので、ねんどの作品を見せたら「おもしろいね。これを売りにしなよ」って、すごく感動してもらえて。そこから1年ぐらいかけて、ミニチュアの作品を独学で作り続け、2002年の11月7日、22歳の誕生日に、ねんどを作るアイドル“ねんドル”として活動を始めることにしました。
【岡田ひとみ】 有名な方々のラジオ番組に呼んでいただき、見えないおもしろさを活かして、一緒に作ったりしました。パーソナリティの方々が「かわいい」「おいしそう」というリアクションをしてくださったので、その後表参道で開いた個展には、たくさんの方が足を運んでくださいました。2度目の個展の時にワークショップをやることになって、それが一つのターニングポイントになりました。
――テレビ出演される前からねんどを教えるワークショップをされていたんですね。
【岡田ひとみ】 はい。当時は小学生のお子さんが多かったです。その後、23歳で子ども番組『ピアブーランド』(CS放送キッズステーション)でレギュラーが決まって、ねんどのお姉さんとしてオムライスやドーナツを作ったりと、番組で教えることをスタートさせました。『ポンキッキーズ21』や『それいけ!アンパンマンくらぶ』などにも出演させていただき、博物館や小学校、幼稚園、ショッピングモールなどでもねんどのワークショップをするようになりました。
この20年間、“ねんドル”を辞めたいと思ったことは一度もない
【岡田ひとみ】 “ねんドル”としてデビューした時は、今、自分にできることをやろうと思って、ねんどと向き合っていました。ワークショップで子どもに教えるようになって、「かわいいな、一緒にやるのが楽しいな」と思ってから、私がやりたいことはこれだったんだと気がついたんです。
――夢が変わった瞬間ですね。
【岡田ひとみ】 それまでは自分がステージに立って出演したいという夢でしたが、“自分が楽しい”ではなくて、“どうやったら子どもたちに楽しんでもらえるか”に変化しました。みなさん、タレントさんや女優さんで憧れの方がいると思うのですが、私にとってはミッキーマウスのようなキャラクターが憧れで。子どもはもちろん、大人も会ったら童心に返ってしまうような、そういった存在になれたらと思いました。
――“ねんドル”という前例のない存在に、不安はありませんでしたか?
【岡田ひとみ】 会っている時に色々なことを忘れて楽しんでもらえる夢の世界を作りたいと思ってはいましたが、まだ20代でしたし、どうやったらそうなれるかわからなくて不安はありましたね。ねんどはもちろん、子どもに教えるワークショップをやる上で、大学の教育学の授業を取るなど、勉強していくうちに自信がついていきました。
――今までに悩んだ時期、挫折した経験はありますか?
【岡田ひとみ】 この20年で辞めたいと思ったことは一度もないんです。毎日、この仕事ができて幸せだなって実感しています。ただ、コロナ禍になって、子どもたちと直接会うことができなくなってしまったので、それは辛かったですね。病院も大変な時期なので、小児病棟などでのボランティアもできなくなってしまったので。
――コロナ禍になる前は、小児病棟や海外でもワークショップを開かれていたんですよね。
【岡田ひとみ】 そうですね。海外は、プライベートでの旅行でも、現地の幼稚園や小学校でワークショップをやっていました。だからいつも荷物の半分はねんどの材料なんです(笑)。5大陸周りましたが、どこに行っても子どもたちが楽しんで笑顔になってくれたので、ねんどを通じてつながれることを実感しましたね。
なぜか十五夜の日にもバズる「こねこね〜」のセリフ
【岡田ひとみ】 ありがとうございます! “おねんどお姉さん”は、普段雲から地球を見ながら、世界中の食べ物や乗り物、動物、建物など、素敵な物を見つけたら作っているんです。ちょっと不思議な世界の中、皆さんもねんどを楽しんでいただけたらと思っています。
――ねんどをこねる際に口にする「こねこね〜」の決め台詞は、多くの子どもが真似しています。
【岡田ひとみ】 みなさんがこんなに真似してくださると思わなかったので驚きました!十五夜の日のSNSでなぜか“おねんどお姉さん“のハッシュタグが多くて見てみたら、お月見のお団子を作る時に「こねこね〜」と言ってくださっていたんです。ねんどで遊ぶ時だけではなくて、何かをこねたり丸めたりする際に思い出していただけるのは光栄なことだと思います。
――今年度から、“おねんどお姉さんのお姉さん“でおねんど星の姫“コネル(岡田ひとみ)”も登場し、ますます目が離せませんが、番組に出演するようになって、反響はいかがでしたか?
【岡田ひとみ】 “ねんドル”として活動を始めてちょうど10年ほど経ったころに出演が決まったのですが、たくさんの方が観てくださるようになって、街で声をかけていただく機会も増えました。また、それまでは小学生が多かったワークショップも、番組を観てくださっている3〜5歳ぐらいのお子さんが多くなりましたね。
――ワークショップといえばこの20年間で、スマホや携帯ゲームの普及など子どもを取り巻く環境も変わったと思いますが、実際に接していて変化は感じますか?
【岡田ひとみ】 ワークショップなどでは、全く感じないです。ねんどが好きではない子も、やり始めると夢中になって楽しんでくれるので、やはりどんなにデジタル化が進んでも、手で触れて、自分で形作っていく楽しさは変わらないのかなと思います。日本人も土器を作っていた時代からずっとコネコネしたわけなので(笑)、今後もきっとねんどは生き続けていくと思っています。
【岡田ひとみ】 まずは各地を周って日本や世界の子どもたちにねんどの楽しさを伝えていきたいです。また、オンラインであれば住んでいる場所を問わずたくさんの子どもに教えることもできるので、うまく織り交ぜながら活動を続けていきたいです。それと、9月1日は「901」で「クレイ」と読めることから、私が10年ほど前に日本記念日協会に申請して認定された“ねんどの日”なんですが、毎年ねんどの日に衣装を変えているんです。新衣装も、20周年の新しいねんドルも、楽しみにしてください!
(取材・文/辻内史佳)